群れの長
7
巨大なオオカミが、もう一度右の前脚を振り抜いた。
「くそっ!」
俺は地面を蹴り、横へ飛ぶ。
直後、さっきまで立っていた場所を三本の斬撃が通り抜けた。大木の根が深く削られ、土と木くずが跳ね上がる。
あんなもの、まともに食らったら終わりだ。
ステータスをチラリと確認する。残っている魔力は三。
《リプレイ》を使えるのも、あと三回だけ。
「ジョー! 近づくぞ! 離れてたら一方的にやられる!」
「ウキッ!」
ジョーが角材を握り直す。
ボスオオカミの後ろでは、残った三匹が低く唸っていた。そのうちの一匹が前へ出ようとしたが、ボスオオカミが牙を見せると足を止める。
来るなとでも言っているのか?
ボスオオカミは俺たちへ向き直り、ゆっくりと距離を詰めてきた。
足元には仲間の死体が転がっている。それを踏まないように避けながら、俺とジョーを交互に見ている。
「自分だけでやるつもりか」
ありがたい。
四匹同時に来られるより、ずっとましだ。
俺は斧を構え、ジョーと左右に分かれた。
先に仕掛けたのはジョーだった。
「ウキィッ!」
角材を振り上げ、ボスオオカミの横腹へ殴りかかる。
ボスオオカミがジョーへ顔を向けた。
その隙に、俺も反対側から走る。
「もらった!」
首を狙い、斧を振り下ろす。
「《リプレイ》!」
身体が登録した動きをなぞる。
これで終わりだ!
だが、斧の刃が触れる直前、ボスオオカミは頭を横へずらした。
刃先が首の毛を掠める。
「惜しい!」
あと少しだった。
すぐに斧を引こうとしたが、その前にボスオオカミが肩をぶつけてくる。
「ぐっ!」
身体が浮き、地面へ転がされた。
ボスオオカミは追ってこない。
俺から視線を外し、今度はジョーへ前脚を振る。
「ウキッ!」
ジョーは角材で受けようとしたが、止められるはずもなかった。
角材ごと弾き飛ばされ、大木の根へ背中から叩きつけられる。
「ジョー!」
「ウ、キィ……」
返事はある。少なくとも意識は失っていない。
ボスオオカミがジョーへ近づこうとしたとき、頭上から小さな風の塊が飛んできた。
「ウキィー!」
パンの魔法が、ボスオオカミの耳へぶつかる。
ボスオオカミは顔を振り、木の洞を見上げた。
その隣では、アブーも両手を突き出している。
「ウキュッ! ウキュッ!」
けれど、何も出ない。
アブーは何度も手を振り、自分の手のひらを覗き込んだ。
「今はパンの近くにいろ!」
俺の声に反応したのか、アブーは一度こちらを見る。それでも諦めきれないらしく、もう一度だけ両手を突き出した。
やはり、何も起こらなかった。
「こっちだ、でかいの!」
地面を蹴り、ボスオオカミへ斧を振る。
ボスオオカミが俺へ顔を戻した。
右の前脚が上がる。
斬撃を飛ばされる前に、さらに踏み込む。
「《リプレイ》!」
二度目の振り下ろし。
距離は完璧だ。今度こそ当たる。
そう思ったのに、斧はまた首のすぐ横を通り過ぎた。
「またかよ!」
ボスオオカミの前脚が、俺の肩を引っかく。
服が裂け、遅れて熱い痛みが走った。
「ぐあっ!」
斧を落としそうになりながら、後ろへ下がる。
傷は深くない。
あの爪なら、もっと深く抉れたはずだ。
ボスオオカミは追ってこなかった。低く唸りながら、俺が斧を構え直すのを待っている。
「なんだよ……」
斧が外れたときもそうだ。
一度目も二度目も、こいつは刃が当たる直前まで動かなかった。
俺の攻撃が惜しかったんじゃない。
こいつが、わざとぎりぎりで避けている。
「遊んでやがるのか」
ボスオオカミの口元から涎が垂れる。
倒れた仲間へ一度だけ目を向けたあと、また俺を見た。
すぐには殺さない。
仲間を殺した俺たちを、痛めつけるつもりらしい。
「おいおい。性格悪すぎるぞ……!」
ジョーが角材を杖代わりにして立ち上がる。
「ウキィッ!」
片手をボスオオカミへ向けると、小さな風の球が作られた。
最初に使ったものより、ずっと小さい。
それでもジョーは腕を突き出し、風の球を放った。
