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『音魔法はゴミ? いいえ、研究したら文明を揺るがす最強魔法でした』  作者: 白月 鎖
王都編

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第92話「糸を辿る」

八日目。昼と夜が噛み合い始めた。


 朝、エルデ教官の講義に出席する。古代羊皮紙の解読の続き。だが俺の頭は半分、昨夜の情報を整理している。


 講義の後、中庭でノーラとセラから昼間の偵察報告を受けた。


「北区の空き教会。午前中にセラと二人で買い物のふりをして見てきたわ」


 ノーラが低い声で話す。周囲に人がいないことを確認してから。


「教会の外観は普通の廃教会。窓は板で塞がれてる。正面の扉は閉まったまま。でも——裏手に回ったら、裏口があった。扉の前に、靴の泥汚れが新しいのがいくつか。出入りがある証拠」


「何人分くらい?」


「三つか四つ。靴底の形が違うから、少なくとも三人は別の人間。それと——」


 セラが続けた。


「教会の煙突から、うっすらと煙が出ていました。廃教会なのに。中で火を使っている。生活している人がいるということです」


「窓の隙間から中は見えたか?」


「板が厚くて無理でした。でも煙突の煙は薄い白。炊事の煙。戦闘の焦げ臭い煙ではありません」


 優秀だ。俺の「耳」では拾えない情報を、二人の「目」が補ってくれる。煙の色、靴の泥汚れ、板の厚さ。視覚でしか得られない情報。


「ありがとう。——二人とも、教会に近づきすぎるなよ。見られたらまずい」


「わかってるわよ。買い物袋を提げて、世間話をしながら通り過ぎただけ。不自然な動きはしてない」


 ノーラが少し得意そうだ。


「もう一つ。教会の近くに、花屋があった」


「花屋?」


「毎朝、教会の裏口の前に花を並べてる老婆が。セラが少し話しかけたの」


 セラが頷いた。


「“あの教会、最近誰か住んでるのかしら”って何気なく聞いたら、老婆が”半年前から。静かな方たちよ。夜遅くに出入りするけど、迷惑はかけないから”と」


「半年前から。——“蝕”が王都に拠点を構えたのは最近じゃない。前からいる」


「老婆はもう一つ言ってた。“たまに綺麗な銀髪の女の人が買い物に出てくるわよ。氷のように冷たい目をした——でも、花を買ってくれたことがあるの”」


 銀髪。氷のように冷たい目。——カイラだ。


 カイラは花を買う。暗殺者が花を。


「いい情報だ。——セラ、その老婆の名前は?」


「聞いてません。でも毎朝同じ場所にいるそうです」


「無理に聞かなくていい。今後も自然に、通りすがりに情報を集めてくれ」



 午後。俺は一人で別の仕事に取りかかった。


 学院の厨房の雑用係だった男——暗殺者の襲撃の前にスパイとして排除した工作員——の追跡。音紋標識のネットワークで、この男の足音パターンを常時監視している。


 この男は毎日、三つの場所を行き来している。


 一、スラム街の酒場(午後三時〜四時)。仲間二人と合流。

 二、商業区南端の宿屋(就寝場所)。

 三、そして——三日に一度、スラム街の東端にある「洗濯屋」に立ち寄る。


 洗濯屋。表向きは一般的な洗濯代行の店だ。だが三日に一度、工作員が訪れるのは偶然ではない。


 今日がその三日目。


 工作員が洗濯屋に入るのを、スラム街の路地の向こうから反響定位で追った。


 洗濯屋の構造が「聴こえる」。表の部屋は洗濯場。奥に小さな事務室。事務室の床下に——地下室がある。


 工作員が洗濯屋に入り、表の部屋を通り過ぎ、奥の事務室に入った。事務室の床板が一枚持ち上がる音。地下への梯子を降りる足音。


 地下室に二人の人間がいた。工作員を合わせて三人。


 壁越しに共鳴探知を集中する。地下室の三人の会話は——壁と地面が厚くて、通常の聴力では聞こえない。だが振動読みなら。


 三人の喉の振動を聴く。


 工作員の喉:「——報告します。学院の少年は毎日スラム街に出入りしています。案内人として少女を一人雇った様子。闇市場にも——」


 二人目の喉(低い声、年配の男):「——モルグに接触したか。面倒だな。モルグから何を買った」


 工作員:「——不明です。ただ、金貨をかなり——」


 三人目の喉(若い女の声):「——“先生”にはもう報告した?」


