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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第94話「狩人の夜」

仲間に告げた。


 放課後。中庭の噴水の前。四人。音の結界を張った。この中の声は外に漏れない。


「今夜、暗殺ギルドの拠点に潜入する。ディルクの寝室に入って、“配置”を残す」


 アルトが目を見開いた。


「配置?」


「間諜の作法だ。“殺せたが殺さなかった”ことを相手に伝える。——学院のスパイにやったのと同じだが、規模が違う」


「規模って——」


「相手は暗殺ギルドの幹部だ。拠点には護衛がいる。罠もある。その全てをすり抜けて、指揮者の寝室に立ち、何もせずに帰ってくる」


 沈黙。


「そして翌朝——音石通信で宣戦布告する」


 ノーラが最初に口を開いた。


「一人で?」


「一人で。音を消して、音で聴いて、音で開けて、音で入って、音で出る。——俺にしかできない仕事だ」


「私たちは何もしないの?」


「違う。お前たちには別の仕事がある。今夜の潜入が成功したら、明日から”蝕”が動く。報復が来る。その時お前たちが俺の”盾”になる。——今夜は、お前たちが無事でいることが一番大事なんだ」


 セラが手を合わせた。祈りではない。決意。


「セレンさん。帰ってきてください。必ず」


「帰る。——約束する」


 アルトが拳を突き出した。


「待ってるぞ。——朝飯は俺が買っておく」


 拳を合わせた。



 午後十一時。学院の男子棟。


 アルトは寝ている——ふりをしている。心拍が起きている時のパターンだ。眠れないのだろう。だが何も言わない。


 窓から女子棟を見て、耳掛けに囁いた。


 ——出る。


 窓枠。二回。ノーラの「聞こえた」。


 光。セラ。いつもより長い。「気をつけて」。


 窓から外に出た。壁を伝って地面に降りる。学院の裏口からスラム街へ。


 完全消音を起動した。


 足音が消える。呼吸音が消える。心拍が消える。衣擦れが消える。体温による空気の微かな対流音が消える。


 俺は——存在を消した。


 生きている証拠の全てを、逆位相で打ち消す。暗殺者の隠形術が90%の音を消すなら、俺の完全消音は100%消す。この世界に、俺がいた痕跡は一切残らない。


 夜の王都を歩く。月明かりの石畳。足音がない。影だけが動いている。



 午前零時。ディルクの拠点。西区の煉瓦造り。


 五十歩離れた路地から、反響定位を当てた。


 一階。見張りが一人。椅子に座っている。心拍七十二。起きているが、退屈している。脚を組み替える音。欠伸。


 二階。ディルクの部屋。心拍六十。安定した深い呼吸。眠っている。


 ミーシャの部屋。心拍が速い。八十五。——眠れないのか。それとも、昨夜の風の通信の後で、何かを待っているのか。


 フィンの部屋。心拍四十五。いつも通りの異様な静けさ。死んだように眠っている。


 変声術の少女の部屋。心拍六十二。浅い眠り。


 計五人。見張り一人。眠っている四人。


 ——行く。



 裏口に近づいた。扉の前に立つ。呼吸を止める。完全消音が全てを消している。俺の五歩先を猫が通り過ぎたが、猫すら俺に気づかなかった。


 裏口の錠前。鉄製。共鳴探知で内部構造を聴く。ピンは六本。昨日の「偽報告」の時に一秒で聴き取った構造と同一。


 共鳴解錠。


 カチ。カチ。カチ。カチ。カチ。カチ。


 ——六つの「カチ」は俺の頭の中だけで鳴っている。実際の音はゼロ。ピンが動く振動を逆位相で打ち消しているから。


 錠前が開いた。三秒。無音。


 扉を開ける。蝶番が軋む——その振動も逆位相で消す。完全な無音。


 中に入った。


 一階の広間。暗い。窓から差し込む月明かりだけ。見張りの男が椅子に座って、壁に背をもたれている。


 見張りまでの距離は十歩。


 圧力板の罠は——広間の中央、机と椅子の間。昨日の反響定位で位置を把握済み。踏まない。壁沿いに迂回する。


 歩く。完全消音で足音はない。だが床板が軋む可能性がある。共鳴探知で床板の構造を聴き、軋みやすい場所を避ける。板と板の継ぎ目を踏まない。板の中央を、体重を分散させて踏む。


 見張りの横を通る。


 距離三歩。見張りの呼吸が聴こえる。欠伸の残りで口が半開き。短剣が腰にある。心拍七十二。まだ退屈している。俺に気づいていない。


 距離二歩。見張りの体温が感じられるほど近い。


 距離一歩。手を伸ばせば肩に触れる。


 通過した。


 見張りは微動だにしなかった。


 階段。二階への上り。木製。軋みやすい。


 共鳴探知で階段の構造を聴く。十二段。三段目と七段目と十一段目が軋む。この三段を避けて上る。


 一段目。二段目。四段目に飛ぶ。五段目。六段目。八段目に飛ぶ。九段目。十段目。十二段目に飛ぶ。


 二階に到着。無音。


 廊下。四つの扉。東端がミーシャ。西端がディルク。北がフィン。南が変声術の少女。


 ディルクの部屋に向かう。


 扉の前に立つ。共鳴探知でディルクの心拍を聴く。六十。深い眠り。変わっていない。


 錠前。ディルクの部屋の錠前は——ない。鍵がかかっていない。暗殺ギルドの指揮者が、自分の部屋に鍵をかけない。


 自信か。油断か。それとも——「鍵をかけなくても誰も入れない」という確信か。


 今夜、その確信が崩れる。


 扉を開ける。蝶番の振動を消す。


 部屋に入った。


 小さな部屋。質素な内装。ベッドが一つ。机が一つ。机の上に紙の束と羽根ペン。壁に外套がかかっている。窓は板で塞がれている。


 ベッドの上にディルクが眠っている。


 灰色の短い髪。中肉中背。「普通の」顔。群衆に紛れたら二度と見つけられないような、徹底的に特徴がない顔。


 だが眠っている時の表情は——苦しそうだ。眉間に皺が寄っている。唇が微かに動いている。夢を見ている。悪い夢を。


 共鳴探知でディルクの体内を聴く。心拍六十。だが——夢を見ている時の脳の活動パターンが乱れている。過去の記憶が蘇っているのかもしれない。十五年前の。仲間に裏切られた夜の。


