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14
ユラと歩き始めてから、すでに一時間以上が経っていた。
その間に殻ネズミと三度戦い、枝分かれした通路では二度も行き止まりを引いた。
「おお! やっと見つけた! 次の階への階段!」
一本道に見えたくせに、脇道が多すぎる。
喜ぶ俺の後ろで、ユラが壁へ手をついた。
「ナオトさん。少し、声を抑えてください」
「悪い。大丈夫か?」
「大丈夫です」
そう答えたものの、ユラの息はまだ整っていない。
傷は治っても、失った血と疲れは残っている。何度か休憩を挟んだが、いつ倒れてもおかしくない状態なのは変わらなかった。
「下りる前に休むか?」
「必要ありません。先へ進みましょう」
「……無理なら言ってくれよ」
「無理ではありません」
返事だけは早い。
俺は先に立ち、階段を下りた。
壁も床も、さっきまでと変わらない。淡い緑色の石が通路を照らし、似たような扉と曲がり角が続いている。
変わったのは、出てくる魔物だった。
頭上で羽音がした。
「上です!」
ユラの声と同時に、黒い塊が天井から落ちてくる。
「うおっ!」
斧を振り上げたが、当たらない。
大きなコウモリが俺の顔の横を抜け、背後で急旋回した。続けて二匹、天井の隙間から飛び出してくる。
「三匹もいるのかよ!」
斧を振っても、刃が空を切るだけだ。
飛んでいる相手に果物ナイフを投げても、外したら回収が面倒になる。だが、そんなことを言っている場合でもない。
「《リプレイ》!」
果物ナイフが手を離れた。
狙いは悪くなかった。
だが、直前で上へ逃げられ、ナイフは奥の床を転がった。
「クソッ当たらねえ!」
「ナオトさん!一度、階段まで戻りましょう!」
コウモリの爪がシャツを引っかける。
布が裂けただけで済んだが、回復手段はもうない。一度でも噛みつかれたら、その傷を抱えたまま最下層まで進むことになる。
「わかった!」
斧を振り回して追い払いながら、来た道を走る。
コウモリは階段の手前まで追ってきたが、明るい場所を嫌ったのか、途中で引き返した。
◇
「飛ぶのはずるいだろ……」
壁へ背中を預け、息を整える。
振り回した斧は一度も当たらなかった。腕だけが疲れている。
「攻撃のあと、壁に掴まっていました」
「壁に?」
「はい。すぐに飛び立ちましたけど」
飛んでいるところを狙うから当たらない。
壁に止まった瞬間なら、俺でも何とかできるかもしれない。
「網みたいなものがあればな」
《収納》の中身を探る。
縄はあるが、網はない。代わりに、今は使っていないリュックが入っている。
「……これでいけるか?」
リュックを取り出し、中に何も入っていないことを確かめる。
「それをどうするんですか?」
「コウモリが壁に止まったら、上から被せる」
「そんなので上手くいくのですか?」
「やってみないと分からない」
分からないが、斧を振り回し続けるよりはましだ。
もう一度通路へ入る。
コウモリが降りてくると、今度は斧を振らずに身体を低くした。頭上を通り過ぎた一匹が、曲がり角の壁へ爪を立てる。
「ナオトさん、今です!」
「おう!」
リュックの口を広げ、壁へ押しつけた。
中でコウモリが暴れ、布が大きく膨らむ。
「捕まえた!」
「閉じてください! 早く!」
「分かってる!」
口を捻って床へ押さえつけ、斧の峰を叩き込む。
二度目で動かなくなった。
やっていることは泥臭いが、倒せたなら問題ない。
残りの二匹も同じように捕らえた。二匹目からはユラが飛んでくる方向を教えてくれたので、さっきまで苦戦していたのが馬鹿らしくなるくらい楽だった。
「これで空を飛ぶ相手にも勝てるな」
