救援
26
「ジョーッ!」
「ウッキィィィッ!」
頭上の枝が大きくしなった。
ジョーが両脚で枝を蹴り、俺と大蜘蛛の間へ飛び降りてくる。
着地と同時に土が弾けた。進化して一回りどころか二回りも大きくなった背中が、地面に倒れた俺を隠す。
大蜘蛛はすぐに前脚を突き出した。
ジョーが右腕を振る。
拳は脚に触れていない。それでも、殴りつけた先で風が破裂し、槍のような前脚を横へ弾いた。
「助かった、ジョー!」
「ウキッ!」
数日前に別れたばかりだ。
また会えたことを喜びたい。パンとアブーは元気かと聞きたい。
「でも、どうして俺がここにいるって分かったんだ?」
「ウキッ、ウキッ!」
ジョーが自分の手首を叩き、次に俺の右腕を指差した。
そこには、パンからもらった木の腕輪がある。
葉の模様が彫られた木片の一つが、淡い緑色に光っていた。
「こいつが俺の場所を教えたのか?」
「ウキッ!」
どういう仕組みなのかは分からない。
それでも、パンから渡された物がただの腕輪ではなかったらしい。ジョーが一人で来ているところを見ると、パンとアブーは住処に残してきたのだろう。
ジョーと再開を喜びたいが、大蜘蛛はそんな時間をくれなかった。
地面を引っ掻き、弾かれた脚を戻す。続けて別の前脚が横から振られた。
「来るぞ!」
「ウキィッ!」
ジョーは両腕を交差させて受けた。
重い音が鳴り、太い両脚が土へ沈む。押し切られる寸前に身体をひねり、脚を外へ受け流した。
すぐに大蜘蛛の懐へ入り、右拳を頭へ叩き込む。
ドンッ!
白い毛が潰れ、巨体が揺れた。
だが、毛の下にある黒い甲殻までは割れない。
ジョーが拳を引くより先に、大蜘蛛の左前脚が低い位置から伸びた。
「ジョー、下だ!」
ジョーは跳び上がって避けた。
そのまま宙で身体をひねり、両拳を大蜘蛛の背中へ振り下ろす。衝撃に合わせて風が弾け、八本の脚が一斉に沈んだ。
「ウッキィィッ!」
「すげえ……」
あのフォレストウルフの群れと戦ったときより、力も風の威力も上がっている。
進化した姿は一緒にいたときにも見ていた。それでも、俺があれだけ苦戦した大蜘蛛と正面から殴り合う姿を見ると、改めて強くなったのが分かった。
それでも、押し切れてはいない。
大蜘蛛の後ろ脚が跳ね上がった。
着地したばかりのジョーは避けられず、脇腹をかすめられる。緑の毛が裂け、赤い血が散った。
「ジョー!」
大蜘蛛は止まらない。
前脚を二本続けて突き出す。ジョーは一つを手の甲で弾き、もう一つを首を傾けて避けた。
三本目が俺へ向いた。
「っ!」
身体を起こそうと右手をつく。
肘に力が入らない。
ジョーが俺の前へ戻り、伸びてきた脚を両手で掴んだ。
「ウ、ギギギッ……!」
前へ押し込む大蜘蛛と、押し返すジョー。
ジョーの両足が土を削り、俺のすぐ前まで下がってくる。
「俺はいい! 避けろ!」
「ウキィッ!」
ジョーは退かなかった。
掴んだ脚を持ち上げ、俺から遠ざけるように横へ投げる。大蜘蛛が体勢を崩した隙に、こちらを抱えて逃がそうと手を伸ばしてきた。
「待て。俺を持ったままじゃ戦えないぞ!」
「ウキッ! ウキィッ!」
「分かってる。俺も逃げたいよ。でも、周りは全部あいつの糸だ」
ジョーが辺りを見た。
木々の間には、何重もの白い糸が壁のように張られている。
ジョーの力なら破れるかもしれない。だが、俺を抱えたまま糸へ近づけば、大蜘蛛に背中を向けることになる。
大蜘蛛が立ち直り、またこちらへ向かってきた。
「ウキッ!」
ジョーは俺から手を離し、前へ出た。
殴り合いが始まる。
ジョーは速い。
突き出される前脚を避け、横へ回り込み、拳と風を打ち込んでいく。
だが、大蜘蛛は脚が長いうえに数も多い。ジョーが一つを避けても、別の一本が俺へ伸びる。
そのたびにジョーは戻らなければならなかった。
自由に避けられる場面でも攻撃を受け、俺と大蜘蛛の間から離れない。
「くそっ……俺がいるせいで……」
右膝を立てる。
斧はもうない。
魔力も残っていない。
それ以前に、立ち上がることすらできない。
ジョーの肩を前脚がかすめた。
次は太腿。
深い傷ではない。それでも、緑の毛に赤い筋が増えていく。
ジョーが顔の前で両手を叩いた。
バンッ!