 二人目:「——した。先生は”泳がせろ”と。少年がどこまで辿れるか見る、と」


 ——ディルクは俺の動きを把握している。そして「泳がせている」。


 俺が「蝕」を追っているのと同時に、「蝕」も俺を観察している。狩人と獲物の関係は——双方向だ。


 だが一つ、重要な情報を得た。


 「先生に報告した」。この洗濯屋の地下室は——ディルクへの連絡拠点の一つだ。ここを辿れば、ディルクに繋がる。



 三人目の声——若い女——が気になった。


 地下室から出てきた三人を、路地の影から観察した。反響定位で「聴いて」いるから、直接見る必要はないが、ノーラの偵察と同じで「視覚の情報」も欲しい。


 工作員の男。知っている顔。


 二人目の年配の男。五十代。灰色の外套。腰に短剣を隠している(共鳴探知で金属の振動が聴こえる)。


 三人目。若い女——いや、少女だ。十六か十七。茶色の髪を肩で切り揃えている。服装はスラム街の住人に見えるが、靴だけが上等だ。革の靴底。訓練された足運び。


 この少女が洗濯屋から出た後——声が変わった。


 道端で果物売りの老人に声をかけた。


「おじいちゃん、林檎一つちょうだい」


 明るい声。高い声。子供っぽい口調。


 だが洗濯屋の地下室での声は——低く、落ち着いた、大人の声だった。同一人物の声帯振動パターンは同じだが、出力と共鳴の仕方がまったく違う。


 変声術。声を意図的に変える技術。暗殺者の変装術の一つ。


 俺の共鳴探知で「声帯の振動パターン」を聴けば、声を変えていても同一人物だと特定できる。変声術はセレンの耳には無意味——だが、逆に「声を変える技術」は面白い。


 この少女が二つの声を使い分けているメカニズムを、共鳴探知で聴く。


 声帯の振動は同じ。だが喉の共鳴腔の「形」を変えている。喉の筋肉を微妙に操作して、共鳴する空間の大きさを変えることで、声の高さと響きが変わる。


 ——これを音魔法で再現できないか。


 自分の声帯の振動パターンを、他人のパターンに「上書き」する。共鳴探知で聴き取った他人の声帯振動を、自分の喉で再現する。


 廃屋に戻って実験した。


 まず、リッカの声を思い出す。共鳴探知で何度も聴いている声帯振動パターン。周波数、振幅、共鳴の癖。


 自分の喉の筋肉を音で制御する。声帯の振動パターンをリッカのものに合わせる。共鳴腔の形をリッカの喉に近づける。


「……銅貨八枚。それ以下なら窓から飛ぶ」


 リッカの声が——俺の口から出た。


 完璧ではない。八割くらいの精度。だが暗い場所で聞けば、本人と区別がつかないレベル。


 もっと精度を上げられる。他人の声帯振動パターンを共鳴探知で「完全に」聴き取れば——99%以上の精度で声をコピーできるはずだ。


 声紋偽装ヴォイス・フォージ。完成。


 ……いや、まだ完成じゃない。「精度を上げるためのテスト」が必要だ。誰の声で試すか。


 ノーラの声で、アルトに「訓練場に来い」と呼び出してみるか。


 ——いや。怒られるのが目に見えている。やめておこう。



 夜。廃屋でリッカと向かい合っていた。


「今日、洗濯屋の地下で面白いものを聴いた」


「洗濯屋? あそこ、裏があるの?」


「地下室がある。“蝕”の連絡拠点の一つだ」


 リッカの目が丸くなった。


「マジで? あそこのおばちゃん、私の服も洗ってくれてるんだけど」


「おばちゃんは知らないかもしれない。地下室を使っているのは”蝕”の人間だけだ。おばちゃんの営業時間外に出入りしている」


「うわ……。スラムって、どこに何が隠れてるかわかんないね」


「お前が一番よく知ってるだろ、スラムの隠し事」


「それはそうだけど。——で、何がわかったの」


「三つ。一つ、ディルクは俺の動きを把握している。“泳がせろ”と指示を出している。二つ、この洗濯屋がディルクへの連絡拠点の一つ。三つ——ディルクの人間の中に、変声術を使う少女がいる」


「変声術?」


「声を変える技術。地下室では大人の声で話していたのに、外に出たら子供の声になった。同一人物だ。声帯の振動パターンで確認した」


 リッカが眉をひそめた。


「変声術……。それ、スラムでも噂があるよ。“蝕”の駒の中に、何人もの声を使い分ける子がいるって。名前は知らない。顔も知らない。声が毎回違うから、誰なのかわからないって」