「狭い通路だからできたんですよ。広い場所では逃げられます」
「今くらいは喜ばせてくれよ」
その後も何匹かのコウモリを倒し、俺たちは扉のついた小部屋へ入った。
中に魔物がいないことを確認してから、床へ座る。
俺は木の実と水筒を出し、ユラへ渡した。
「食べられるうちに食べとけよ」
「ありがとうございます」
ユラは木の実を一つ食べると、腰のポーチから焦げた札を取り出した。
「その札ってまだ使えるのか?」
「いえ元のままでは無理です。焼けた部分を切り落として、残った術式を繋ぎ直します」
ユラは札の端をナイフで切り、細い筆と小さな容器を並べた。
容器の中には、赤黒い絵の具が入っている。
「へえ。そんな感じで作るんだ。その絵の具が特別なのか?」
「はい。魔石を砕いた粉が混ざっています」
ユラが筆先へ絵の具をつけ、途切れた線を書き足していく。
「魔石の属性と魔力を反応させ、それを術式の回路へ通すことで魔術を発動させます。線の太さや長さでも出力が変わるので、少しでもずれると――」
「分かった。かなり難しいんだな」
「まだ説明の途中です」
「続きは今度聞くよ」
ユラは少し不満そうな顔をしたが、すぐに札へ視線を戻した。
細い線が何本も繋がり、最後に中央の円へ集まっていく。
「できました」
「もう直ったのか?」
「直したというより、作り替えました。元のより効果範囲は狭いですが、その分、火力は上がっています」
「何回使える?」
「一度だけです」
「外したら?」
「終わりです」
「怖いことを平然と言うなよ……」
「ですから、必ず当てます」
ユラは札を乾かすため、床へ置いた。
筆を持っていた指が少し震えている。本人は気づいていないふりをしているようなので、俺も言わなかった。
乾くまで二人で休み、それから探索を再開した。
次の魔物と遭遇したのは、柱の並ぶ広い部屋だった。
部屋の中央に、大型犬ほどもあるトカゲが伏せている。
太い脚に長い尻尾。頭から背中まで、重なった灰色の殻に覆われていた。
「殻付きのコモドオオトカゲ……」
「コモド?」
「気にするな。あれ、知ってるか?」
「鎧蜥蜴です。甲殻は硬いので刃を弾きます。見た目より素早いので気をつけてください」
「ちなみに戦ったことは?」
「ありません」
「だよな」
鎧蜥蜴が顔を上げた。
俺たちを見つけた瞬間、床を蹴る。
「速っ!」
考える暇もなく、横へ跳んだ。
巨大な顎が、さっきまで俺の脚があった場所で閉じる。大型犬くらいの大きさなのに、動きはコウモリより速い。
鎧蜥蜴は爪で床を削り、その場で身体を反転させた。
「ナオトさん、来ます!」
「ああ!」
斧を両手で構える。
噛みつきに合わせて、刃ではなく柄を頭へ叩きつけた。
止めるつもりだったが、押し負けた。
「ぐっ!」
腕ごと弾かれ、二歩下がる。
こいつを一人で倒すのはきつい。
「ユラ! 早速だが、あの呪符使えるか?」
「使えます!」
「俺が引きつける。撃てそうになったら言ってくれ!」
「分かりました!」
ユラが柱の陰へ移動し、札を両手で挟む。
鎧蜥蜴は近くにいる俺へ狙いを定めた。
また正面から突っ込んでくる。
ぎりぎりまで待つ。
「《リプレイ》!」
身体が右へ大きく踏み込んだ。
顎は避けた。
だが、通り過ぎた尻尾が横から飛んでくる。
「うわっ!」
斧で受けたものの、身体ごと押し飛ばされた。
床を転がり、すぐに立ち上がる。腕は痛むが、骨まではいっていない。いってないといいな。
「まだですか!?」
「もう少し!」
ユラの前で、札の模様が赤く光り始めている。
まだ足りない。
鎧蜥蜴がユラへ顔を向けた。
「おい! こっちだ!」
斧で床を叩く。
鎧蜥蜴の目が俺へ戻った。
怒らせることには成功したらしい。嬉しくはないけどな!