 ——ここに立っている。


 暗殺ギルドの指揮者の寝室に。寝ている男の枕元に。


 殺そうと思えば殺せる。震孔掌を首に当てれば、中枢魔孔を砕いて即死させられる。世界で最も静かな殺し方。音もなく、痕もなく。


 だが——殺さない。


 俺は暗殺者ではない。


 ディルクの首筋に掌を当てた。震孔掌の弱い版。首の浅い位置にある魔力の出口を微弱な振動で押す。脳への血流が一瞬途切れ、ディルクの眠りがさらに深くなる。万が一にも目覚めないように。


 さて。「配置」を始める。


 まずディルクの枕の下を探る。短剣が一本。暗殺者の本能。寝る時も武器を手放さない。


 短剣を抜き取り、ディルクの胸の上に置いた。刃を首の方に向けて。


 ——殺せたが、殺さなかった。


 次に、ディルクの机の上の紙の束を確認した。暗号文。組織の連絡記録。そして——「蝕」の王都における組織図の下書き。ディルクの手書き。末端から幹部までの指揮系統が書かれている。


 これを写す時間はない。だが——共鳴探知で紙の表面の凹凸を聴き取れば、文字を「音」で読める。羽根ペンが紙に残した溝の深さと方向から、書かれた文字を再構成する。


 三十秒で全頁を「聴いた」。頭に刻む。後で研究ノートに書き写す。


 組織図の下書きの一枚を——広げてディルクの短剣の横に置いた。


 ——お前の組織は丸裸だ。


 さらに、壁に振動でディルクの経歴を刻んだ。震破の精密版で、石壁に爪痕ほどの文字を彫る。


 「ディルク=ゲーレン。元B級冒険者。登録番号七四二〇。十五年前、ベルグ・ダンジョンにて仲間を喪失。以後、暗殺ギルド”蝕”に加入」


 ——お前の正体を知っている。お前の過去も知っている。


 最後に。


 懐から音石通信の石を一つ取り出した。ディルクのために別途作った通信専用の石。掌に収まる小さな石に共鳴核を刻み込んだもの。耳掛け型ではない。ただの石。通信距離は短いが、王都内なら十分に届く。


 石を枕元に置いた。隣に紙片を一枚。


 「起きたらこの石に話しかけろ。——セレン=アルディス」


 配置完了。


 部屋を出る。扉を閉める。廊下を戻る。


 ——ミーシャの部屋の前で足を止めた。


 扉越しに心拍が聴こえる。八十。まだ起きている。


 矢文を送った。扉越しに、極小音量で。


 ——ミーシャ。迎えに来る。もう少しだけ待っていてくれ。


 心拍が跳ねた。九十五。百。百十。——泣いている。声は出していない。だが心拍が泣いている。


 長く留まれない。


 階段を降りる。三段目と七段目と十一段目を避けて。一階の広間を壁沿いに通過する。見張りの横を通る。裏口の扉を開ける。出る。扉を閉める。


 共鳴解錠の逆。ピンを元の位置に戻す。錠前がかかる。


 裏口の前に立ち、建物を見上げた。煉瓦の壁。板で塞がれた窓。


 この建物の中に、暗殺ギルドの指揮者が眠っている。胸の上に自分の短剣を置かれて。組織図を晒されて。経歴を壁に刻まれて。枕元に通信石を置かれて。


 何一つ気づかずに。


 ——「殺せるのに殺さなかった」。これが最も重い脅迫だ。


 路地を歩いて帰る。完全消音のまま。月明かりの石畳を、影だけが滑っていく。



 午前三時。学院に戻った。男子棟の窓から入る。


 耳掛けに囁く。


 ——戻った。成功した。


 窓枠。二回。ノーラの「聞こえた」。


 三回。「ありがとう」。


 ——おやすみ。明日の朝、全員で話す。


 二回。


 光。セラ。長い。


 アルトが寝返りを打った。起きている。


「……終わったのか」


「終わった。全部うまくいった」


「……そうか」


 それだけ。だがアルトの心拍が、ほんの少し遅くなった。安堵のパターン。待っていてくれた。眠れなかったのだ。


「寝ろ、アルト。明日から忙しくなる」


「お前が言うなよ、鼻血野郎」


「今夜は出てない」


「ほんとかよ」


「ほんとだ」


 二人とも目を閉じた。


 暗闇の中で、ディルクの拠点から聴こえてくる音紋標識の脈動を聴く。変化なし。誰も起きていない。俺の侵入に気づいた者はいない。


 ——完璧だ。


 朝が来たら、ディルクが目を覚ます。枕元の「配置」を見て、何が起きたかを理解する。そして音石を手に取り、話しかける。


 その時——俺はパンを齧りながら答える。


 「おはよう、ディルク。よく眠れたか?」


 その場面を想像して、少しだけ笑った。


 研究ノートは明日書く。今夜は——眠る。

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