緑のサル
4
犬も歩けば棒に当たる。
俺も歩けば川に当たる。
「川だああああっ!」
バインドスネークを倒してからも、俺は当てもなく森を歩き続けていた。
どちらへ進めば水場に着くのかなんて分からない。それでも止まっているよりはましだと思い、ひたすら前へ進んだ。
途中、木の根に足を引っかけた。
「うおっ!」
何とか転ばずに踏みとどまる。
顔を上げると、少し先の茂みの向こうが明るく見えた。
森を抜けられるのか?
そう思って枝をかき分けてみる。
そこで、川を見つけた。
幅は五メートルほど。澄んだ水がゆっくりと流れ、水底の小石まではっきり見える。
「いやー、綺麗な川ですねえ!」
まさに清流。
こんなに綺麗で優雅な川、見たことないっすよ。さすが川さん。ここまで歩いてきた俺を裏切らない。
ひとしきり川を褒めたところで、気づいた。
「これ、生で飲んで大丈夫か?」
見た目は綺麗だ。
でも、上流で動物が糞をしているかもしれない。水の中に寄生虫や、目に見えない変なものがいる可能性もある。
煮沸できればいい。
火はない。
「……蛇の血を飲んだあとで、何を気にしてるんだって話だけど」
あれを飲めたなら、川の水くらい余裕だろ。
いや、そういう問題か?
少し迷ったあと、リュックから水筒とハンカチを取り出した。
岸辺には大きさの違う足跡がいくつも残っている。どんな動物のものかは分からないが、ここへ水を飲みに来ているらしい。
近くの茂みや木の陰を確認する。
今のところ、動いているものはいない。
「よし」
水筒の口へハンカチを被せ、そのまま川へ沈める。
「冷たっ!」
指先に触れた水は、驚くほど冷たかった。
ハンカチでは、寄生虫や目に見えないものまでは防げない。
それでも、砂や小石が入るのは避けられるだろう。
水筒の中から空気が抜け、代わりに水が入っていく。
しばらく待ってから引き上げると、二リットルほど入りそうな水筒が、縁まで満たされていた。
重い。
ただ、今はその重さすらありがたかった。
「まずは一口だけ……」
水筒へ直接口をつけ、少し傾ける。
冷たい水が口へ入った。
「う……」
飲み込む。
「うまい!」
なんだこれ。
水の旨味が爆発している!
コンビニの天然水でも、ここまでうまくなかったぞ。
まあ、喉が渇いていただけですね。
一口だけで全部飲み干したくなったが、何とか我慢する。
川辺の石へ腰を下ろし、腹に異変が起きないか待つことにした。
たぶん十分くらい経ったと思う。
腹は痛くない。吐き気もない。
「ヨシ! 安全!」
期限を一週間くらい過ぎた牛乳を飲んでも大丈夫だったことがある。
つまり、俺の腹は鋼鉄製だ。
たぶん。
俺は水筒を傾けた。
さっきより多めに飲む。
うまい。
まだ飲みたい。
少し呼吸を置いて、もう一度。
「ああ~、生き返るんじゃ~」
桃缶のシロップを飲んだとはいえ、足りていなかったらしい。
喉の痛みが少しずつ引き、ぼんやりしていた頭も動き始めた。
そのまま何回かに分け、水筒の半分ほどを飲む。
まだいける。
ただ、これ以上飲むと腹が水で膨れて動きにくくなりそうだ。
「このくらいにしておくか」
俺はもう一度、ハンカチを被せた水筒を川へ沈めた。
減った分を補充し、蓋をしっかり閉める。
ついでに、バインドスネークの血が残っていた果物ナイフと斧も川で洗った。
首の傷はまだ少し痛む。血は止まっているが、触ると皮膚が突っ張った。
まあ、この程度なら動ける。
水筒をリュックへ戻し、背負ってみる。
「うおっ、重いな……」
缶詰が九個。
水が約二リットル。
そこへ斧や角材、縄なども加わっている。
