サバイバル..
3
ノドガカワイタ……。
目が覚めた瞬間、頭に浮かんだのはそれだけだった。
口の中はからからで、舌が上顎に張りつく。唾を飲み込もうとしても、そもそも唾が出てこない。
「水……」
昨日この森で目覚めてから、一滴も飲んでいない。
水筒はある。中身は空だけど。
人間って、丸一日近く水を飲まないだけで、こんなに喉が渇くのか。
洞穴の入口を塞いでいた枝の隙間から、朝の光が差し込んでいる。
昨夜は二度目の襲撃もなく、どうにか朝まで眠れたらしい。身体は少し重いが、怪我はない。
そろそろ出るか。
身支度と呼べるほどのことはない。
斧を持ち、果物ナイフを腰へ差す。空の水筒や縄を入れたリュックを背負えば準備完了だ。
「今日こそ絶対に水を見つける」
洞穴を出て、俺は森の中へ歩き始めた。
◇
川の探し方なんて、もちろん知らない。
低い方へ進めば水があるかもしれない。そんな話をどこかで聞いた覚えはあるが、森の中ではどちらが低いのかも分かりにくかった。
結局、歩きやすそうな方向へ進むしかない。
少し歩くと、昨日フォレストウルフとホーンラビットの死体を置いた場所へ出た。
「あれ?」
二匹の死体がなくなっている。
血の跡と、潰れた草だけが残っていた。
しゃがんで周囲を見ると、地面に太い跡が続いている。何かが死体を引きずっていったらしい。
フォレストウルフだけならともかく、ホーンラビットまできれいに消えている。
「あれを持っていけるやつが、この近くにいるんだよな……」
少なくとも、森には俺と戦った二匹以外の動物もいる。
できれば出会いたくない。
引きずった跡を追う気にはなれず、俺は反対方向へ進んだ。
油断大敵だ。
昨日みたいに調子に乗らず、今日は慎重に行こう。
◇
歩いた。
とにかく歩いた。
幸い、昨日のような動物には遭遇していない。
ただ、水場も見つからなかった。
歩けば歩くほど、喉が渇く。
最初はガチャだのステータスだので浮かれていた。でも今は、そんな余裕は完全に消えている。
「キツい……」
木の幹へ手をつき、少し休む。
このまま進んで、本当に水場が見つかるのか?
探す方向を変えた方がいいんじゃないか?
でも、どちらへ行けばいい?
考えても答えは出ない。同じことばかり頭の中を回っている。
休んでいる間も喉の渇きは消えなかった。
立ち止まっていても水は来てくれない。
「行くしかないか……」
木から手を離し、また歩き始める。
そのとき、前方の草が揺れた。
足が止まる。
細長い頭が、草の間から持ち上がった。
「蛇……?」
見た目は蛇だ。
ただし、俺が知っている蛇よりずっと大きい。
草の中から次々に身体が出てくる。全長は三メートル以上。胴も俺の腕くらい太かった。
コブラというより、ニシキヘビに近いだろうか。
本物は見たことないけど。
「クソッ……勘弁してくれよ」
今はお前に構っている暇なんてない。
蛇は俺を見たまま、首を低くした。
逃げてくれないかな。
そんな期待は、すぐに消えた。
蛇が地面を這い、一気に近づいてくる。
「速っ!」
俺は斧を両手で構えた。
普通に振って外したら、次の攻撃が間に合わない。
なら、最初から使う。
「リプレイ!」
身体が勝手に動き、斧が振り下ろされる。
狙いは蛇の頭。
これなら当たる。
そう思った瞬間、蛇は頭を横へ振り、斧が当たる部分だけをくねらせた。
鉄の刃が地面へ食い込む。
「避けるのかよ!」
《リプレイ》は、俺の動きを正確に再現してくれる。
だが、相手が動かないとは限らない。
当たり前の話だ。
蛇は止まらなかった。
斧を引き抜くより早く、俺の足元へ潜り込んでくる。
噛まれる。
そう思い、慌てて脚を引いた。
しかし、蛇は噛みついてこなかった。
太い身体が右足首へ巻きつく。
「うわっ!」
足を振る。
蛇は離れない。
それどころか、足首から脛、膝へと身体を巻きつけながら登ってきた。
「やめろ! 気持ち悪い!」
斧を手放し、両手で蛇の身体を掴む。
冷たい鱗が手の中で動く。力任せに引き剥がそうとしても、少しも緩まなかった。
俺の脚を締めつけながら、さらに太腿へ登ってくる。
腰。
腹。
胸。
上へ来るほど締めつけが強くなっていった。
「くっ……このっ!」
蛇の身体を何度も殴る。
硬い。
拳が痛くなるだけで、蛇は微動だにしない。
腰のナイフを使うか?
