ユラの魔法
16
あれからしばらく、俺はユラの頭を膝に乗せたまま座っていた。
背中は石壁。右手には、いつでも掴めるよう黒曜鉄の斧を置いてある。
ユラはというと、まったく起きる気配がない。
「こいつ、本当に後先考えないよな……」
魔法が使えたのが嬉しいのは分かる。
それでも、ダンジョンの中で動けなくなるまで撃つ奴があるか。
幸い、ユラが眠っている間に魔物は現れなかった。もし襲われていたら、こいつを守りながら一人で戦うことになっていた。
そう考えると、今さら怖くなってくる。
「次は絶対、倒れる前に止めるからな」
聞こえていないユラへ言った、そのときだった。
白い狐耳が小さく動き、ゆっくりと目が開いた。
「……おはようございます。ナオトさん」
「おはよう。調子はどうだ、後先考えない奴?」
「起きて早々、ひどくないですか?」
「何度呼んでも起きなかったんだぞ。魔物が来なかったからよかったけど、来てたら俺一人で守りながら戦うことになってたんだからな」
ユラは何度か瞬きをしたあと、俺の膝へ頬を預け直した。
「……妻を守るのは、旦那様の役目では?」
「その話は保留中だ!」
「婚姻の儀は済んでいます」
「ああ、もういいよ。今はそれで……」
言い合っても無駄だ。
俺が諦めると、ユラは満足そうに目を細めた。
そのまま動こうとしない。
「あの、ユラさん?」
「はい」
「そろそろ起きてもらえませんか? 足が痺れてきたんですけど」
ユラは俺を見上げたあと、少しだけ眉を下げた。
「実は、まだあまり体調がよくなくて……」
「えっ、そうなのか?」
慌てて顔を覗き込む。
さっきより血色は戻っているように見えるが、白狐族の体調なんて俺には分からない。
「どこか痛いのか? 気持ち悪いとか?」
「そこまでではありません。ただ……」
ユラが言いにくそうに視線を逸らす。
「頭を撫でてもらえれば、もう少し楽になる気がします」
「撫でるだけで?」
「はい。多分」
そんな治し方があるのか。
白狐族では普通……なのかもしれない。
「分かった。じゃあ、撫でるぞ」
「えっ?」
「なんだよ」
「いえ……そんなにすんなり受け入れられると、少し照れるというか……」
自分から頼んでおいて何を言っているんだ。
俺は構わず、ユラの頭へ手を置いた。
白い髪は見た目より柔らかい。絡めないよう、頭の形に沿ってゆっくり撫でる。
「うぅ……」
「大丈夫か!?」
「だ、大丈夫です。父様以外の男の人に頭を撫でられるのは、初めてなので……」
「嫌だったらやめるぞ?」
「やめてください」
「どっちだよ!」
「違います! 撫でるのをやめないでください!」
紛らわしい。
そのまま撫で続けていると、ユラの頬が少しずつ緩んでいった。
「どうだ? 楽になってきたか?」
「はい。かなり効いています」
「本当に?」
「旦那様。できれば、耳もお願いできますか?」
ユラが期待するように俺を見上げている。
「耳?」
「はい。耳の付け根を優しく……」
やけに具体的だな。
少し怪しく思いながらも、俺は頭の上にある狐耳へ手を移した。
触れた瞬間、ユラの肩がびくっと跳ねる。
「わっ、悪い! 痛かったか?」
「違います。そこです。もう少しだけ右を……ああ、そこです」
言われたとおりに指を動かすと、ユラの目が細くなった。
「効いてるのか?」
「じわじわきています。はぁ……極楽です」
極楽?
治療を受けている奴が使う言葉だろうか。
それでも気持ちよさそうなので、しばらく耳の付け根を撫で続けた。
「も、もう大丈夫です……」
ユラが俺の手を止める。
「さっきより顔が赤いぞ!?」
「これは大丈夫な赤さなので、気にしないでください……」
「なんなんだよ、大丈夫な赤さって」
ユラはいそいそと身体を起こし、乱れた髪を手で整えた。
俺の膝から降りると、何事もなかったように立ち上がる。
「ふぅ。これで魔力も回復しました」
「撫でただけで魔力まで回復したのか!?」
「いえ、寝たからです」
「じゃあ、撫でたのは?」
「……流れで分かりませんか?」
「何が?」
ユラが口を開けたまま止まった。
「撫でてほしかっただけです! どうして、こういうときだけ察しが悪いのですか!?」
「なんで俺が怒られてるんだよ!」
「もう知りません!」
ユラが顔を背ける。
白い尻尾は、さっきから落ち着きなく左右へ動いていた。
「まあ、元気になったならいいけどさ。次から、練習で倒れるまで魔法を使うのは禁止だからな」
「必要な検証でした」
「倒れなきゃできない検証なんて、今はするな」
「ですが――」
「少なくともダンジョンから出るまでは禁止!」
ユラは何か言い返そうとしたが、俺が譲らないと分かったのか、渋々口を閉じた。
「……分かりました」
「本当に分かった?」
「次は倒れる直前でやめます」
「全然分かってない!」
先が思いやられる。
俺はユラへ水筒を渡し、自分も痺れた脚を伸ばした。
動けるようになるまで少し休んでから、俺たちは探索を再開した。
◇
それからしばらく通路を進んだ頃、前方から複数の爪音が聞こえてきた。
「何か来るぞ」
黒曜鉄の斧を両手で構える。
曲がり角から現れたのは、三匹の殻ネズミだった。
「またこいつらか」
俺が前へ出ようとすると、ユラの手が胸の前へ伸びてきた。
「待ってください、旦那様。ここはわたしが」
「魔力は大丈夫なのか?」
「はい。この程度なら問題ありません」
自信満々だが、さっき倒れたばかりだから不安しかない。
「一発だけだぞ」
「分かっています」
殻ネズミが横一列に広がり、こちらへ向かってくる。
ユラは右手を前へ出した。
周囲から赤い光が集まり、手のひらの先で小さな火が生まれる。
「早い……」
最初に魔法を使ったときとは、火が形になるまでの速さがまるで違う。
さっきは長い時間をかけてバスケットボールほどの大きさまで膨らませていた。それが今は、ソフトボールほどで止まっている。
小さくなったのに、離れている俺の肌まで熱が届いた。
ただ大きくするのではなく、炎を内側へ押し込めているらしい。
ユラが目を細め、三匹の動きを追う。
「三匹まとめて――焼き払います!」
火球が放たれた。
真ん中を走っていた殻ネズミの胸元へ直撃する。
ドンッ!