手の間で圧縮された風が、球になって飛ぶ。
大蜘蛛は前の四本の脚を広げ、地面へ深く突き立てた。
風の玉が頭へぶつかる。
白い毛が一斉に後ろへなびき、巨体がわずかに押し戻された。
さっきの不意打ちほど大きくは揺れない。来ると分かっていれば、八本の脚で耐えられるらしい。
それでも、雷でできた頭部の亀裂から黒い液体が飛んだ。
効いている。
あそこだ。
あの亀裂を、あと一度でも強く攻撃できれば。
右手に力を入れる。
指が土を掻いただけで、身体は持ち上がらない。
「動けよ……!」
ジョーがまた大蜘蛛の脚を受ける。
重い音が鳴った。
俺を守るために、あいつが傷ついていく。
見ているだけなんて嫌だ。
傷は治らなくていい。
生命力も魔力もいらない。
今だけでいい。
「あいつと一緒に戦える身体をくれ……!」
〖称号《迷宮踏破者》の特典が発動します〗
〖要望に最も近い通常スキルを検索します〗
〖スキル《戦闘続行》を習得しました〗
聞き慣れたアナウンスが流れた。
「戦闘、続行……?」
名前を読んだ瞬間、使い方が頭へ入ってきた。
《雷霆魔法》を手に入れたときと同じだ。何ができて、どう発動するのかを最初から知っている。
続けて、詳しい説明が表示される。
〖スキル《戦闘続行 Lv1》〗
〖24時間に1回、60秒間、負傷による行動阻害を無効化します〗
〖傷および生命力、魔力は回復しません〗
〖効果中に生命力が0になった場合は死亡します〗
傷を治す力ではない。
生命力は残り八。魔力はゼロのままだ。
効果中でも、攻撃を受ければ死ぬ。
六十秒だけ、傷ついた身体を無理やり動かす。それだけのスキルだ。
「十分だ……!」
今すぐ使いそうになり、止める。
俺と大蜘蛛の間は十メートルほど離れている。立ち上がって走るだけでも、何秒か失う。
それに、立てたからといって勝てるわけではない。
先に、どう攻撃するか決める必要がある。
「くそっ……武器がねえ」
『アル』
「どこにだよ」
甲殻の左手が勝手に持ち上がり、俺の目の前で拳を作った。
『テツノオノデ、キズツカナカッタヤツ。モウヒトリイルダロ』
「もう一人?」
黒い拳が、こつんと俺の胸を叩く。
『オレダ』
センと戦ったとき、黒曜鉄の斧でもこいつの甲殻には傷をつけられなかった。
その硬さで、大蜘蛛の亀裂を殴る。
「あいつの殻を割れるか?」
『シラン』
「知らねえのかよ……」
『デモ、オレハコワレネエ』
左腕を食いちぎられたときの痛みを思い出し、奥歯を噛む。
その黒い拳に何度も助けられたことも、もう無視はできなかった。
俺は左拳を構える。
「……分かった。あの亀裂を殴るぞ」
『ナグレ』
「簡単に言いやがって」
大蜘蛛を見る。
ジョーはまだ戦っている。
まずは、あいつをここまで引きつける。近くまで来たところで《戦闘続行》を使い、ジョーの後ろから飛び出す。
「ジョー! こっちまで引け!」
「ウキッ!?」
ジョーが前脚を避けながら、一瞬だけ振り返った。
俺は左拳を見せ、大蜘蛛の頭にある亀裂を指差す。続けて、自分の近くの地面を右手で叩いた。
「近くまで来たら、風であいつの頭を下げてくれ!」
全部伝わったかは分からない。
ジョーの目が俺の左拳へ向き、次に頭部の亀裂を追った。
「ウキッ!」
それ以上は確かめなかった。
今の俺が立てないことは、ジョーにも見えている。それでも、何をするつもりだと首を傾げず、大蜘蛛へ向き直った。
一歩ずつ、こちらへ下がり始める。
ジョーが逃げているとでも思ったのか、大蜘蛛の動きが荒くなった。
前脚を何度も地面へ突き刺し、かわされるたびに土を抉る。横へ逃げようとしたジョーへ糸を吐き、避ける方向を狭めていく。
ジョーは風で糸を押し返し、大蜘蛛の前脚を弾きながら下がった。
八メートル。
まだ遠い。
六メートル。
大蜘蛛の牙が、ジョーの左腕へ噛みつこうとする。
ジョーは上下から伸びてきた牙を両手で押さえた。
「ウ、ギギギギッ……!」
太い腕が震える。
大蜘蛛は顎を閉じようとしながら、二本の前脚を持ち上げた。
このままではジョーの背中を刺す。
距離は、あと五メートル。
ここなら間に合う。
「《戦闘続行》!」
脇腹の痛みは消えなかった。
右肩も熱い。呼吸をするたび、胸と背中が痛む。
それでも、地面へついた右腕が伸びた。
動かなかった右膝が立ち、両脚で身体を支える。
強くなったわけじゃない。
元気になったわけでもない。
だが傷のせいで止まっていた身体が、思った通りに動く。
十分だ。それだけでいい!
