死闘
18
鉄の斧の柄が、左右から迫る牙に挟まれて軋んだ。
「ぐっ……うおおおおっ!」
押し負ければ、そのまま噛み砕かれる。俺は滑っていく足を無理やり踏ん張り、斧の柄を捻りながら片方の牙を押し上げた。
完全には止められない。それでも噛み合わせがずれ、巨大ムカデの頭が横へ傾く。
その頭部には、ユラが撃ち込んだ炎がまだ残っていた。
巨大ムカデは苛立ったように頭を振り、俺から一度距離を取った。斧へかかっていた重さが消えた瞬間、膝から崩れそうになる。
だが、今しかない。
「今なら!」
俺は鉄の斧を《収納》へ戻し、床に転がる巨大ムカデの抜け殻へ走った。
一歩踏み出すたびに、左の太腿が痛む。前に斬られた傷が開いたらしく、ズボンへ新しい血が滲んでいた。
それでも足は止めない。
黒曜鉄の斧は、古い頭の殻に深く刺さったままだ。柄を両手で掴み、片足を抜け殻へ押しつける。
「抜けろっ!」
一度目は動かなかった。
巨大ムカデの脚音が近づいてくる。もう一度、腰まで使って引くと、黒い刃が殻から抜けた。
そして《収納》から鉄の斧を取り出す。
右手には黒曜鉄の斧。左手には鉄の斧。
本来なら、黒曜鉄の斧だけで両手を使う。鉄の斧まで持てば、立っているだけでも右肩が下がり、刃先が床を擦りそうになった。
この世界にきたばかりの俺なら、構えることすらできなかっただろう。何度もレベルが上がった今だから、二刀流なんて芸当ができる。
華麗に二本を操るなんて無理だ。それでも、一度に叩き込める重さは増える。
巨大ムカデが頭を低くし、真っすぐこちらへ向かってきた。
避けながら攻撃する余裕なんてない。防御は考えるな。攻撃に全部振れ。
やらなきゃ、やられる!
「セットォォォッ!」
左足を踏み込み、右の黒曜鉄の斧を上から振り下ろす。同時に左の鉄斧を横から振ったが、二つの重さに引っ張られ、身体が大きくよろめいた。
それでも、二つの刃は巨大ムカデの頭へ叩き込まれた。
黒い刃が甲殻を欠けさせ、鉄の斧も硬い音を立てて食い込む。浅いが、確かな手応えが両腕へ返ってきた。
「効いてるぞ!」
だが、巨大ムカデの勢いは止まっていなかった。
頭から身体ごとぶつかられ、足が床を離れる。
「ぐわあああっ!」
弾き飛ばされた俺は、背中から石壁へ叩きつけられた。肺の中の空気が押し出され、両手から斧が落ちそうになる。
「グハッ……!」
口の中に血の味が広がる。
痛い。息を吸うだけで背中と胸が軋む。それでも巨大ムカデの甲殻には、さっきまでなかった亀裂が入っていた。
一撃で駄目なら、何度でも叩く。
「これを……繰り返せばいいんだろ!」
二本の斧を杖にして立ち上がる。
格好よく避けて、隙を突いて倒す。そんな戦い方は俺にはできない。
攻撃されても、俺も攻撃を通す。腕が動くうちは斧を振り、先にこいつを潰す。
「来いよ! 俺が立ってるうちは、ユラのところには行かせねえ!」
巨大ムカデが床を蹴る。
俺も前へ出た。
「《リプレイ》!」
身体が登録した動きを再現する。
左足を踏み込み、右の斧を上から、左の斧を横から振る。
二つの刃が、最初の一撃で欠けた甲殻へ重なる。
「そこだぁっ!」
黒曜鉄の斧が亀裂を広げた。
巨大ムカデの頭が沈み、牙が俺の左肩を掠める。服と皮膚をまとめて裂かれたが、構わず鉄の斧まで押し込んだ。
