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姉ちゃんが消えた日

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 俺の名前はコンタ。


 誇り高き白狐族の一人で、ここシロミミ村の村長の息子だ。


 シロミミ村には、白狐族以外にもいくつかの獣人族と人族が暮らしている。


 特別な名産品があるわけではない。畑で採れる野菜も、森で採れる薬草も、ほかの村と大して変わらない。


 それでも村には、外から来た冒険者がよく立ち寄る。


 村の近くに、大型ダンジョン《大精霊の聖域》があるからだ。


 村を出た先には、空が見えなくなるほど大きな木が並ぶ森がある。その巨木の森一帯が《大精霊の聖域》の入口だ。中には珍しい魔物や素材があるらしく、遠い町から何日もかけて来る冒険者も少なくない。


 村で食料を買い、傷薬を揃え、酒場でこれまでの冒険を話していく。


 大きな剣で魔物を斬った話。


 仲間が罠にかかって、逆さ吊りにされた話。


 見たこともない宝を持ち帰った話。


 そんな話を聞いて、冒険者に憧れる村の子供は多い。


 姉ちゃんも、その一人――ではなかった。


 姉ちゃんが目を奪われたのは、冒険者ではなく魔法だった。


  まだ俺が小さかった頃、魔物の群れが村の近くまで押し寄せたことがある。

 そのとき、村に滞在していた冒険者が放った炎が、魔物たちをまとめて焼き払った。


 姉ちゃんは、その光景を口を開けたまま見つめていた。


 次の日から、姉ちゃんは変わった。


 それまでは毎日のように俺と遊んでくれていたのに、部屋へ籠もって本を読むようになった。


 朝も本。


 昼も本。


 夜になっても本。


 たまに部屋から出てきたと思ったら、見たこともない道具を庭へ並べている。


「コンタ。少し離れていてください」


「また何か燃やす気?」


「燃やすのではありません。火を出すんです」


「同じだろ」


「まったく違います」


 何が違うのかは、今でも分からない。


 姉ちゃんが魔力を通した直後、道具から火が噴き出し、庭の枯れ草へ燃え移ったこともある。


 父さんとコハク母さんが水を運び、セラ母さんが泣きそうな顔で姉ちゃんを叱っていた。


 それでも姉ちゃんは懲りなかった。


 あるときは、高価な薬草や魔石の粉を使って、一枚の呪符を作り上げた。


「見てください、コンタ。治癒魔術の呪符が完成しました」


「へえ。どうやって試すんだ?」


「こうします」


 姉ちゃんは小さな刃物を取り出し、自分の腕へ浅い傷をつけた。


「何してんだよ!」


「傷がなければ、治るか確かめられないでしょう?」


「先に言えよ! 怖いから!」


 姉ちゃんが呪符を傷へ当てると、淡い光が広がった。


 血は止まり、傷口もほんの少し塞がった。


 だが、それだけだった。


 呪符一枚を作るために使った材料は、普通の傷薬を何本も買えるほど高かったらしい。


 しかも呪符は、一度使っただけで灰になった。


「……成功ですね」


「どこがだよ。まだ傷あるじゃん」


「最初から大怪我を治せるとは言っていません」


「じゃあ、なんでそんな得意そうなんだよ」


「昨日までは、少しも治せなかったからです」


 姉ちゃんは本気で嬉しそうだった。


 結局、残った傷にはセラ母さんが薬を塗り、包帯を巻いた。


 魔法が、姉ちゃんを変えてしまった。


 まあ、構わない。


 魔法の話しかしない姉ちゃんに近づこうとする男なんて、ほとんどいない。父さんのあとを継いで村長になる俺が、姉ちゃんの面倒を一生見ればいい。


 そう思っていた。


 あの日までは。



 その日、俺は夜明け前に目を覚ました。


 ただ、便所へ行きたかっただけだ。


 用を済ませて部屋へ戻る途中、姉ちゃんの部屋から明かりが漏れていることに気づいた。


 こんな時間まで本を読んでいたなら珍しくもない。


 だが、扉の隙間から覗くと、姉ちゃんはすでに着替えていた。


「姉ちゃん。今日は早いな」


 声をかけると、姉ちゃんの肩が小さく跳ねた。


 机に広げていた紙を、慌てて本の下へ隠す。


「コンタ……。起きていたんですか?」


「便所。姉ちゃんは?」


「少し、目が冴えてしまって」


「いつも昼まで寝てるのに?」


「わたしだって、たまには早起きくらいします」


「明日は嵐かもな」


「もう!お子ちゃまは早く寝なさい」


 机の横には、いつも使っている鞄が置かれていた。


 中には、呪符や小瓶がいくつも入っていたはずだ。


「その鞄、どうすんの?」


「整理していただけです」


「ふうん」


 それ以上は聞かなかった。


 姉ちゃんが何か変なことをしているのは、いつものことだったからだ。


「おやすみ、姉ちゃん」