ボスオオカミは横へ跳び、簡単に避ける。
風の球が地面へぶつかり、土を巻き上げた。
「ジョー、もう一回だ!」
「ウキッ!」
ジョーが再び手を向ける。
今度は、風が集まるまでに時間がかかっていた。
俺は腰の果物ナイフを抜き、舞い上がった土に紛れて走る。
ボスオオカミの顔がジョーへ向いた。
今なら、避けるのが少し遅れるかもしれない。
「《リプレイ》!」
残った魔力をすべて使い、ナイフを投げる。
刃先を前へ向けたまま、ナイフが飛んでいく。
ボスオオカミは、ナイフが目の前まで来てから顔を傾けた。
また、ぎりぎりだ。
ナイフは頬の毛だけを切り、その後ろへ飛んでいく。
「くそっ!」
外れたナイフが、大木の近くで倒れていたオオカミへ突き刺さった。
ジョーの魔法をまともに食らった一匹だ。
まだ生きていたらしく、脚が小さく跳ねる。
そちらへ目を向けた瞬間、ボスオオカミが目の前まで迫っていた。
「しまっ――」
前脚が脇腹へ叩き込まれる。
爪で斬られたというより、太い丸太で殴られたような衝撃だった。
息が止まり、身体が地面を転がる。
「がっ……はっ……!」
肺に空気が入らない。
起きろ。
早く立たないと。
両手を地面につくが、腕に力が入らなかった。
「ウキィィッ!」
ジョーが俺とボスオオカミの間へ入る。
集めていた風を至近距離から放つが、ボスオオカミは前脚で顔を守りながら耐えきった。
さっきまでのオオカミなら吹き飛ばせていたはずなのに、ボスオオカミは毛を大きく揺らしただけだ。
「ウ、キ……」
ジョーの腕が下がる。
肩で激しく息をしていた。もう魔法を使う力が残っていないらしい。
ボスオオカミが前脚を振る。
「ウギャッ!」
ジョーの身体が横へ飛び、角材が手から離れた。
「ジョー……!」
呼びかけると、ジョーの指がわずかに動く。
だが、起き上がれない。
「ウキィー!」
パンが風の塊を放った。
一発。
二発。
ボスオオカミは鬱陶しそうに顔を振るが、足を止めない。
パンがもう一度手を伸ばす。
「ウ、キィ……」
今度は風が出なかった。
その場へ座り込み、痛めた脚を押さえている。
アブーがパンの肩を揺らした。
「ウキュッ、ウキュッ!」
パンはアブーを自分の後ろへ隠し、俺たちを見下ろしていた。
《リプレイ》は使い切った。
ジョーもパンも魔法を使えない。
俺は脇腹を押さえ、どうにか立ち上がる。
やばいな。
絶体絶命ってやつだ。
ボスオオカミは何もせず、こちらを見ていた。
俺が立つのを待っているんだ。
「そんなに遊びたいなら……最後まで付き合ってやるよ」
地面に落ちた斧を拾い、両手で構える。
強がってはみたものの、腕も脚も震えていた。
ボスオオカミへ近づき、斧を横から振る。
もう力が残っていない。自分でも笑えるくらい遅い一撃だった。
当然、簡単に避けられる。
爪が胸元を掠め、服がまた裂けた。
続けて斧を振り下ろす。
これも当たらない。
今度は前脚で肩を押され、尻餅をついた。
「くそっ……」
届かない。
何度振っても、当たる直前に避けられる。
それでもボスオオカミは、俺の首を狙わなかった。
腕や肩、脇腹ばかりを傷つけてくる。
後ろでは、三匹のオオカミが動かずに見ていた。
こいつらにとっては、俺たちが痛めつけられるところを眺める時間なのかもしれない。
斧を杖代わりに、もう一度立とうとする。
膝が上がらない。
ボスオオカミも、それに気づいたようだ。
これ以上は遊べないと判断したのか、ゆっくりと近づいてくる。
逃げないと。
頭では分かっているのに、身体が動かなかった。
ボスオオカミが俺の前で止まり、右の前脚を持ち上げる。
避けられない。
あれを振り下ろされたら、今度こそ終わる。
「ウキュー!」
頭上から甲高い鳴き声が響いた。
小さな風の塊が飛んでくる。
それはボスオオカミの顔へぶつかり、弾けた。
「ガウッ!?」
不意を突かれたボスオオカミが顔を背ける。
前脚を上げていたせいで踏ん張れず、巨体が横へ傾いた。
誰が撃った?
