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火炎魔法

15


「待て待て! 俺は結婚するなんて言ってない!」


「ですが、婚姻の儀は済ませてしまいました」


「へそに親指を入れただけだろ!?」


「なっ……ひどい! 白狐族では、それを“だけ”とは言いません!」


「そもそも、俺は何をするのか聞いてなかったぞ!」


 さっき触れた感触が、まだ親指に残っている気がする。


 女の子の腹に触れたのも初めてなのに、いきなりへそへ指を入れさせられ、そのまま結婚まで成立したらしい。


 何がどうなってるんだ。


「嫌だったのですか?」


「えっ?」


 ユラが服の上からへそを隠し、じっと俺を見る。


「わたしとの婚姻が、それほど嫌だったのですか?」


「いや、嫌とかじゃなくて……」


 正直、嫌なわけがない。


 これだけ可愛い女の子と結婚できるなら、むしろ嬉しい。だが、出会って数時間で結婚を決められるほど、俺の頭は状況に追いついていない。


「ああ、もう! この話はダンジョンを出てからにしよう! 今は脱出するのが先だ!」


「……分かりました」


 ユラは納得していない顔をしていたが、ひとまず引き下がった。


「では、無事に出たあとで改めて話し合いましょう。旦那様」


「その呼び方は続けるのかよ!」


「すでに婚姻の儀は済んでいますから」


「俺の話、聞いてた!?」


「聞いていますよ、旦那様」


 駄目だ。


 何を言っても、旦那様に戻ってくる。


 ユラは俺から顔を逸らすと、尻尾で包んでいたスキルオーブを取り出した。


 その頬はまだ少し赤い。


 俺だって恥ずかしいのに、本人も恥ずかしかったのかよ。


「それにしても、旦那様……」


「今度はなんだ?」


「先ほどから、少し嬉しそうではありませんか?」


「え?」


「口元が緩んでいますよ」


 慌てて両手で口を押さえた。


 ユラが、にやにやしながら俺を見ている。


「わたしとの結婚、実は嬉しいのでは?」


「そ、そんなわけないだろ!」


「では、嫌なのですね」


「それも違う!」


「どちらなのですか?」


「今は分からない!」


 女の子との縁がなかった男の前に、急にこんな美少女が現れて、結婚しましょうなんて言ってきたのだ。嬉しくならない方がおかしいだろ。


 むしろ、ここまで都合がいいと詐欺を疑う。


 まあ、実際にユラは俺の《ガチャ》――というより、この《火炎魔法》が目当てなのだろう。


 それを顔に出してしまったのか、ユラの笑みが消えた。


 両手に持った赤い宝石を見下ろし、指先でそっと撫でる。


「あの……旦那様。本当に、わたしが使ってしまってよろしいのですか?」


「ん? ああ」


「《火炎魔法》ですよ。売れば、普通の人なら一生遊んで暮らせるほどのお金になります」


「それを聞いたうえで渡したんだ。今さら返されても困る」


「ですが……」


「ユラが使った方が、二人で戦いやすくなる。それに、ずっと欲しかったんだろ?」


 ユラはすぐには返事をしなかった。


 スキルオーブを見つめたまま、白い尻尾を自分の身体へ巻きつけている。


「同情、ではありませんか?」


「なんで?」


「何も持っていないわたしが、かわいそうだから……」


「そんな理由で帝都に豪邸が建つような物を渡せるか」


「……それもそうですね」


 納得するところ、そこなのか。


「俺は近くで斧を使う。ユラは離れた場所から魔法を撃つ。さっきの鎧蜥蜴も、そのやり方で倒せただろ?」


「はい」


「だから、ユラが持ってた方がいい。俺のためでもあるんだよ」