今度は逃げず、正面から待つ。
大きく開いた口が迫る。
「ナオトさん、伏せて!」
俺はその場で床へ倒れ込んだ。
頭上を赤い光が通過する。
火球が鎧蜥蜴の首へ直撃し、破裂した。
熱が背中を叩く。
鎧蜥蜴の身体が横へ吹き飛び、柱へぶつかった。首を覆っていた殻が割れ、黒く焼けた肉が見えている。
「やった!」
「まだです!」
鎧蜥蜴が起き上がった。
右前脚を引きずっているが、止まらない。
火球を放ったユラへ向かい、床を蹴る。
「ユラ!」
果物ナイフを取り出す。
「《リプレイ》!」
投げたナイフが、開いた口の中へ突き刺さった。
鎧蜥蜴の頭が跳ね上がる。
その隙に走り込み、焼けて割れた首へ斧を振り下ろした。
「《リプレイ》!」
再現された一撃が、殻の隙間へ食い込む。
浅い。
鎧蜥蜴が暴れ、斧ごと腕を持っていかれそうになる。
「入れぇ!」
柄を両手で押し込む。
刃がさらに沈み、鎧蜥蜴の脚から力が抜けた。
少し遅れて、文字が表示される。
【鎧蜥蜴を討伐しました】
【レベルが13から14へ上がりました】
【100ガチャポイントを獲得しました】
「おっしゃあ! レベルアップ! 久々だぜ!」
斧を引き抜き、拳を握る。
それだけじゃない。
「ガチャポイントも貯まった! これで十連が回せるぞ!」
「あの、ナオトさん」
「ん?」
「何を見ているんですか?」
「何って、ステータスだぞ」
「ステータス?」
「筋力とか耐久とか、いろいろ表示されてるだろ?」
「そういうスキルをお持ちなのですか?」
ユラには見えていないらしい。
この世界にもレベルはあるが、細かいステータスまで見られるのは普通ではないようだ。《異界渡り》の効果だろうか。
「ユラ。職業って知ってるか?」
「なっ!」
ユラが胸元を押さえ、一歩下がった。
「わたしが無職であることを、どこで知ったのですか!?」
「え?」
「ナオトさんもお父様たちと同じように、職に就けと言うのですね……。わたしはこんなに魔術の勉強をしているのに……そうわたしは蝶……今にきっと魔術で大成するのです」
ユラが顔を手で覆う。
指の隙間から、こっちを見ていた。
「いや……まあ、仕事はした方がいいと思うぞ」
「ナオトさんまで!」
「というか、仕事してないなら、その呪符を作る道具はどうやって買ったんだ? 結構高いんだろ?」
「はい! それはですね!」
ユラが急に顔を上げた。
「お年玉やお小遣いを、ずっと貯めていました」
ふふん、と胸を張る。
「あっ、もちろんそれだけではありませんよ。家のお手伝いもたくさんしましたし、上手くできた呪符を売ったこともあります!」
が……ガキ。
「それより、ステータスとは何なんですか?」
ユラが鼻息を荒くして迫ってくる。
切り替えが早い。
「俺の能力を、数字で表したものだよ」
もう一度、表示を確認する。
【名前】相馬直人
【種族】人族
【職業】魔法戦士
【レベル】13
【生命力】37/37
【魔力】16/16
【筋力】25
【耐久】19
【敏捷】20
【器用】10
【精神】40
【スキル】《ガチャ Lv1》《リプレイ Lv1》《収納》
【称号】《異界渡り》《森精霊の友》
俺が数値を読み上げると、ユラは途中から口元へ手を当てた。
「精神が40……」
「高いのか?」
「わかりませんが、ほかの数値と比べても高いですよね。何か心当たりは?」
「うーん。正直、まったく身に覚えがないな。俺は至って普通のことしかやってこなかったぞ」
「精神の数値が、魔力を扱う力にも関係しているとすれば……先ほど治癒の呪符が異常な反応をしたのも、それが原因……?」
ユラが一人で呟き始めた。
長くなりそうなので、俺はガチャ画面へ視線を戻した。
念願の十連だ。
金色までは望まない。銀が一つ出て、残りに役立つ道具が入っていれば十分。
いや、嘘だ。
せっかくなら金が欲しい。
「よし。今回もいいの来いよ!」
「ナオトさん? 何を――」
「十連ガチャ!」
ステータスウインドウがガチャ画面に切り替わデフォルメされた竜の頭が現れた。
ガチャが回転を始める。
開いた口から、カプセルが次々と吐き出された。
白。
白。
また白。
分かっていた。これが普通だ。
その後も白が続き八個目まで白。
そして九個目。
口の奥が金色に光った。
「おおおあああああああああっ!」
「えっ、敵ですか!?」
「金! 金が出た!」
「きん?」
「うわっ、銀もきた! すげえ!」
これが異世界美少女効果なのか?