「……おやすみなさい、コンタ」


 姉ちゃんは少しだけ迷ってから、俺の頭を撫でた。


「なんだよ、急に」


「別に。髪が跳ねていたので」


 俺は姉ちゃんの手を振り払い、自分の部屋へ戻った。


 どうして鞄を用意しているのか。


 何の紙を隠したのか。


 どうして、あのとき頭を撫でたのか。


 もう少しだけ話していれば、気づけたかもしれない。



 異変に気づいたのは、その日の夜だった。


 家では、夕食を全員で食べる。


 父さんが村長の仕事で遅れる日はある。コハク母さんが村の戦士たちの訓練から戻らないこともある。


 それでも、食事の時間になれば誰かが呼びに来る。


 姉ちゃんだけが、何も言わずに遅れることはなかった。


 食卓には五人分の食事が並んでいる。


 だが、姉ちゃんの席だけが空いたままだった。


「姉ちゃんが夕食に来ないなんて珍しいな」


「あらあら。お昼寝でもしているのかしら」


 セラ母さんが困ったように頬へ手を当てる。


「コンちゃん、呼んできてもらえますか?」


「はーい」

 

 姉ちゃんが昼過ぎまで眠り、起きてからも部屋へ籠もっているのは珍しくない。

 だから、その日も誰も夕食の時間まで異変に気づかなかった。


 姉ちゃんの部屋へ行き、扉を叩く。


「姉ちゃん。飯だぞ」


 返事はない。


 もう一度叩いてから、扉を開けた。


 部屋には誰もいなかった。


 寝台の布団は、朝と同じ形に畳まれている。机には何冊もの本が開きっぱなしになっていたが、朝に見た鞄と外出用の上着がなくなっていた。


 代わりに、机の隅へ森の地図が残されていた。端には姉ちゃんの字でいくつも書き込みがあり、一か所だけが赤い丸で囲まれている。


 地図の端に、姉ちゃんの字でいくつも書き込みがされている。


 赤い丸で囲まれた場所を見ても、俺には何なのか分からなかった。


「姉ちゃん?」


 寝台の下も、本棚の陰も見る。


 いるわけがないのに、なぜか探してしまった。


 俺は地図を掴み、食堂へ戻った。


「いなかった」


「え?」


「部屋にいない。上着も鞄もなくなってる」


 父さんが椅子から立ち上がった。


「地図を見せろ」


「これ」


 父さんは地図を受け取った途端、顔色を変えた。


「まさか……」


「あなた?」


 父さんは地図を持ったまま、姉ちゃんの部屋へ向かった。


 俺たちもあとを追う。


 机に開かれていた本を確認し、引き出しの中を探る。次に、壁へ掛けられていたはずの外套と、呪符を入れる腰袋がないことを確かめた。


 父さんの手の中で、地図がくしゃりと鳴った。


「ユラは……新しく見つかったダンジョンへ向かったかもしれん」


「なっ……」


 コハク母さんの白い耳がぴんと立った。


「旦那様、本当ですか? あそこは明日、戦士団を伴って調査する予定だったはずです」


「ああ」


「なぜユラが場所を知っているのです」


「昨日、調査団へ加えてほしいと申し出てきた。森番の報告を聞いていたらしい」


「それで?」


「断った。まだ入口すら詳しく調べていない場所だ。経験のないユラを連れていけるはずがない」


 父さんが地図の赤い丸を指でなぞる。


「だが、あいつは報告の内容から自分で場所を割り出したようだ」


「そんな……」


 セラ母さんの身体が傾いた。


 俺が支えるより先に、コハク母さんが肩を抱く。


 部屋の中から音が消えた。


 父さんも、母さんたちも、ひどい顔をしている。


 でも、俺にはまだ分からなかった。


「……そんなに危ないの?」


 父さんが俺を見た。


「明日、調査団を送って内部の深さや魔物の有無を確かめる予定だった。浅いダンジョンなら、何も起きずに戻れるかもしれない」


「じゃあ――」


「だが、誰も入ったことのないダンジョンだ」


 父さんの声が、いつもより低かった。


「どれほど深いのか。中に何がいるのか。内部の構造がどうなっているのか。何も分からん。熟練の戦士が複数で入っても、何人か帰れなくなることはある」


 嘘だ。


 村の戦士たちは、みんな強い。


 コハク母さんの訓練についていき、森の魔物を何度も倒している。


 その人たちが何人も揃って、それでも死ぬかもしれない。


 それなら、戦うためのスキルを持たない姉ちゃんが一人で入るなんて――。


「俺、行ってくる!」


 部屋を飛び出そうとした。


 首の後ろを、父さんの大きな手に掴まれる。


「放せよ!」


「駄目だ」


「姉ちゃんが死ぬかもしれないんだぞ!」


「分かっている!」


 父さんの声が家中に響いた。


 怒鳴られたのは俺なのに、父さんの顔の方が苦しそうだった。


「なら、なんで止めるんだよ!」


「お前はまだ、魔物とまともに戦ったことすらないだろう! 一人で行っても死ぬだけだ!」

 

