9話 何してるの、高橋くん?
「じゃあ、次回までにいい具合に案を完成させちゃいましょー」
愛海が教室中に呼びかける。
「おー」とか、「はーい」と返事。
俺と愛海は教室の壇上にいた。ホームルームで出たクラスTシャツの案を完成させるためだったが、それももう終盤である。
司会進行はほとんど愛海がしてくれたので、俺は隣でいそいそとプリントを配ったり、板書をしていたら終わってしまったのだ。
ホームルームでのクラスTの作成は順調に進んだ。
愛海と一緒に撮影したサンプルがいい具合にTシャツのベンチマークとして機能し、クラスメイトのみんなも盛り上がり、ラフ案の作成まで進めることができた。
おかげで次のホームルームまでに意見を練ってTシャツの発注までできそうだ。
「やったね」
愛海がにこりと笑いかけてくる。
「お、おお……」
俺はうなずき、それに応じる。
しかし、ホームルームが終わって、各々の席に戻る間も、それ以上愛海の顔をまともに見れなかった。
なぜなら休日に一緒に出かけた日に、自覚してしまったからである。
初恋を引きずっているが、隣にいる子のことを好きに、変わってしまったからだ。
それは小学校の時以上の経験として、俺を襲ってくる。
なんと、愛海と顔を合わせると心臓が痛くなるのだ。そして頬が熱くなる。視線が合うだけで、多分プレイステーション5を購入した時よりも嬉しい。
経験したことのない症状だった。
だから俺は前日比で七割増しくらい愛海の顔を見ることができないのだ。
とはいえ、あまりにあからさまだと不審がられるだろうし、どうにか態度を変えずにいつも通りに接するように心がけるだけで精一杯だった。
とりあえず今日は一目散に帰るしかない。
別に何かが変わったわけではないし、特別なきっかけがあったわけでもない。
俺が見たり話したりすることの捉え方が変わってしまった。
愛海のことが好きなのだという意識の変化に、もう少し慣れるまで、少しだけ愛海と目が合う回数を減らしておきたい。
そんな風に思っていた俺は、なんとか無事に終わったホームルームのあと、素早く教室を出る。
帰りのショートホームルームを切り抜ければ下校である。その間はトイレにでも行って時間を潰そう。
そう思って廊下を歩く。
「ねぇ、高橋」
すると、誰かから声をかけられた。
振り向くとそこにいたのは、プラチナブロンドのショートヘアのクラスメイトがいた。
名前は、愛海とよく一緒にいる人物なので知っている。
彼女は、白崎澪。
片目が隠れるような長めの前髪。耳にはピアスだかカフスだかでゴテゴテになっていて、切れ長の目元はダーク系のメイクをしていて、顔の半分は黒いマスクで隠れている。正反対にふとももがむき出しなくらいのミニスカート。
クラスメイトといえども、俺とは沖縄と北海道ほど距離感の遠いはずのギャルという人種である。
その白崎さんがどうして俺に声をかけてくるんだ?
今まで愛海の近辺でニアミスすることはあったが、会話する機会などなかったのに。
「聞いてる?」
白崎さんが冷ややかな口調で再度聞いてくる。
「あ、はい!」
つい先輩に対する後輩みたいな返事をしてしまう。
「今日、放課後時間ある?」
「あ、あるといえばあるし、ないといえば……」
「あるかないか、はっきりして」
「あ、ありますが……」
黒マスクで表情の読めない口元から、矢のように放たれる言葉に俺は拒否権がない気がして返事をした。
「じゃあ放課後、部活棟の三階に来て。音が鳴ってる教室」
「え、教室? 音? え? ちょっと……!」
白崎さんはそれだけ言うと、教室に戻っていく。
俺の呼びかけは無視である。なんの選択肢も持てずにその背中を見送った。
※※※
駿河東高校に校舎が三つある。旧校舎には主に二、三年の教室があり、新校舎は理科室や視聴覚室と一年生の教室だ。そして新校舎につながる形で吹奏楽部をはじめとした文芸部の部室が集まった部活棟がある。
俺は白崎さんにその部活棟に呼ばれ、そして三階まで階段を上がり、言われた通り、音が鳴っている部屋の前まで来た。
その教室は暗幕のようなものが貼られていて、中は伺えない。
聞こえる音楽は洋楽みたいだ。扉の向こうからかすかに重たそうなビートとシンセサイザーの音が聞こえてくる。
ここにひとりで入れと?