次からもユラの近くで引こう。
並んだカプセルは、金が一つ、銀が一つ。残りは白だ。
俺は我慢できず、金色のカプセルから開けた。
中から出てきたのは、炎の模様が浮かぶ赤い宝石だった。
【★4 スキルオーブ《火炎魔法》】
「よっしゃあ! スキルオーブだ!」
続いて銀色を開く。
現れたのは、黒い刃を持つ斧だった。
【★3 黒曜鉄の斧】
持ち上げてみると、今までの鉄の斧より少し重い。だが、柄を握ったときの収まりはこっちの方がいい。
残りの白からは、ビスケット缶、キャラメル、いちご飴、マグカップ、歯ブラシ、軍手、爪切り、輪ゴム一箱が出た。
戦闘に使える物は少ないが、金と銀が出た時点で大勝ちだ。
「な、な、な……」
ユラが並んだ品見ている。
「なんですか、それー!?」
「ん?これか?これは《ガチャ》だ。魔物を倒すとポイントが貯まって、それを使えば道具が出てくる。何が出るかは選べないけどな」
「何もない場所から、これだけの物を?」
「ああ」
「武器も?」
「出る」
「食べ物も?」
「出る」
ユラが額へ手を当てた。
「なんて掟破りな……」
そう言いながらも、目は景品へ釘づけだ。
「ち、ちなみに、今回は何が出たんですか?」
「スキルオーブと斧。あとは雑貨と甘い物だな」
「スキルオーブ!?」
ユラの狐耳がぴんと立った。
「ええ!? スキルオーブは、人が作れる物ではありませんよ!」
「これはガチャが出したんだけど」
「スキルオーブは、ダンジョンが内部で死んだ生き物の情報をもとに作る宝石です。それをダンジョン以外が作れるなんて……」
ユラが、はっと息を呑む。
「もしや、ナオトさんはダンジョンだった……?」
「違うぞ」
何を言ってるんだ。
「そ、それで……何のスキルオーブなのですか?」
ユラが両手の指を顔の前で組み、赤い宝石をちらちらと見る。
「《火炎魔法》だけど」
「…………」
ユラの口が開いたまま止まった。
「け……」
「け?」
「結婚しましょう、ナオトさん!」
「ええ!?」
「わたし、こう見えてもいい女なんです! お手伝いをたくさんしたので家事もできますし、呪符も作れます! 火炎魔法があれば、もっと安定した呪符も作れます。売ればお金も稼げます!」
ユラが自分の顔を指差す。
「それに、わたしは多分、顔もいいです! ですから結婚しましょう! そして妻になったわたしに、そのスキルオーブを使ってください!」
「そんなスキルオーブに釣られた奴が、一生の相棒っていうのはちょっと……」
「スキルオーブだけではありません!」
ユラが一歩近づいた。
「命を助けてくれて、スキルがないわたしを笑わなくて、怪我まで治してくれました。そんな人に、次はいつ会えると思うんですか?」
「いや、俺に聞かれても……」
「わたしは十九です。村では、もうみんな相手を決めている歳なんですよ!」
「十九で行き遅れなのか?」
「行き遅れって言わないで!それに、まだ行き遅れてはいません! 少し急いだ方がいいだけです!」
それを行き遅れと言うんじゃないだろうか。
「何卒! 何卒、お願いしますぅ!」
ユラがその場で土下座した。
「やめろって! 顔を上げろ!」
「では、結婚してくれますか?」
「それとこれは別だ!」
ユラが渋々立ち上がる。
「スキルオーブって、そんなにすごいのか?」
「物にもよりますが、基本的にはものすごく価値が高いです。《火炎魔法》なら、帝都に豪邸が建ちます」
「そんなに!?」
驚いてはみたが帝都ってなんだ?東京的な感じか?