いや、こんな状態で刺したら自分の腹や脚まで刺しかねない。
迷っている間にも、蛇は俺の肩へ身体を回した。
太い胴が首へかかる。
「ぐっ……!」
一気に息ができなくなった。
両手を蛇と首の間へ入れようとする。指先すら入らない。
マズい。
本当にマズい。
首を絞められたら、十秒くらいで意識を失うと聞いたことがある。
正しいかは知らない。
試して確かめる気もない。
視界の端が暗くなり始めた。
ナイフを使うしかない。
自分を刺すかもしれない?
このままでも死ぬ。
俺は腰から果物ナイフを抜いた。
蛇の身体と首の間へ、無理やり刃を押し込む。
刃先を外へ向けたつもりだった。
だが、締めつけられた状態では角度なんて分からない。
「刺されっ……!」
力任せにナイフを突き込む。
蛇の身体へ刃が入った。
同時に、首へ焼けるような痛みが走る。
刃先が自分の皮膚も掠めたらしい。
それでも手を止めず、ナイフを引き抜いてもう一度突き刺す。
蛇の身体が大きく震えた。
締めつける力が、わずかに緩む。
もう一度。
今度は刃が深く入った。
【バインドスネークを討伐しました】
【討伐報酬として、ガチャポイントを40P獲得しました】
蛇の身体から力が抜けた。
俺は首へ巻きついた胴を掴み、無理やり引き剥がす。
肩、胸、腹。
身体へ巻きついていた蛇を全部外し、地面へ投げ捨てた。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
息を吸える。
それだけで、少し笑いそうになった。
「死ぬかと思った……」
いや、普通に死にかけていた。
判断があと少し遅ければ、そのまま絞め殺されていたかもしれない。
首へ手を当てる。
ぬるりとしたものが指についた。
「うわ、血……!」
果物ナイフで掠めた部分から、かなり血が出ている。
傷自体はそこまで深くなさそうだが、場所が悪い。
首だ。
様子を見よう、とは思えなかった。
「仕方ない。ポーションを使おう」
リュックを地面へ下ろし、中から小さな瓶を取り出す。
【★1 ポーション(最低)】
ガチャから出た一本しかない。
できれば残しておきたかったが、血を流し続けるよりはいい。
問題は、飲むのか塗るのか分からないことだ。
「傷薬なら塗る方か?」
瓶の蓋を開け、少しだけ傷へ垂らしてみる。
「痛っ!」
一瞬、傷口が強く染みた。
だが、指で触れてみると血の量が減っている。
「塗る方で合ってる!」
俺は残ったポーションを全部、首の傷へかけた。
傷口が少しずつ塞がり、流れていた血も止まる。
完全に消えたわけではない。赤い線は残っているし、触れば普通に痛かった。
それでも、血が止まっただけで十分だ。
「最低でこれなら、かなり効くな」
助かった。
ただ、ポーションはもうない。
次に怪我をしたら、自力でどうにかするしかなくなった。
俺は空になった瓶をリュックへ戻し、地面へ横たわる蛇を見る。
システムによれば、こいつの名前はバインドスネークらしい。
「蛇、か……」
喉が渇いている。
さっき死にかけたせいで忘れていたが、渇きは何も解決していない。
むしろ叫んだせいで、さっきより酷くなっていた。
そこで、昔見た海外のサバイバル動画を思い出す。
裸同然の格好で荒野を歩き回っていた、やたらワイルドな男だ。
そいつは捕まえた蛇を持ち上げ、カメラへ向かって笑っていた。
『ハッハー! 乾杯だ、相棒! 今夜のワインは蛇から直飲みだぜ!』
そんな感じのことを言って、蛇の血を飲んでいた。
「……飲むか?」
バインドスネークの血。
名前通り、こいつは噛みつかずに締め殺そうとしてきた。毒を持っていない可能性は高い。
高いだけで、確実ではない。
そもそも生き物の血なんて、何が入っているか分からない。腹を壊すかもしれないし、変な病気になるかもしれない。
「ああ……嫌だ」
飲みたくない。
めちゃくちゃ飲みたくない。
でも、水場がいつ見つかるかも分からない。
このまま干からびて死ぬのは、もっと嫌だった。
「やるしかないか……」
斧を拾い、バインドスネークの首へ刃を当てる。
何度か振り下ろし、頭を切り落とした。
太い胴の端を両手で持ち上げ、切断面を顔の上へ向ける。
「ハッハー……乾杯だ、相棒」
まったく楽しくない。
蛇の血が顔へ落ちてくる。
「うっ……!」
生臭い。
元の世界の匂いに例えるなら、スーパーの鮮魚売り場にある魚へ生のままかぶりついた感じだ。
しかも生ぬるい。
口へ入ってきた血は、思っていたよりどろっとしていた。
「んぐっ……!」
吐きそうになる。
それでも鼻をつまみ、無理やり飲み込んだ。
二口。
三口。
そこで限界が来た。
「もう無理!」
蛇の身体を地面へ下ろし、その場で何度も咳き込む。
口の中が全部、生臭い。
水が欲しくて血を飲んだのに、血を洗い流すための水が欲しくなった。
なんだこれ。
◇
あれは酷い経験だった。
まず臭い。
次に、生ぬるい。
そして、どろっとして喉へ張りつく。
本当に飲んで大丈夫だったのか?