 少し迷ったあと、ユラはスキルオーブを胸元へ寄せた。


「分かりました。使います」


「ああ」


「旦那様から初めていただいた、大切な贈り物にします」


「その言い方、やめない?」


「嫌です」


 短く答えると、ユラは一度大きく息を吸った。


 両手でスキルオーブを包み込む。


 赤い宝石が光を放った。


「おっ……」


 炎の模様が強く輝き、宝石の形が崩れていく。


 細かな光になったスキルオーブは、ユラの指の隙間から吸い込まれ、跡形もなく消えた。


 ユラは目を閉じたまま動かない。


「ユラ?」


 少しして、白い狐耳がぴんと立った。


「聞こえました……」


「何が?」


「天からの啓示です。《火炎魔法》を習得したと」


「啓示?」


「レベルが上がったときや、スキルを得たときに聞こえるでしょう?」


「ああ。あれ天啓って言われてるのか。それより、身体に変なところはないか?」


 ユラまでゴリラになったら流石にびっくりするからな。


 ユラは自分の手を開いたり閉じたりしてから、首を横に振った。


「大丈夫です。それどころか、分かります」


「何が?」


「火の作り方です。今まで、書物の中でしか分からなかったことが……」


 両手を見つめるユラの声が、わずかに震えていた。


 嬉しそうに騒ぐと思っていたが、今はそれすら忘れているらしい。


 何年も欲しかったものが、本当に手に入った。


 さすがのユラも、すぐには実感できないのだろう。


 やがて顔を上げたユラは、さっきまでとは別人みたいに目を輝かせていた。


「旦那様! 使ってみてもいいですか!?」


「ああ。もうユラのスキルだからな。俺にも魔法を見せてくれよ」


「はい! 見ていてください!」


 ユラは通路のない壁へ向かい、両手を前に掲げた。


 足を少し開き、呼吸を整える。


 手のひらの間へ、赤い光が集まり始めた。


 最初は、ろうそくほどの小さな火だった。


「出た……」


 ユラが小さく呟く。


 その声には、さっきまでの勢いがなかった。


 火を消してしまわないよう、息を止めているようにも見える。


 小さな炎は少しずつ大きくなり、拳ほどの火球へ変わった。


 それでも止まらない。


「お、おい。まだ大きくするのか?」


「大丈夫です。制御できています」


 本当だろうな?


 火球が俺の頭よりも大きくなり、周囲の石壁が赤い光に照らされる。離れている俺のところまで熱が届いた。


 ユラは汗を浮かべながらも、両手の間に火球を留めている。


「撃ちます!」


「おう!」


 ユラが右手を前へ押し出した。


 火球が真っ直ぐ飛び、壁へ衝突する。


 重い音とともに炎が広がった。


「うわっ!」


 反射的に腕で顔を覆う。


 熱が引いてから見ると、壁の広い範囲が黒く焼け焦げていた。表面の石は細かくひび割れ、ぱらぱらと床へ落ちている。


「すごい威力だな……」


 さっきユラが使った火球の呪符より、範囲も熱も上だ。


 何度でも使えるなら、一気に戦いやすくなる。


「いえ」


 ユラは自分の両手を見つめたまま、首を横に振った。


「《火魔法》ならともかく、《火炎魔法》でこの程度では全然駄目です」


「初めてでこれほどできたんだから、十分だろ」


「いえ。この子は、もっとやれます」


「この子?」


「《火炎魔法》です。今の火球は大きいだけで、魔力が外へ逃げています。もっと圧縮すれば、小さくても温度を上げられるはずです。速度も遅いですし、途中で形が崩れています。原因はわたしの身体が火炎魔法に慣れていないから? それとも構築の順序が――」