パンはもう動けない。
木の洞を見上げる。
アブーが両手を前へ突き出していた。
自分でも何が起きたのか分かっていないらしい。目を丸くし、開いた手を見ている。
「お前、魔法を……!」
驚いている場合じゃない。
この隙を逃したら、次はない。
「うおおおっ!」
斧を掴み、倒れかけたボスオオカミの懐へ飛び込む。
全身の力を使い、斧を振り上げた。
ボスオオカミが俺を見る。
体勢を崩しているくせに、その目にはまだ余裕が残っていた。
斧が振り下ろされるのを見てから、首を動かそうとしている。
まただ。
また、ぎりぎりで避けるつもりだ。
くそっ。
これじゃ、さっきまでと同じだ!
斧の刃が、ボスオオカミの顔へ迫る。
やつの頭が横へ動き始めた。
その瞬間、頭の中に声が響いた。
〖フォレストウルフを討伐しました〗
〖50Pを獲得しました〗
〖レベルが上昇しました〗
腕に、ほんの少しだけ力が戻る。
振り下ろした斧が僅かに、僅かにだが速度を上げた。
「ガアァッ!」
斧の刃が、ボスオオカミの顔へ食い込む。
ぎりぎりで避けるつもりだったこいつには、そのわずかな差が大きかった。
ボスオオカミが初めて悲鳴を上げる。
斧が食い込んだのは額から頬にかけて。致命傷には届いていないが、赤い血が片目へ流れ込んでいく。
ボスオオカミは激しく頭を振り、斧を弾き飛ばそうとした。
「離すか!」
柄を両手で掴み、力任せに引き抜く。
血が飛び散った。
さっきまで俺をいたぶっていたボスオオカミが、大きく後ろへ跳ぶ。
その目から、余裕が消えていた。
「今さら逃げるのかよ!」
逃がしたら、立て直される。
もう一度、あの斬撃を飛ばされたら終わりだ。
震える脚を前へ出し、強引に距離を詰める。
ボスオオカミが牙を剥いた。
「ガアァッ!」
今度は避けない。
血に濡れた顔のまま地面を蹴り、一気に噛みついてくる。
「うおっ!」
開いた顎が目の前まで迫る。
俺は身体を横へ投げ出した。牙が肩を掠め、服と皮膚をまとめて裂いていく。
痛い。
けど、止まったら殺される!