「声が毎回違う。つまり——“蝕”の中で連絡役として使われている。声を変えれば、同一人物だと追跡されない」


「でもあんたには追跡できるんでしょ? 声帯のパターンで」


「できる。変声術は俺の耳には無意味だ」


 リッカがため息をついた。


「あんたと敵対する側はほんとに大変だね。何をやっても全部聴かれるんだもん」



 学院に戻ったのは午前一時半。


 門限後に窓から部屋に入る。出発時と帰着時の耳掛け通信。


 ——戻った。


 窓枠。二回。ノーラの「聞こえた」。


 ——少し遅くなった。すまない。


 耳掛けからノーラの声が返ってきた。窓枠ではなく、声で。


『……十五分遅い。いつもは一時十五分に戻るのに、今夜は一時半。何かあったの?』


「洗濯屋の地下室を長く監視していた。問題ない」


『問題ないなら、いいけど。——報告は明日聞くわ。もう寝なさい』


「ああ。おやすみ」


『おやすみ。……あ、セレン』


「何?」


 沈黙。三秒。ノーラが何かを言いかけて——喉の声帯が微かに動いた。振動読みなら読めたかもしれない。だがセレンは報告モードのまま、ノーラの喉の振動に意識を向けていなかった。


『……ううん。何でもない。気をつけてね』


 通信が切れた。


 ノーラが言いかけた言葉を、セレンは知らない。毎晩「帰ってきて」と言いたくて、毎晩飲み込んで「気をつけて」で代用していることを。「帰ってきて」は重すぎるから。「気をつけて」なら——ただの仲間の言葉で済む。


 だがノーラは知らない。セレンの共鳴探知が、ノーラの「気をつけて」の声帯振動パターンを記録し続けていることを。毎晩同じ言葉なのに、毎晩微妙に振動が違う。日に日に——何かが重くなっている。


 セレンはそれを「疲労の蓄積」だと解釈している。


 光。セラ。いつもより長い。「気をつけて」。


 アルトは寝ている。だが寝息のリズムが微かに乱れた。起きかけている。俺が帰ってくる気配で。


「……セレン?」


「ああ。寝てていい」


「……お前、無理すんなよ」


「してない」


「嘘つけ。鼻の下に血の跡がある」


 振動読みの連続使用で、脳に負荷がかかっていた。鼻血が少し出ていたのに気づかなかった。


「大丈夫だ。寝れば治る」


「……おう」


 アルトが寝返りを打って、また眠りに落ちた。だが最後に聴こえた。アルトの心拍が、ほんの少しだけ速くなったのが。


 心配している。俺が変わっていることに、アルトは気づいている。


 研究ノートに記録する。


 《八日目》

 ノーラ+セラの昼間偵察:カイラの拠点(空き教会)の外部情報。裏口の靴跡3〜4人分。煙突から炊事の煙。近所の花屋の老婆の証言「銀髪の冷たい目の女が花を買った」。

 → カイラは花を買う暗殺者。人間味がある。子供を殺せない矛盾と符合するか。

 

 工作員の追跡:スラム街東端の洗濯屋に地下室。「蝕」の連絡拠点。ディルクへの報告ルート。

 → ディルクは俺を「泳がせている」。俺の動きを把握している。

 → だが同時に、俺もディルクの連絡網を辿っている。どちらが先に相手を捕まえるかの勝負。

 

 新技:声紋偽装ヴォイス・フォージ。他人の声帯振動パターンを再現して声をコピーする。

 → 暗殺者の変声術を聴いて着想。上位互換。精度99%以上を目指す。

 → 日常利用:伝言の正確な伝達。悪戯(ノーラの声でアルトを呼び出す——やめておく)

 → 戦術利用:「蝕」の連絡網に偽の指示を流し込める可能性。ディルクの声を偽装して末端に指示を出せば、組織を内部から撹乱できる。

 

 脳への負荷:振動読みの連続使用で鼻血。アルトに気づかれた。「無理するな」と言われた。

 → 負荷管理が必要。一日の振動読みの使用回数を制限する。

 

 現時点で「蝕」について判明していること:

 ・ディルク=ゲーレン(先生)が王都で活動中。俺を「泳がせている」

 ・カイラ(人差し指)の拠点:北区の空き教会。俺の監視を担当

 ・ロスヴァイン伯爵家が「蝕」と繋がり(小指)

 ・洗濯屋の地下室が連絡拠点

 ・変声術の少女が連絡役として活動

 ・「蝕」は王宮の中にも根を張っている(モルグの忠告)

 ・ミーシャとフィンはディルクの管理下

 

 まだ足りない。ディルクの本拠地がわからない。ミーシャの居場所がわからない。

 ——だが糸は増えている。糸が繋がる日は近い。

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