全部合わせれば、かなりの重さになる。
レベルが上がる前だったら、この荷物を背負って森を歩き回るのはキツかっただろう。
筋力が上がっていて本当によかった。
「さて、これからどうするか」
川を下っていけば、どこかには着くかもしれない。
町や村があるとは限らない。
滝かもしれないし、湖へつながっている可能性もある。
それでも、目印もなく森を歩くよりは戻りやすい。水にも困らない。
「川沿いを進むのが無難だよな」
問題は、今の俺がまだ弱いことだ。
昨日はフォレストウルフに勝てた。
今日はバインドスネークも倒した。
だが、どちらも少し間違えれば死んでいた。
森を出るまでに、もっと強い相手が現れるかもしれない。
せっかく水と食料を確保できたんだ。
少しくらい、レベルとガチャポイントを稼いでおくのも悪くない。
「ガチャからルーラみたいなものが出てくるかもしれないしな」
森から一瞬で脱出できる道具。
★4か、下手をすれば★5くらいありそうだけど。
それでも、引かなければ可能性はゼロだ。
さっきみたいに、引けることを忘れて蛇の血を飲むのも嫌だしな。
岸に残る足跡を見る。
水を飲みに来る動物なら、川沿いで待てば見つけやすいかもしれない。
ただし、獲物だけが来るとは限らない。フォレストウルフより大きな肉食獣が来る可能性もある。
「川を下りながら、倒せそうなやつだけ狙うか」
移動と狩りを一緒にする。
我ながらいい考えだ。
そう決めたところで、木々の間から見える空を確認する。
すでに日が傾き始めていた。
「今日は無理だな」
朝から歩き続け、バインドスネークとも戦った。
今から狩りを始めて、また暗くなってから寝床を探すのは避けたい。
まずは今夜の寝床だ。
◇
「おっ、洞穴」
川から少し離れて歩いていると、岩肌に開いた穴を見つけた。
入口は昨日使ったものより少し狭いが、奥行きは十分ある。中に糞や骨はなく、変な臭いもしない。
「今日もいい感じの洞穴が見つかったな」
二日続けて、暗くなる前に寝床を確保できた。
俺、意外と運がいいのかもしれない。
深く考えず、昨日と同じように入口へ枝や葉を立てかける。その前には細い枝を敷き、簡易警報も作っておいた。
寝床を確保したあとは、焼き鳥缶を一つ開けた。
温めていないので脂が少し固まっていたが、それでも十分うまい。甘辛いタレまで残さず食べ、空き缶は水で軽く洗ってリュックへ入れておく。
これで残りの缶詰は八個。
斧を手の届く場所へ置き、リュックを枕にして横になる。
地面は相変わらず硬い。
「明日こそ、葉っぱを敷こう……」
たぶん、明日も忘れる気がする。
「それでは、おやすみなさーい」
スヤァ……。
◇
翌朝。
「あー、よく寝た」
身体を起こし、両腕を上へ伸ばす。
背中と腰が痛い。
地面へ直接寝ているんだから、当然だ。
それでも、昨日の朝よりは目覚めがいい。
喉が渇いていない。それだけで、ここまで違うらしい。
「結局は心の問題だよな」
いや、水分の問題か。
首の傷も確認する。
赤い線は残っているが、血は出ていない。昨日より痛みも弱くなっていた。
「さて、ゆっくり川へ向かう準備でもしますかーっと」
斧を持ち、入口を塞いでいた枝へ手をかける。
一本ずつ外していく。
最後の枝を横へ動かした瞬間、隙間の向こうに緑色の毛玉が見えた。
「ウキッ!?」
「うわぁっ!」
俺と緑の毛玉が、同時に声を上げる。
サルだ。
緑色の毛に覆われた、小さなサル。
こいつ、枝の隙間から俺を覗いてやがった。
俺は反射的に斧を両手で構えた。
「ウキッ! ウキキキ! ウキキッキー!」