 いつものが始まった。


 話しかけても聞こえそうにないので、俺は床に並んだガチャの排出品を確認することにした。


 今回出た物は、スキルオーブを除けば九個。


 ビスケット缶、キャラメル、いちご飴、マグカップ、歯ブラシ、軍手、爪切り、輪ゴム一箱。


 そして、一番目立つのが――。


【★3 黒曜鉄の斧】


「まあ、最初はこれだよな」


 今まで使っていた鉄の斧より一回り大きい。


 刃は幅広の片刃で、反対側には槍の穂先に似た尖った刃がついている。ファンタジーのゲームやアニメで、たまに見る形だ。


 黒い柄は木ではない。触った感じは金属に近いのに、持ち上げてみると前の斧より少し重い程度だった。


 これなら俺でも十分に振れる。


 周りに物がないことを確かめ、両手で数回振ってみる。


「おお!」


 刃が大きくなっている分、振ったときの勢いが強い。


 それなのに、前の斧より手の中で暴れなかった。柄を握る位置も、何となく分かる。


「いいな、これ」


 強い武器を手に入れたというだけで、かなり安心できる。


 次に殻ネズミが出てきたら、あの硬い殻ごと割れるかもしれない。


 今まで使っていた鉄の斧は《収納》へ入れた。壊れたわけではないので、予備として持っておこう。


 続いて軍手を手にはめる。


 手のひら側には、黄色い粒状の滑り止めがついていた。


「これも使えるな」


 黒曜鉄の斧を握り直すと、素手のときより柄が滑りにくい。


 戦闘中に汗をかいても、これなら斧を取り落とす心配は減りそうだ。


 食べ物が三つ出たのも嬉しい。


 木の実や果物の甘さも悪くないが、キャラメルやいちご飴の人工的な甘さは別だ。ビスケットも腹に溜まりそうなので、あとでユラと分けて食べよう。


 歯ブラシも地味にありがたい。


 歯磨き粉はないが、水だけでも何もしないよりはましだろう。


「爪切りまで出るのか……」


 伸びた爪は果物ナイフで切っていた。


 いつか指まで切りそうで怖かったので、これも助かるぜ


 マグカップと輪ゴムは、今すぐ使う予定はない。必要になるまで《収納》へ入れておけばいい。


 派手さはないが、こういう物が少しずつ増えていくと、森へ来たばかりの頃よりちゃんと生活できている気がする。


「よし。確認終わり」


 最後の輪ゴムを《収納》へ入れた、そのときだった。


 ドゴンッ!


「なんだ!?」


 大きな音と一緒に、熱い風が背中へぶつかった。


 慌てて振り返る。


 さっき黒く焦げただけだった壁が、今度は赤く焼けていた。


 中心部分は石の形を失い、どろりと溶けて床へ垂れている。


「えっ……」


 壁の前では、ユラが両手を突き出した姿勢で固まっていた。


 指先から、細い煙が上がっている。


「できました……」


「できましたって、何をしたんだ!?」


「火球を小さくして、魔力を内側へ圧縮しました。やはり、先ほどは構築の順番が間違っていたようです」


 ユラが満足そうに振り返る。


「今度は、きちんと《火炎魔法》になりましたよ。旦那様」


「お、おう。すごいけど……」


 ユラの身体が、ぐらりと傾いた。


「ユラ?」


「少しだけ、魔力を使いすぎたかもしれません」


「おい!」


 倒れる寸前で駆け寄り、身体を抱き止める。


 軽い。


 ユラは俺の腕にもたれたまま、目を閉じた。


「少しどころじゃないだろ! ただでさえ疲れてるのに、なんで二発目を撃ったんだよ!」


「一度で原因が分かっていたので……試さない方が、不自然です」


「倒れるまで試す方が不自然だ!」


「ですが、成功しました」


 ユラが薄く目を開ける。


 顔色は悪いのに、口元だけは満足そうに緩んでいた。


「これで、旦那様のお役に立てます」


「その前に自分で立てるようになってくれ!」


「少し休めば、大丈夫です」


「本当か?」


「……多分」


「多分なのかよ!」


 返事はなかった。


 ユラは俺の服を掴んだまま、完全に目を閉じている。


 俺は赤く溶けた壁と、腕の中で眠るユラを見比べた。


 《火炎魔法》が強いことは、よく分かった。


 同時に、こいつへ好きに練習させたら駄目だということも、嫌になるくらい分かった。

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