第5話 エルフ殺すにゃ刃物はいらぬ 脱いだ靴さえあればいい
あまり見たことのない形式の薄暗い玄関に戸惑いながら、土間からそのまま足を踏み入れようとすると、マーサの大きな声が響いた。
「ノエル、そのまま上がってはいけない! ここでは履き物を脱ぐんだ」
「そうだよ、脱ぐんだよーって、私も木靴のままで上がっちゃったんだけどねー。でも裸足はやっぱり、すっきりして気持ちいいね」
確かに、土間にはカリーニャの木靴が揃えられている。しかし、マーサの靴は見当たらない。不思議に思って彼女の足下を見ると、大きな麻袋が左右の足首をそれぞれ覆っていた。
「ああ、これか。私も本当は靴を脱ぎたいところだが、そのためには太腿の脚鎧から順に脱いでいかんとならん。それでは流石に手間がかかりすぎるので、特別に袋で覆って上がることを許して貰っているのだ」
足首を麻袋に突っ込んだ巨人の姿は何とも滑稽で、そこだけを見ればまるで道化師に思える。まあそんなことは、口が裂けても言わないが。
しかし、こんなところで靴を脱いで盗られはしないのだろうか? それに緊急事態に対処するためにも、あまり靴は脱ぎたくない。
「心配しなくても大丈夫だ。履き物は、後で宿の者が部屋まで届けてくれる。出かける際に、部屋に忘れぬよう気をつけてさえいればいいのだ。だが、私と同じように脱ぎにくい靴だというのなら、麻袋を頼んでやるが?」
外出するときに履き物を忘れる馬鹿はいないだろう。まあ、ここでごねていても始まらないので、僕もブーツを脱ぐことにしよう。幸いこの履き物は脱ぎやすいので、魅惑の麻袋は断った。
上がり框に腰を下ろし、靴紐の結び目を解く。交互にホールを通る紐に指を掛けて均等に前へ引き出すと、適度に締め付けられていた足首が解放感に包まれる。そのまま踵を掴んで足を引き抜くと、苦労することなくブーツが脱げた。
ふと視線を感じたので振り向くと、カリーニャとマーサが興味深そうに、僕のブーツを見つめていた。
「その長靴、そんなに脱ぐのが簡単なのか。見た感じ、脱ぎ履きが大変そうだと思っていたのだが、全くそんなことは無かったのだな」
「ほんとだ~。今まで、あまり気にしてなかったけど、よく見るとノエルの靴って独特だよね~」
二人はそう言って、しげしげと興味深そうにブーツを見る。
これは、RATブーツと呼ばれる僕の大切な履き物だ。RATとはRugged All Terrainの略だそうで、山岳路や岩場といったほとんどの悪路に対応できる軍靴として、ステイツ配下の職人が創り出したものらしい。脛の中程まで包み込むこのブーツは、多少の沢を歩くぐらいでは中に水が侵入せず、そのくせ蒸れることもない。小柄な僕の足にはちょっと大きいが、ちょうどよい詰め物をすれば快適で、この履き心地を知ってからというもの、他の靴が履けなくなってしまった。
このブーツで僕が一番気に入っているのは、履き心地もさることながら、その履き易さだ。スッと足を入れてから二本の靴紐を同時に引き上げると、瞬時にギュッと足を締め上げて、適度にフィットする。この「スピードレーサー」という工夫には、本当に感心する。
「ちょっと見せてよ~。ノエルの靴って面白そ~」
そう言いながら、僕の返事を待つこともなく、カリーニャは脱いだ右側のブーツを手にした。
「どれどれ、お姉さんが見てあげる。へえ~、何だか不思議な造りだね。中が袋状に縫い合わされているよ。どれどれこれは――ギョエ!」
カリーニャはブーツの中をのぞき込んだかと思うと、突如妙な声を上げて仰け反った。
「く……、くさっ! 死ぬ! 死ぬる。死んでしまう。無念じゃ……」
ブーツを持ったまま床に倒れるエルフの相手をすることなく、もう片方も脱いだ僕は、横たわる少女の手から靴を取り戻すと、木靴の隣に並べた。そして、裸足で上がり框に足を乗せる。指先の破れた薄い靴下を通して感じる、ひんやりとした木の床が、治りかけている足裏の傷に気持ちよい。
僕が無事に入宿の儀式を済ませたことを見届けると、マーサは帳場に向かう。彼女について短く狭い廊下を抜けると、高い天井のホールがあった。その壁には様々な魚の剥製らしきものが飾られている。天井からも大型魚類の展示物が幾つかぶら下がり、燭台の揺らめく灯りに幻想的な姿を泳がせていた。
『なんてことなの! こんな所にあるなんて思わなかったわ!』
急にソニアが素っ頓狂な声を上げると、ブーツを履いたままの姿でホールの中ほどに向けて小走りする。彼女の妙な様子が気になった僕は、入宿の手続きをマーサに任せると、ソニアの後に続いた。