次の瞬間、持ち上げられた頭に突き飛ばされ、床を何度も転がる。
「旦那様!」
「まだだ!」
すぐに立とうとしたが、傷ついた左脚に力が入らない。黒曜鉄の斧を床へ突き立て、それを支えに身体を起こした。
ユラは岩の陰で横になったまま、右手をこちらへ向けていた。指先に赤い光が集まりかけたものの、小さな火にもならず消えてしまう。
「やめろ! 魔力はもう残ってないだろ!」
「ですが、このままでは……!」
「俺が何とかする!」
「全然なんとかなってないじゃないですか!」
「今からするんだよ!」
言い返した直後、巨大ムカデが迫ってきた。
二本の斧を交差させて牙を受ける。今度は足を止められず、押し込まれた柄が胸へ食い込んだ。
「があっ!」
斧を跳ね上げて牙を逸らし、そのまま《リプレイ》を発動する。
登録された動きに引っ張られ、痛む身体が前へ出た。黒曜鉄の刃は再び亀裂へ食い込んだが、左手の鉄斧は狙いを外し、甲殻の上を滑る。
巨大ムカデが身体を捻った。
横から何本もの脚に殴られ、俺は血を撒き散らしながら吹き飛ばされた。
それからも、同じような攻防を何度も繰り返した。
巨大ムカデがユラへ向かおうとするたびに前へ出て、二本の斧を叩き込む。《リプレイ》で攻撃し少しずつ同じ亀裂を広げたが、倒すには足りない。
こちらが一撃を入れるたび、巨大ムカデの牙や脚も俺の身体を傷つける。肩から流れた血で柄が滑り、太腿の傷は走るたびに広がっていった。
それでも、倒れるたびに立ち上がった。
「こんなところで……諦めてたまるかよ!」
俺が立っている限り、巨大ムカデはユラへ近づけない。
だが、それだけだ。
少しずつ甲殻を割っている。だが、それ以上の速さで俺の身体が動かなくなっていく。鉄の斧の柄にも亀裂が入り、右手の指はほとんど感覚を失っていた。
このまま続ければ、俺の方が先に潰れる。
「何か……何かないのかよ!」
巨大ムカデから目を離さず、《収納》の中身を探る。
果物ナイフ、ロープ、角材、リュック。食べ物や水もある。マグカップや歯ブラシ、輪ゴムまで残っているが、この化け物を倒せそうな物は一つもなかった。
使える物がないと分かり、今度はステータスを開く。
残った魔力で《リプレイ》を使えるのは、あと三回ほど。ガチャポイントは二百ポイントあるが、今さら白い雑貨を二つ増やしても意味がない。
「クソッ……!」
ウインドウを閉じる前に、巨大ムカデが突進してきた。
二本の斧を交差させ、迫る牙を受け止める。傷ついた脚で踏ん張ったが、今度は勢いを殺すことすらできなかった。
鉄の斧の柄が折れる。
支えを失った牙が目の前まで迫り、黒曜鉄の斧ごと身体を跳ね上げられた。
「がっ……!」
背中から壁へ叩きつけられ、そのまま床へ落ちる。
黒曜鉄の斧は手を離れ、折れた鉄の斧も少し先へ転がっていった。
身体が動かない。
息を吸おうとしても、喉から掠れた音しか出てこなかった。視界の端が暗くなり、巨大ムカデの姿まで二重に見える。
もう、駄目かもしれない。
そう思ったとき、閉じ損ねたステータスウインドウが目に入った。
身体は指一本動かせないのに、頭だけが妙に冴えている。巨大ムカデがこちらへ頭を向ける動きも、舞い上がった埃も、ひどくゆっくりに見えた。
これが走馬灯ってやつか?
