第6話 魔鮫の剥製
ソニアはホール中央で天井を見上げたまま沈黙していた。その真剣な視線の先には、天井の太い梁からぶら下がる、大きな魚の剥製がある。そしてその姿に、僕は見覚えがあった。冒険者ギルドにいた頃に見た魔物図鑑に、あれによく似た魔物が載っていた。魔鮫と呼ばれる、どう猛な海棲の魔物。
まさに今、目前に飾られているものは、おそらくその魔鮫の一種だろう。マーサよりは小さいが、背の高い成人男性と同じくらいの大きさをした薄い灰色の体は流線型で、その大きな口には何か球のような物を咥えている。左半身にはとてつもなく長い鰭が伸びているが、右の鰭は根元から千切れたようで、荒い傷跡が目立っていた。
「ソニア、この魔物が珍しいかい? これは魔鮫って言って――」
『珍しいも何も、これは海兵隊の無人偵察機よ。RQ-21ブラックジャック。あの口に咥えたように見える大きなボールは、各種カメラやセンサー。高空から地上を偵察する無人の飛行機よ』
「飛行機って?」
『航空機――、もとい空飛ぶ機械の一種に決まってるじゃない』
ソニアがそう答えると同時に、正面に半透明のウィンドウが現れる。そこには「小型戦術無人航空システム:RQ-21」の表記が浮かび、その下には“巡航速度”や“運用高度”といった意味不明な単語と細かい数字や記号が羅列されていた。それらの呪文は僕の興味を全く惹くことがなかったが、その妙に長い鰭を持つ空飛ぶサメを描いた三面図は、確かに目前の“魔鮫”を描いたもののようだった。
だが、天井からぶら下がるそれは、右側の長い鰭と大きな尾鰭がもぎ取られたかのように無くなっており、魔鏡に映る図とは若干異なっている。その胴体には、「MARINES」という掠れた文字や数字が薄らと鼠色で記されており、確かに海兵隊に所属するもののようだった。
しかし、ソニアは無人の飛行機と言うが、そんな言い方をしたら有人の飛行機があるみたいに聞こえる。まさか、あんなものに跨がって人が空を飛ぶというのか。おそらくソニア渾身のジョークなのだろうが、別に面白くもなんともないのでスルーしておこう。
『どうやら、この子の搭載AIは死んでいるみたい。全く反応がないわ。いろんなデータを収集したんでしょうけど、機体自体にそれは記録されていないはずだから、何の役にも立ちそうにないわね。とは言え、一度システムを洗ってみる必要があるわ……』
「どうだ、珍しいだろう。それは魔鮫の甲羅だそうだぞ。漁師をやっているこの宿の息子が、沖合を漂っているところを見つけたらしい。昨年私がここを訪れたときには既に飾られていてな。あの時は、珍しい物を見たと興奮したものだ。実は今夜ここを訪れたのは、それをお前達にも見せてやりたかったからなのだ」
宿泊手続きが終わったのか、マーサが僕らの側にやってきた。そして、目前にぶら下がる偵察機を興味深そうに眺めながら、彼女はそれに手を伸ばす。
「この手触りがまたいいのだ。すべすべとしたこの感触。これを見るまで、魔鮫が甲殻系の魔物だったとは露程も思わなかった。ほれ、ここを見てみろ。ヒトデのマークとともにマリーンズと記されているということは、どこかにある海棲魔物の研究機関が実験を行っていたのかも知れぬ。もしかしたら、何らかの魔術の実験に使われた魔物の遺骸なのかも知れんな」
ひとしきり偵察機をなで回すとマーサは満足したのか、そろそろ部屋へ行こうかと僕を誘った。ソニアは少しばかり未練があるようだったが、それが自分に縁のある物だとマーサに語ることもなく、僕たちに付いてくる。
玄関に戻ると、エルフの死体が転がっていた。僕たちはそれを跨いでそのまま進む。何も言わないマーサを見ると、どうやらこの巨人も、このエルフが崇高な存在でないことに気づき始めたのだろう。
何も気にすることなく通り過ぎ、さらに廊下を突き進む。等間隔ではあるものの、少しばかり離れすぎている燭台の明かりがわずかに照らす廊下は、黒光りする床板も相まって非常に薄暗い。後ろから急に聞こえてきた軽い足音に振り返ると、死んだはずのカリーニャがついてきていた。エルフってアンデッドだったんだ。初めて知った。勉強になるなあ。
長い廊下の突き当たりにある、全面に藁葉紙が貼り付けられた引き戸を開くと、行灯の揺らぐ明かりに照らされる、部屋一面に藁筵が敷かれた、土壁と板張り天井の広い部屋があった。マーサはそのままズカズカと入ってゆくと、部屋の中央にあるテーブル脇に立ち、僕たちを手招きする。初めて見る意匠の部屋に目を奪われているカリーニャ。やはり宿屋の娘としては、同業者の様子は興味深いようだ。
部屋の中に同泊者の姿は見当たらない。もしかしたら、この広い部屋を三人で借り切ることになるのだろうか。なんだか勿体ないような思いを抱きながら、部屋の隅に背嚢と小銃を置き、身軽になった体を少し伸ばす。
僕とカリーニャが席に着くと、部屋の隅から大きな椅子を持ってきたマーサがそれに腰掛ける。そして彼女が卓上のポットから、備え付けの陶器の茶碗に何かを注いでくれた。琥珀色のその液体は、まるでトウモロコシの蒸留酒のようだ。
「マーサ、ごめん。せっかく淹れてもらったのにすまないけど、僕、酒が飲めないんだ」
「なんと、そうだったか。しかし安心しろ。これは酒ではない。煎じ茶というものだ。この近辺で採れる木の葉を煎って湯に浸すと、このような色の飲み物になる。私はいつもこれが楽しみでな」
『なんだか日本の温泉宿みたいな雰囲気ね。残念ながら畳敷きではないし、お茶もなんだかよく分からないものだけど、結構いいじゃない』
「ねえねえ、お風呂。お風呂はどこなのですかー、中佐どのー」
『ほんと、どれだけ風呂が好きなのよ、このエルフは』
「安心しろ、カリーニャ。ほれ、ここに風呂はある」
マーサがおもむろに立ち上がり、彼女の背後一面に天井から下がっていた簾を巻き上げると、そこには篝火の焚かれた、小さな中庭があった。玉砂利が敷かれた庭の中央には、大人が五人以上も入れるほどの湯船が置かれている。巨大な岩をくりぬいて造ったと思われるその湯船には、屋根から下がる竹筒から湯が注ぎ込まれており、湯気が漂うその光景にカリーニャは目を輝かせていた。