いや、絶対無理。
そもそもなんの部室だ? 軽音楽部?
白崎さんが本当にいるのかもわからないし、いたとして何の用があるんだ?
まともに話したこともなく、唯一の共通点があるとすれば愛海とよく話すということだけだ。
ダメだ。なんで呼び出しされたのか、見当もつかない。
と、俺が謎の教室の前で立ちすくんでいると教室の扉が開く。そして中からプラチナブロンドの髪を揺らして、白崎さんが出てきた。
「入って」
俺は促されるままに白崎さんのあとに続く。
足を踏み入れたその教室は、重低音とノイズの洪水に満たされていた。
暗幕で真っ暗な部屋。
革張りのソファが教室の中央に鎮座していて、天井のフックからスクリーンが下ろされていた。そのスクリーンには海外のロック・バンドのミュージックビデオが流されている。
スクリーンに映されるプロジェクターだけが、光源なので、中は薄暗い。
教室を無理やり映画館にしたらこんな造りになるのかな? という感じの空間だった。
扉を閉めた白崎さんは俺の存在を忘れたかのようにソファに腰をおろしてスクリーンに映る海外のロックバンドのミュージックビデオに視線を戻していた。
俺はまだ空間に圧倒されて、ぽつんと立ちすくんでいる。
気まずいのでスクリーンに映っているビデオと音楽のことでも聞いておこう。
「あの、この音楽は……?」
「ナイン・インチ・ネイルズのクローサー」
なるほど……もう帰りたい……。
俺がそう思っていると、白崎さんは俺を見て「座らないの?」とソファの隣を促してくる。
もう何も正解がわからないので、成り行きに身を任せるというか、白崎さんが怖いので逆らえず、俺は彼女の隣に腰をおろした。
ゆったりとしたソファなので、隣同士に座っても、間にもうひとり座れるくらいのゆとりがあった。
ソファに座るとさきほどよりも音をダイレクトに感じる。ソファの左右には大型の骨董品みたいなスピーカーが置かれていて、そこから洪水みたいな音が出ているようだ。
そしてそのまま俺は白崎さんと謎の外人のロックバンドを鑑賞する。
なんだこの時間は。
そもそも同じ新入生なのに、どうしてこんな風に教室を使ってるんだろう?
いろいろ疑問が湧き出てきて、俺はちらりと白崎さんを盗み見る。
ソファにもたれて膝を組んでいらっしゃる。
すらりとした白い脚が伸びていた。スカートがずり下がりそうになっていて、太ももの付け根のほうまでむき出しになっていた。
手をスカート上に置いているからいいものの、際どいな……。
そんな感想を胸に秘めつつ、そっと視線を上にスライドする。
なんと白崎さんはこちらを見ていた。
切れ長の片目が恐ろしい。俺はすぐに目をそらし、正面のスクリーンに視線を戻す。
違うんだ!
今のは見ようと思って見ようとしたのではなくて、たまたま目に入っただけで、やましい気持ちなど一切ない!
現に今、心臓がドキドキとうるさいが、それは愛海と視線が合ったときのふわふわした感じではない。ファミレスで会計しようとしたら財布がなかったときのような血の気が引くドキドキ感だ。
「先週、ここで映画を見たの。恋愛もの」
ポツリと白崎さんが言う。
「は、はぁ……」
予想もしていない宣言に俺はあってもなくてもいいような相槌を打つ。
「ひどい映画だよ。ヒロインの子が片思いしてるんだけど、その片思いの相手が頼りになるかわからないようなひ弱そうな男」
ヘビーなロックバンドを鑑賞しながら、俺と白崎さんはそのままポツポツと会話する。
「案の定、ひ弱そうな男が軟弱なクソ野郎で、ヒロインは失恋した上に、その恋愛がトラウマになっちゃうの。それで、もう一生恋なんてしないって誓う。……それが映画の冒頭の話」
「あ、冒頭、なんですね」
「そう……でも、そのトラウマに向き合ってくれるヒーローが現れて、そのヒーローとストーリーが始まるんだけど……、ヒロインがトラウマを抱えたのは学生のころで、トラウマが解消されるのは三〇代のOLになってからっていう話……クソ映画だよね」
「ま、まぁ……でもヒロインの気持ちも、わからなくないというか……」
俺もずっと初恋を引きずっていたからな。
もし、この高校で愛海と再び遭遇できなかったら、俺も大人になってもずっと忘れられなかったかもしれない。
ただその場合、俺を救ってくれるヒロインなど現れないだろう。
……恐ろしい話だな。
そんな感想を抱いていると、人間のような仕草でジュースを飲むチンパンジーを目撃したかのような視線で白崎さんに凝視されていた。
「……ヒロイン側なんだ」
「え、なにが……?」
「……なんでもない。……高橋は、映画好き?」
「けっこう見るかな……ネットフリックスとか、親が入ってるし……」
そう言うと、白崎さんは「そう」といい、身をよじる。そしてソファを四つん這いで移動して、俺のほうににじり寄ってきた。
その様は白豹が獲物に近づくようだった。
じゃない! なんだ一体!?