火球が小さく爆発し、炎が左右へ広がった。
直撃した一匹は勢いのまま床を転がり、動かなくなった。左右の二匹も爆発に巻き込まれ、殻の隙間から煙を上げている。
「旦那様! とどめを!」
「了解!」
黒曜鉄の斧を担ぎ、走り出す。
右側の殻ネズミは前脚を動かしているが、起き上がれそうにない。
今までは腹側や殻の隙間を狙っていた。
だが、今日は違う。
「こいつがどれくらい斬れるか、試させてもらうぞ!」
狙うのは、鉄の斧を弾いた背中の殻だ。
両手で黒曜鉄の斧を振り下ろす。
「おらぁ!」
黒い刃が、殻の真ん中へ食い込んだ。
硬い手応えはあった。
それでも、斧は止まらなかった。
殻を割り、その下の肉と骨までまとめて断ち切る。刃は殻ネズミの身体を抜け、石の床へ食い込んだ。
「すごいな、これ!」
前の斧とは比べものにならない。
もう一匹も、まだ倒れたままだ。
「次はこっちだ」
斧を持ち上げ、身体の正面で構える。
「《リプレイ》!」
身体が登録された動きをなぞる。
狙いを定め、斧を持ち上げ、真っ直ぐに振り下ろす。
黒曜鉄の刃は殻の中央へ落ち、そのまま殻ネズミの身体を両断した。
少し遅れて、目の前に文字が表示される。
【殻ネズミを討伐しました】
【30ガチャポイントを獲得しました】
同じ表示がもう一度続いたあと、見慣れない文字が現れた。
【スキル《リプレイ》のレベルが上がりました】
「おおっ! スキルレベルが上がった!」
今までまったく変化がなかったから、レベルなんて飾りかと思っていた。
ようやく上がったか!
すぐにステータスを開き、《リプレイ》の説明を確認する。
【《リプレイ Lv2》】
【《リプレイ》で発動した動作に《行動補正:弱》が付与される】
「またお前か。行動補正……」
この言葉を見るのは二度目だ。
《リプレイ》で再現した動きが、少しだけ成功しやすくなるということだろうか。
狙いがずれにくくなるのか、力を入れるタイミングがよくなるのか。実際に使ってみないと分からない。
ただ、これで一つ気づいた。
俺はステータスを切り替え、称号を表示する。
【称号《異界渡り》】
【異世界からの来訪者】
【行動補正:弱】
「行動補正……」
《リプレイ》の場合は、再現した動作に補正がつく。
なら、《異界渡り》の行動補正は何にかかっている?
異世界へ来てからの、俺の行動全部?
水場や洞穴を見つけられたこと。
ジョーたちと出会えたこと。
このダンジョンや、ユラを見つけたこと。
ガチャで欲しい物が妙にいいタイミングで出たことまで、この称号が関係しているのか?
考えてみれば、俺は異世界へ来てから何度も危ない目に遭っているのに、毎回ぎりぎりで助かっている。
だとしたら行動補正ってかなりチートだよな……
「旦那様?」
顔を上げると、ユラが少し離れた場所から俺を見ていた。
「またステータスですか? 急に黙って虚空を見つめるので、少し怖いんですけど……」
「ああ、悪い。ちょっと気になることがあってさ」
「そうですか。それより!」
ユラが俺の前へ回り込む。
「どうでした、わたしの魔法!」
「どうって?」
「先ほどより、かなりよくなっていたでしょう? 発動時間を縮めて、火球も圧縮しました。着弾時に魔力を解放し、左右の二匹まで巻き込んだのです。これは褒められてしかるべきではないでしょうか?」
「ん? ああ。すごかったぞ」
「……それだけですか?」
「三匹を一発で動けなくしたんだから、大したもんだよ。さあ、先を急ごう」
黒曜鉄の斧を肩へ担ぎ、通路の奥へ向かう。
「えっ? ちょっと待ってください!」
後ろから、ユラが慌てて追いかけてきた。
「もう少しあるでしょう!? 発動が早かったとか、狙いが正確だったとか!」
「自分で全部言ってるじゃん」
「旦那様の口から聞きたいんです!」
「分かった分かった。すごかったって」
「だから、あっさりしすぎです! わたし、結構すごいことをしたんですよ!」
ユラの抗議を背中で聞きながら、俺はそのまま通路を進んだ。