昔の記憶は出てこない。最初に浮かんだのは、出会ってまだ一日しか経っていない女の子の顔だった。
たった一日で、結婚しちまった。
本当に婚姻が成立しているのかは分からないけど、ユラはずっと俺を旦那様と呼んでいる。
少し前の俺なら、なろう小説で主人公へすぐ迫るヒロインを見て、惚れるのが早すぎるだろって笑っていた。
でも、実際にあれだけ真っすぐ来られると、めちゃくちゃ嬉しかったな。最初はスキルオーブ目当てだったとしても、俺を助けようとして無茶をして、何度怒ってもまた近くに来る。
ダンジョンを出たら、ユラの村へ行くのか。そこで一緒に暮らすのか。
そんなことまで考えていた。
助けてやりたい。
いや、俺も一緒にここから出たい。
ごめん、ユラ。
霞んだ視界の中で、ステータスの文字だけははっきりと見える。
最初に目に入ったのは《異界渡り》だった。
説明もなしに森へ放り出されたのは最悪だったが、行動補正には何度も助けられた。水場や洞穴を見つけられたのも、こいつのおかげだったのかもしれない。
次は《リプレイ》。
お前がいなければ、危ない場面が何度もあった。レベルが上がって行動補正までついたのに、まだ上手く使い切れなかったな。
最後に見えたのは《ガチャ》だった。
斧も食べ物もスキルも、ほとんど全部こいつから貰った。《ガチャ》がなければ、異世界で最初の夜すら越えられなかっただろう。
「あーあ……★5とか★6も、見てみたかったな」
巨大ムカデが、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
俺が動けないと分かったのか、さっきまでの勢いはない。勝ちを確信して、いたぶるつもりなのかもしれない。
本当に自分の力に自信がある馬鹿だ。
残ったガチャポイントは二百。二回引ける。
今さら一回引いたところで、白い雑貨が出れば終わりだ。それでも、使わずに死ぬよりはいい。
「せっかくだし……回しておくか」
俺は震える右手を持ち上げ、ステータスからガチャの画面へ切り替えた。
ウインドウに、一回ガチャと十連ガチャの表示が並ぶ。その上では、見慣れた竜が口を閉じたまま待っていた。
《異界渡り》の行動補正には、最後まで世話になった。
「最後にもう一度、役に立て……」
呟いたところで、ステータスに表示されていた二つの説明が頭に引っかかった。
【称号《異界渡り》】
【行動補正:弱】
【《リプレイ Lv2》】
【《リプレイ》で発動した動作に《行動補正:弱》が付与される】
「……ん?」
《リプレイ》は、登録した動作を再現する。
今まで攻撃にしか使ってこなかったが、ガチャの表示を押すことだって俺の動作だ。
《異界渡り》の補正が俺の行動へかかり、《リプレイ》の補正が再現した動作へかかるのなら、《リプレイ》でガチャを回せば二つの補正が重なるんじゃないか?
補正がガチャの結果にまで影響するかは分からない。二つ重なったところで、何も変わらない可能性もある。
そんなもの、試せば分かる。
試す前から諦めるのは、もうやめたんだ。
「セット!」
一回ガチャの表示へ指を伸ばし、そのまま押す。
百ポイントが消費され、ウインドウの中で竜が動き始めた。口から吐き出されたカプセルは白。
中身を確認する時間はない。すぐにガチャの最初の画面へ戻る。
残りは百ポイント。
次が、本当に最後の一回だ。
巨大ムカデは、もうすぐそこまで来ている。
「頼むぞ……《リプレイ》!」
右腕が登録した動きを再現する。
指が同じ場所へ伸び、一回ガチャの表示を押した。
最後の百ポイントが消費される。
直後、ウインドウの中にいる竜が金色に輝いた。
「うおおおおっ! 本当に来た!」
偶然かもしれない。それでも今は、二つの行動補正が届いたと信じる。
「やったぞ! これが行動補正だ!」
金色の光が、竜の口へ集まっていく。
だが、カプセルが出るより先に、巨大ムカデが地面を蹴った。
開かれた牙が視界を埋める。もう斧はない。《リプレイ》に動かされていた右腕も、すぐには戻せなかった。
「あと少しなのに……!」
ここまで来たのに。
金が出る。何かが変わるかもしれない。その結果を見る前に食い殺されるなんて、冗談じゃない。
「クソォォォォッ!」
「ナオト様!」
ユラが倒れたまま右手を伸ばしている。その指先には、何度も作ろうとして消えていた小さな炎が浮かんでいた。
戦っている間にわずかに戻った魔力を、全部絞り出したのだろう。
小さな炎が放たれ、巨大ムカデの傷ついた目へ飛び込む。
ドゴンッ!
威力は弱い。
それでも圧縮された炎が弾けたことで、巨大ムカデの頭が大きく横へ逸れた。牙が俺の顔のすぐ横を通り過ぎ、石壁へ突き刺さる。
ユラの右腕が床へ落ちた。
目はもう閉じている。それでも、最後に俺を助けてくれた。
「この時間、無駄にはしない!」
ウインドウの中で、竜が口を開く。
金色の光とともに吐き出されたカプセルは――金色だった。