白崎さんはそのまま四つん這いで移動する。俺は恐怖で固まったウサギのように動けなくなり、その俺の膝の上を、白崎さんはそのまま四つん這いで上半身だけまたいだ。
「あの……何を……」
「こっちにあるの、DVD」
白崎さんは言葉の通り、スピーカーの上に積み上げられた映画のDVDケースを物色していた。どうやらこっちが目的なようだ。
「歩いていけばよかったんじゃ……」
「面倒だし」
面倒で済まさないでくれ……。
俺は目を閉じて、この拷問に耐える。
なぜなら白崎さんの身体が俺の膝の上にあるからである。
触れているわけではない。
しかしちょうど目の前に彼女のスカートがある。あの超短いスカートだ。そのスカートの裾が揺れている。むき出しの脚が普段スマホの画面をのぞくより近い距離にある。
ちょっと無防備過ぎるだろ!
怖くて指摘できないが!
だから俺は仕方なく固く目を閉じて、聴覚に流れ込む謎のロックバンドのヘビーなサウンドに耳を傾ける。
「どれが好き?」
言われて恐る恐る目を開ける。
俺の膝上上空にいるまま、白崎さんは映画のパッケージが印刷された数枚のDVDケースをスピーカーの上に並べていた。
「左からレオン、オールドボーイ、ブレードランナー2049、マッドマックス 怒りのデスロード」
すごいチョイスだな!
女子高生なのか、この人。
俺は友達も少なく、土日のひとり時間をアニメ見たり、読書したりして過ごすことが多い。映画もよく見る。なのでタイトルは知っていたりする。
「早く選んで」
白崎さんの言葉が「早く金だせ」に聞こえて、俺を慌てて、映画のパッケージを吟味する。
結果、小さな女の子が銃を構え、その後ろで丸メガネのサングラスをした長身のおじさんが立っているパッケージの『レオン』を選んだ。
「オーケー、ちょっとまって」
白崎さんは『レオン』のDVDを取り出す。そのまま、そのスピーカーの上に鎮座しているDVDプレーヤーで再生しようとしている。
俺の混乱はより一層深まる。
呼び出したのは映画を見るため? 俺と? そんな親しくもないのに?
その時だった。
「澪! 借りてた映画返しに来たよ!」
扉が勢いよく開け放たれて、誰かが入ってくる。
驚いた俺が身じろぎして、それで白崎さんがバランスを崩す。
「DVDプレーヤー探すの大変だったよー。でも面白かったー! えへへ」
結果、ぽすっと収まるべきところに収まるくらいちょうどいいサイズ感で、白崎さんは俺の両膝の上に着地した。
「ごめんね、教室で返そうと思ったんだけど……忘れ……ちゃって……」
ニコニコという感じの声がトーンダウンしていく。
声の主は、愛海だった。
愛海の視線は俺と白崎さんに注がれている。
彼女の目には、膝の上に白崎さんを座らせている俺が映っているはずだ。
愛海が沈黙する。そして満面の笑みになる。
見たことないくらい、とびきりのスマイルだ。
「何してるの、高橋くん?」
聞いたこともない楽しそうな声で、愛海が俺に質問を投げかけるのだった。