「俺は一人で行ける!」


「無理だ。そもそもお前は新しいダンジョンの場所すら知らないだろう」


「地図がある!」


「夜の森で、その地図を読めるのか?」


「……っ」


 何も言い返せなかった。


 暗い森を一人で歩いたことなんてない。


 村の近くに出る弱い魔物を追い払ったことはある。それだけだ。


 姉ちゃんを助けたい。


 でも、どうすれば助けられるのか分からない。


 その事実が悔しくて、父さんの手を振り払おうと暴れた。


「コハク」


「はい」


「森の追跡に慣れた者を三人選べ。今夜のうちに先行させる」


「私も参ります」


「頼む。ただし、夜のうちは道と入口の確認だけだ。見つけても、少人数で中へ入るな」


「しかし、ユラが中にいるのですよ!」


「お前たちまで戻らなければ、明日の調査団を動かせなくなる」


 コハク母さんが唇を強く結んだ。


「……承知しました」


「夜明けと同時に戦士団を出す。俺も行く」


「あなたは村に残ってください」


 セラ母さんが、震える声で言った。


 父さんが振り返る。


「村長がいなくなれば、残った者が混乱します。ユラを助けたいのは、あなただけではありません」


「だが……」


「ここで、帰りを待っていてください。わたしと一緒に」


 父さんの拳が震えていた。


 俺を止めて、コハク母さんにも勝手な行動を許さない。


 そんな父さんが冷たいように見えていた。


 でも、本当は父さんだって、今すぐ森へ駆け出したいのだ。


 それでも村長だから残ろうとしている。


 少しだけ分かった。


 分かったからといって、待てるわけではなかった。


「朝までなんて……待てないよ」


 セラ母さんが俺を抱き寄せた。


「ええ。わたしもです」



 その夜は、誰も眠らなかった。


 コハク母さんたちが出ていったあと、俺は何度も家の外へ出た。


 森へ続く道を見ても、暗闇しかない。


 足音が聞こえた気がして立ち上がり、風が草を揺らしただけだと分かって座り直す。


 それを何度も繰り返した。


 夜明け前、コハク母さんたち先行隊が戻ってきた。


 新しいダンジョンへ続くと思われる足跡は見つけた。


 だが、暗闇の中では魔物の痕跡と見分けにくく、入口までは辿れなかったらしい。


 姉ちゃんは、見つからなかった。


 空が白み始めると同時に、調査団が村を出た。


 武器を持った戦士たちが十人以上。


 先頭にはコハク母さんがいた。


「必ず連れて帰る」


 俺には、それだけ言って出ていった。


 俺は村の入口に座り込み、帰りを待った。


 朝になった。


 太陽が高くなった。


 村を出入りする人が、そのたびに俺を見る。


 セラ母さんが何度か呼びに来たが、家へは戻らなかった。


 ここにいれば、一番に姉ちゃんを見つけられる。


 それしか、俺にできることはなかった。


 どれほど待ったのか分からない。


「戻ってきたぞ!」


 見張り台から声が上がった。


 俺は立ち上がった。


 座り続けて痺れていた足がもつれ、地面へ手をつく。


 痛みも気にせず、そのまま走った。


 森へ続く道から、調査団が戻ってくる。


 出発したときより、歩く速度が遅い。


 先頭のコハク母さんは、服も腕も泥だらけだった。


「母さん!」


 呼びかけても、返事がない。


 コハク母さんの後ろを見て、足が止まった。


 担架が二つあった。


 一つ目に寝かされていたのは、姉ちゃんだった。


 服は破れ、白い髪も泥と血で汚れている。顔色は、遠くから見ても分かるほど悪かった。


「姉ちゃん……?」


 駆け寄って手を伸ばす。


「触るな。今は揺らさない方がいい」


 担架を運んでいた戦士に止められた。


「生きてるの?」


「まだ息はある。急いで治療する」


 まだ。


 その言葉が怖かった。


 姉ちゃんの右手首には、細い布が何重にも巻かれていた。


 布は途中で切られていたが、残った端は血と泥で赤黒く汚れている。


「二人は、ダンジョンから少し離れた場所で倒れていた」


 コハク母さんが、掠れた声で言った。


「そこまで、何かを引きずった跡が続いていた。おそらくユラが、この男を運んだのだろう」


 二つ目の担架へ目を向ける。


 見たことのない男だった。


 服は姉ちゃん以上に血で汚れ、身体中に傷がある。


 左腕は、肘より先がなくなっていた。


 姉ちゃんは一人でダンジョンへ向かったはずだ。


 なのに、どうして知らない男と一緒に倒れている。


 どうして、この男は片腕を失っている。


「……誰なんだよ、こいつ」


 答えられる者は、誰もいなかった。

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