地面を蹴った。
「ジョー、伏せろ!」
「ウキッ!」
ジョーが牙から手を離し、その場で身を沈める。
閉じる相手を失った大蜘蛛の顎が勢いよく噛み合った。
同時に、ジョーが顔の前で両手を叩く。
至近距離で風が弾けた。
大蜘蛛の頭が持ち上がり、そのまま斜め後ろへ押し戻される。
踏ん張るために前脚が開いた。
その隙間を走り抜ける。
八つの目が俺を捉えた。
大蜘蛛が前脚を戻すより先に、左拳を引く。
「おおおっ!」
雷でできた亀裂へ、甲殻の拳を叩き込んだ。
バキッ!
黒い甲殻が割れ、拳が半ばまでめり込む。
「入った!」
『カッカッ! オレノホウガカタイ!』
「ああ、そうだな!」
大蜘蛛が頭を激しく振る。
拳を引き抜き、横へ跳んだ。白い毛が顔をかすめ、大蜘蛛の頭がすぐ横を通り過ぎる。
右側へ回り込んだジョーが、前脚を二本まとめて抱えた。
「ウッキィィィッ!」
腰を落とし、掴んだ脚を一気に持ち上げる。
大蜘蛛の右半分が地面から浮いた。
残った脚が土を掻く。だが、傾いた巨体を支えきれない。
ジョーはそのまま身体をひねり、大蜘蛛を横へ投げ飛ばした。
ドォンッ!
巨体が背中から落ち、地面が大きく揺れる。
「すげえ! 分かってはいたけど、すげえパワーだな!」
「ウッキィー!」
ジョーが胸を一度叩いた。
本気を出せばこんなものだ、と言いたいのか。
「よっしゃ、ジョー!行くぞ!」
「ウキッ!」
俺とジョーは大蜘蛛に向き直る。
倒れた大蜘蛛へ走る。
土煙の中から前脚が突き出された。
怪我をする前の俺なら避けられる速さだ。
半歩だけ外へずれ、先端をやり過ごす。
戻る前に、左脇で脚を抱え込んだ。
「セン、離すな!」
『オウ!』
甲殻の指が脚へ食い込む。
大蜘蛛が引いても、左腕だけは離れない。俺の身体まで前へ持っていかれそうになり、右足を強く踏み込んだ。
脚の先から逃げるように、付け根へ近づく。
長い脚の内側へ入れば、槍のような先端は届きにくい。
右手で白い毛を掴み、左拳を頭部へ叩き込む。
一発。
二発。
三発。
殴るたび、亀裂から黒い液体が飛び散った。
反対側では、ジョーが二本の脚を両腕で抱えている。別の脚が背中へ当たり、身体が揺れた。それでも離さない。
三発目を殴った直後、ジョーが掴んでいた脚を放した。
前へ出た勢いのまま、顔の前で両手を叩く。
風の玉が至近距離からぶつかり、大蜘蛛の頭を地面へ押しつけた。
「そのまま押さえてろ!」
「ウキッ!」
左拳をまた振り下ろす。
大蜘蛛は身体の下へ脚を引き寄せた。
長い脚を振れないなら、身体ごと潰すつもりだ。
「まずっ――」
巨体がこちらへ倒れ込む。
ジョーが大蜘蛛の横腹へ肩を入れた。
「ウキィィイィッ!」
低い唸り声とともに押し返す。
完全には止まらない。それでも、俺一人が抜け出す隙はできた。
左腕を引き抜き、地面を転がる。
すぐ後ろで大蜘蛛の腹が落ち、土と落ち葉が跳ねた。
「ジョー!」
「ウキッ!」
横を見ると、ジョーも反対側から抜け出していた。
大蜘蛛が脚を折り畳み、また起き上がろうとする。
亀裂は広がっている。
あと少しだ。
だが、右膝の動きが一瞬遅れた。
踏み出した足が思った位置まで上がらず、つま先が土を擦る。
《戦闘続行》の時間が残り少ない。
「早く決めないと……!」
大蜘蛛の腹部が持ち上がった。
白い毛の下で、尻の先が大きく膨らんでいる。
『イト、ダ!』
腹部の先から白い糸が広がった。
一本ではない。
何十本もの糸が網の形になり、俺へ向かってくる。
右には大蜘蛛の脚。
左には白い糸の壁。
後ろへ下がっても、網の方が速い。
「まずい!」
横から岩が飛んできた。
一瞬、俺を狙ったのかと思った。
だが、岩は目の前を通過し、広がりきる前の網へぶつかった。
白い糸が岩へ巻きつく。
重さと勢いに引かれた網が、俺の身体から外れて後ろへ流れた。
糸に包まれた岩が木の幹へ激突する。