地面へ片膝をついたまま、斧を横から振る。
刃が右の前脚へ食い込んだ。
「ギャウッ!」
ボスオオカミの巨体が揺れる。
だが、倒れない。
残った左の前脚を振り上げ、俺の頭を狙ってきた。
すぐに斧を抜こうとするが、骨に引っかかって動かない。
「抜けろ! このっ!」
両手で柄を引く。
斧が抜けたのと、爪が振り下ろされたのはほとんど同時だった。
身体を捻る。
三本の爪が腕を掠め、血が飛んだ。
続けてボスオオカミが頭を下げ、俺へ牙を伸ばす。
避ける余裕はない。
俺は逃げずに一歩踏み込み、斧を傷ついた前脚へ振り下ろした。
「だああっ!」
刃がさっきと同じ場所へ食い込む。
鈍い音がした。
右の前脚が折れ曲がり、ボスオオカミの身体が地面へ崩れる。
「ギャウッ!」
倒れながらも、ボスオオカミは残った前脚を振り回した。
俺の脇腹へ爪が迫る。
避けきれない。
斧の柄を間に差し込み、どうにか受ける。
「ぐっ!」
強い衝撃に両腕が痺れ、身体が後ろへ押された。
それでも斧は手放さない。
ボスオオカミが前脚一本で立ち上がろうとする。何度も地面を引っかくが、傷ついた脚では巨体を支えられない。
「散々やってくれたな……!」
斧を握り直し、肩へ叩き込む。
刃が深く食い込み、ボスオオカミの身体が地面へ沈んだ。
それでも終わらない。
ボスオオカミは首だけを持ち上げ、俺へ噛みつこうとする。
血に濡れた牙が迫る。
横へ回る力は残っていない。
俺は片足を引き、正面から斧を振り上げた。
「これで――」
ボスオオカミが大きく口を開く。
「終わりだ!」
牙が届くより先に、斧を首へ振り下ろした。
刃が毛皮を裂き、その奥へ深く食い込む。
ボスオオカミの身体が一度だけ大きく跳ねた。
振り回されていた前脚が地面へ落ち、そのまま動かなくなる。
俺は斧を握ったまま、しばらく動けなかった。
〖グレーターウルフを討伐しました〗
〖300Pを獲得しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが上昇しました〗
〖レベルが10に到達したため、《職業》が解放されました〗
〖Fランクの魔物を初めて討伐しました〗
〖初回討伐報酬として、10連ガチャ券を獲得しました〗
一気にレベルが六も上がりやがった。
ボスを倒す前がレベル五だったから、今はレベル十一か。
どんだけ格上だったんだよ。
それに《職業》?
ますますゲームみたいになってきたな。
十連ガチャ券まで貰えたのは嬉しい。命を懸けた分の見返りはあった……いや、もう二度とこんな戦いはしたくないけどな。
まだ終わっていない。
後ろにいた三匹が、低く唸りながら後ずさる。
俺はグレーターウルフの首から斧を引き抜き、振り返った。
「まだ、やるか?」
声は震えていた。
今襲われたら、まともに戦える自信なんてない。
だが、三匹は動かなかった。
俺と倒れたグレーターウルフを交互に見たあと、そろって森の奥へ逃げていく。
もちろん、追う力なんて残っていない。
「はあっ……はあっ……」
斧から手を離し、その場へ座り込む。
倒れていたジョーが顔を上げた。
「ウ、キィ……」
「生きてるか?」
「ウキッ……」
「なら、よかった」
俺も人の心配をしている場合じゃないけどな。
木の洞を見上げる。
アブーはまだ、自分の両手を不思議そうに見つめていた。
「やったじゃねえか、アブー」
「ウキュ……?」
アブーが首を傾げる。
たぶん、本人が一番分かっていない。
「まあ、いいか。助かったよ、アブー」
「ウキュッ!」
今度は伝わったらしい。
アブーは両手を上げ、嬉しそうに跳ねた。すぐにパンがその身体を抱え、洞の奥へ引き戻す。
危ない危ない。助かった直後に木から落ちるのは勘弁してくれ。
その姿を見た途端、身体から力が抜けた。
勝った。
本当にぎりぎりだった。
アブーが魔法を使えなかったら、あのオオカミが最後まで油断しなかったら、ナイフが倒れていた一匹に刺さっていなかったら。
どれか一つ違うだけで、今ごろ俺は死んでいた。
「あー……もう動けねえ!」
地面へ仰向けに倒れる。
痛いところだらけだが、少し休めば起きられるはずだ。
たぶん。
起きられると信じたい。
とりあえず、今は休もう。