今さら考えても遅いけど。
俺はバインドスネークの死体から離れ、少し歩いた場所で木の根元へ座っていた。
さっきよりは身体が動く。
頭も少し回るようになった。
蛇の血が効いたのか、座って休んだからなのかは分からない。
「まあいい。ありがとう、蛇」
襲ってきたけど。
死にかけたけど。
本当にタイミングよく現れてくれた。味については二度と思い出したくない。
そこで、討伐時に聞こえた通知を思い出した。
「そういえば、四十ポイント入ったよな?」
昨日の時点で、ガチャポイントは七十。
バインドスネークを倒して四十増えた。
合計百十ポイント。
「ガチャ引けるじゃん!」
単発一回に必要なのは百ポイント。
十連まで貯めれば★2以上が一つ確定するが、今の俺に千ポイントまで待つ余裕はない。
食料も水も足りない。武器だって、斧と果物ナイフしかない。
「今回は引かせてもらおう」
俺は《ガチャ》を開く。
【ガチャポイント:110P】
【1回:100P】
【10回:1000P】
迷わず一回を押した。
デフォルメされた金色の竜が現れ、頭をぐるりと回す。
口から出てきたカプセルは――銅。
「おおっ! ★2じゃないか!」
単発で一割を引いた。
これは期待していい。
「さあ、何が出る?」
銅色のカプセルへ触れる。
目の前に箱が落ちてきた。
【★2 缶詰セット】
「缶詰……セット?」
箱を開く。
中には十個の缶が、隙間なく詰め込まれていた。
鯖缶。
桃缶。
みかん缶。
焼き鳥缶。
蟹缶。
トマト缶。
ツナ缶。
スパム缶。
コンビーフ缶。
パイン缶。
「ああああああっ!」
思わず叫んだ。
「やったあああああっ! 缶詰だ!」
肉。
魚。
果物。
野菜。
甘いものまである。
「すべてを……すべてを手に入れたぞおおおおお!」
これで食料問題を先延ばしにできる。
桃缶やみかん缶のシロップまで飲めば、水分も取れる。
永遠にとはいかない。
それでも、今日明日を生き延びる余裕はできた。
俺は箱から桃缶を取り出した。
「今すぐ食う!」
缶切りはない。
斧の刃先を缶の縁へ当て、軽く叩いて穴を開ける。そこへ果物ナイフを入れ、蓋を少しずつこじ上げた。
開いた隙間から、甘いシロップの匂いがする。
中には、見慣れた黄色い桃がぎっしりと入っていた。
「桃だ……」
果物ナイフで一切れ突き刺し、口へ運ぶ。
「うっま……!」
甘い。
柔らかい。
何より、冷たくはないのにみずみずしい。
俺は無我夢中で桃を食べた。
缶を傾け、残ったシロップも全部飲み干す。最後は指で底を掬い、一滴も残さないように舐め取った。
「生き返る……」
昨日、おにぎりを食べたときもうまいと思った。
でも、この桃缶は比べものにならない。
果物の水分と甘さが、蛇の血で生臭くなっていた口の中を洗い流してくれる。
人生で一番うまい桃缶だった。
空になった缶を見ながら、しばらく余韻に浸る。
そこで、ふと気づいた。
「……あれ?」
ガチャを引けるようになったのは、バインドスネークを倒した直後だ。
つまり。
「これ、蛇の血を飲む前にガチャを引けばよかったんじゃないか?」
蛇の血を飲む。
少し歩く。
休憩する。
そのあとで、ようやくガチャを思い出す。
順番が完全に逆だった。
「…………」
口の奥に、あの生臭さが戻ってきた気がした。
「まあ、結果よければすべてよしか!」
蛇の血も貴重な経験だ。
二度とやりたくないけど。
ちなみに、残ったガチャポイントは十。
缶詰は九個。
ポーションは使い切った。
首の傷はまだ少し痛むが、血は止まっている。
さっきまでと比べれば、状況はかなりよくなった。
「今の俺は、すこぶる気分がいい!」
桃缶で水分を取れたとはいえ、根本的な問題は解決していない。
水場は必要だ。
空の水筒と九個の缶詰をリュックへ詰め、俺は立ち上がった。
「さあ、水場探しにレッツゴーだ!」
今度こそ寄り道せず、俺は森の中を進み始めた。