「助かった!」
ジョーを見る。
大蜘蛛の脚を一本抱えたまま、空いた手を振り抜いた姿勢で止まっていた。
俺が糸を避けられないと見て、足元の岩を拾って投げたらしい。
「さすがだぜ、ジョー!」
「ウッキィッ!」
ジョーが歯を見せた。
俺も笑いかけたところで、右脚から力が抜けそうになる。
もう、ほとんど残っていない。
「ジョー! 一気に決めるぞ!」
「ウッキィィィッ!」
ジョーが大蜘蛛の左側へ走る。
俺は右側へ回った。
大蜘蛛が頭を振り、八つの目を左右へ動かす。
どちらを先に狙うか迷ったのは、一瞬だけだった。
右の前脚が俺へ向く。
俺の方が、先に止まると分かったらしい。
真正面から突き出された脚を、左腕で外へ弾く。
続けて二本目。
頭を下げて避け、地面を蹴った。
ジョーも反対側から懐へ飛び込む。
「おらおらおらぁっ!」
「ウキウキウキィッ!」
俺の左拳と、ジョーの両拳が左右から頭部へ叩き込まれる。
硬い殻が何度も鳴った。
一発殴るたび、亀裂が長く、深くなっていく。
大蜘蛛の脚が振り回された。
ジョーは肩で一本を受けながら、殴る手を止めない。
俺の顔にも、別の一本が迫る。
あと少し。
ここで下がれば間に合わない。
甲殻の左腕を頭の横へ上げ、脚の側面を受ける。
衝撃で身体が傾いた。
その瞬間、右膝が折れかける。
スキルが切れる。
「まだだ!」
右足を踏み込み、無理やり身体を残す。
大蜘蛛は俺を振り払おうと、頭を持ち上げた。
ジョーが両手を組み、高く振り上げる。
「ウッキィィィィッ!」
組んだ両拳を頭部の左側へ叩きつけた。
風が地面へ弾ける。
大蜘蛛の頭が俺の方へ押し出され、開いた亀裂が真正面へ来た。
左拳を引く。
「セン!」
『ツギハ、マケネエ!』
黒い拳を、開いた亀裂へ真っすぐ叩き込んだ。
「おおおおおっ!」
甲殻が内側へ砕ける。
拳が手首を越え、頭部の奥へめり込んだ。
大蜘蛛の八本の脚が、一斉に伸びる。
そのまま、地面へ落ちた。
動かない。
〖ホワイトヘア・タランチュラロードを討伐しました〗
〖ユラのレベルが上昇しました×5〗
〖レベルが上昇しました×5〗
〖ガチャポイントを1500P獲得しました〗
〖初めてEランクの魔物を討伐しました〗
〖初回討伐報酬としてスキルオーブガチャ券を獲得しました〗
「倒し……た……」
《戦闘続行》が切れた。
曲がりかけていた右膝が、今度こそ折れる。
消えていたわけではない痛みが、まとめて全身から押し寄せた。脇腹も、肩も、胸も、どこが一番痛いのか分からない。
「ぐっ……!」
前へ倒れる寸前に、《収納》を開く。
並んだ物の中から、淡い青色の小瓶を右手で掴んだ。
「ジョー! これを……!」
ジョーが駆け寄り、倒れる俺の身体を支える。
「ウキッ! ウキィッ!」
俺の手にある小瓶を指し、口を開ける仕草をした。
これを飲めと言っているらしい。
「違う……これは、俺のじゃない」
ジョーの大きな手へ、小瓶を押しつける。
「村にいる、白い狐耳の女の子だ。ユラに飲ませてくれ」
「ウキ……」
ジョーは小瓶と、血に濡れた俺の脇腹を見比べた。
納得していない。
そりゃそうだ。
目の前に死にかけの怪我人がいるのに、会ったこともない相手へ薬を持っていけと言われている。
「頼む……俺も村まで運んでくれ。場所は、この腕が……」
そこまで言うと、ジョーが短く鳴いた。
「ウキッ」
もう分かった、と言われた気がした。
ジョーは小瓶を潰さないよう、指先でそっと包み込む。それから俺の身体を持ち上げ、胸の前へ抱えた。
「すまん、ジョー……あとは、頼んだ」
「ウキッ!」
強い返事だった。
ジョーの指に、淡い青色の小瓶が包まれている。
落としていない。
よかった。
これでユラを助けられる。
もう瞼を開けていられなかった。
ジョーの腕へ体重を預けたところで、意識が途切れた。