緑サルは慌てて後ろへ跳び、両手を頭の横まで上げた。
降参のポーズだろうか。
少なくとも、すぐに襲ってくる様子はない。
それでも斧は下ろさない。
昨日までに出会った生き物は、全部向こうから襲ってきた。
こいつだけ例外だと決めつけるのは早い。
「なんだ? 何がしたいんだ?」
「ウキ。ウキキッ」
緑サルは両手を見せたまま、何度も頭を下げる。
地面を指差し、自分を指差し、最後に俺を指差す。
「……分からん」
何かを伝えようとしていることだけは分かる。
鳴いているだけではない。俺の反応を見ながら、身振りを変えている。
なんというか、かなり頭がよさそうだ。
おさるのジョー○的な。
俺は斧を片手へ持ち替えた。
下ろしきったわけではない。何かあれば、すぐ振れる高さに残しておく。
それを見た緑サルは、頭の上で両手を叩いた。
「ウッキー! ウキウキ!」
嬉しそうだな。
緑サルは自分の後ろへ手を伸ばし、赤い果実を取り出した。
丸い。
大きさはリンゴくらいだ。
果実を指差し、それから俺を指差す。
「俺にくれるのか?」
「ウキッ!」
たぶん、そうらしい。
俺が近づかずにいると、緑サルの方からゆっくり距離を詰めてきた。
斧を見て、一度止まる。
そこから腕だけを伸ばし、赤い果実を差し出してきた。
俺も斧を持ったまま、空いている手を伸ばす。
果実を受け取った。
「……毒とかないよな?」
見た目だけなら、普通にうまそうだ。
甘い匂いもする。
だが、この世界には見るからに毒々しい果実もあった。赤くて丸いからといって、安全とは限らない。
缶詰も八個ある。
無理に食べる必要はなかった。
俺が果実を眺めたまま動かないでいると、緑サルが首を傾げる。
「ウキ?」
「いや、ちょっと考えてるだけ」
「ウキキッ」
緑サルは何かに気づいたように頷き、俺の手から果実を取った。
「あっ」
そのまま大きく口を開け、一口齧る。
しゃくっ、といい音がした。
緑サルは何度か噛んで飲み込み、また俺へ果実を差し出す。
安全だと証明しているつもりらしい。
サルが食べられるからといって、俺が食べても平気とは限らない。
そこは分かっている。
分かっているけど。
「そんな期待した顔で見るなよ……」
緑サルは目を輝かせ、俺が食べるのを待っている。
しかも食べかけだ。
ニコニコしながら渡されたら、余計に断りづらい。
「あー……ありがとう。もらっておくよ」
「ウキッ!」
緑サルが大きく頷く。
まだ食べない俺を見て、さらに顔を近づけてきた。
「ウキ?」
「分かったよ! 食えばいいんだろ、食えば!」
食べかけの反対側へ、少しだけ齧りつく。
しゃりっとした歯ごたえ。
味はリンゴに近い。
そう思った直後、マンゴーのような濃い甘さが広がった。
「う……うまい」
普通にうまい。
かなりうまい。
俺の反応を見た緑サルは、満足そうに何度も頷いた。
「お前、これを食わせたかっただけなのか?」
「ウキキッ!」
緑サルは答えるように鳴いたあと、俺へ背中を向けた。
数歩進んでから振り返り、手招きする。
また進み、こちらを見る。
「ついてこいってことだよな」
罠かもしれない。
仲間のいる場所へ誘い込み、全員で襲ってくる可能性もある。
ただ、こいつは俺が寝ている間から洞穴の前にいた。
本気で襲うつもりなら、入口を開けた瞬間に飛びかかることもできたはずだ。
果実まで渡してきた。
信用したわけではない。
それでも、何を伝えたいのかは気になった。
「少しだけだからな」
「ウキッ!」
緑サルが嬉しそうに跳ねる。
俺は斧を手放さず、少し距離を空けてその後を追った。