東京で豪邸が建つというとその凄さも納得はできる。
「《火炎魔法》は《火魔法》の上位スキルです。出力も自由度も桁違いですから」
ユラは赤い宝石から目を離さないまま、説明を続ける。
「それに、スキルオーブはダンジョンで死んだ生き物の情報から作られます。《火炎魔法》を持つ人は強いので、簡単には死にません。死ぬとしても、強力なダンジョンの深層です」
「作られる数が少ないうえに、取りに行くのも大変なのか」
「そういうことです!」
「そんなに貴重だって言われると、余計に渡したくなくなってきたな……」
ユラが、はっと顔を上げる。
「しまった……!」
「おい!」
「い、今の説明は忘れてください!」
赤い宝石を手のひらで転がす。
「というか、魔法なら精神が高い俺が使った方がいいんじゃないか?」
「そ、それは……その通りですけど」
ユラの耳が横へ倒れる。
「で、でも! ナオトさんは《リプレイ》でも魔力を使いますよね? 火炎魔法まで使えば、すぐに魔力が尽きます!」
「それはたしかに」
「戦力は分けた方がいいと、昔の武将のノブナガーンも言っていました!」
「誰だよ、そいつは!」
元の世界の武将すらろくに知らないのに、異世界の武将なんて分かるわけがない。
ただ、言っていること自体は間違っていない。
俺は近くで斧を使い、ユラは離れた場所から魔法を撃つ。
さっきの鎧蜥蜴も、ユラの火球がなければ倒せなかった。半分焼けた呪符を直し、一度しか撃てない攻撃をきっちり当てた。
何より、ユラはスキルがないまま、ずっと魔法を諦めなかった。
俺が使うより、こいつが使った方がいいかもな。
「ユラ」
「はい!」
「結婚の話は置いておくとして、このスキルオーブはユラに渡す」
「……本当に?」
「ああ。俺には《リプレイ》があるし、新しい斧も出た。ユラが火炎魔法を使えた方が、二人で戦いやすい」
赤い宝石を差し出す。
「それに、そんだけ魔法が好きなユラに使ってもらった方が、こいつも喜ぶだろ」
「ナオトさん……」
ユラは両手でスキルオーブを受け取った。
壊れ物を扱うように胸元へ寄せ、そのまま白い尻尾で大事そうに包む。
しばらく宝石を見つめたあと、ユラが顔を上げた。
「では、約束です。ナオトさん、右手を出してください」
「ん? なんの約束だ?」
そんな話をした覚えはない。
それでも右手を差し出すと、ユラは俺の手首を両手で掴んだ。
指が少し冷たい。
「動かさないでくださいね」
「何するんだ?」
「すぐ終わります」
ユラは俺の手首を離さないまま、反対の手で上着の裾を掴んだ。
少し迷ってから、胸の下までゆっくり持ち上げる。
白い腹が見えた。
細い腰の真ん中に、小さく縦へくぼんだへそがある。呼吸をするたび、平らな腹がかすかに上下していた。
見ちゃ駄目だと思ったのに、目を逸らせない。
「ユラ、それ……」
「じっとしていてください」
ユラの声も震えていた。
俺の手を引き寄せ、まず手のひらを自分の腹へ重ねる。
「ひゃっ……」
触れた瞬間、ユラの身体が跳ねた。
柔らかい。思っていたより温かく、俺の手の下で腹にきゅっと力が入るのが分かった。
「やっぱりやめるか?」
「や、やめません。必要なことですから」
狐耳を伏せたまま、ユラが俺の親指を掴む。
その指先を、自分のへそへ近づけていく。
「待て。そこに入れるのか?」
「そうです」
「そうですって……」
親指の腹が、へその縁へ触れた。
「んっ……」
ユラの喉から、押し殺した声が漏れる。
腹がまた硬くなった。それでもユラは手を離さず、俺の親指をくぼみの奥へゆっくり押し込んでいく。
柔らかな皮膚が指先を包んだ。
「んぅ……っ」
「ユラ、本当にこれで合ってるのか?」
「しゃ、喋らないでください……失敗、します」
「何に失敗するんだよ……」
俺の質問には答えず、ユラは親指をもう一度深く押し込んだ。
へその内側を指先でなぞるたび、白い腹が小さく震える。ユラは唇を噛んで声を我慢していたが、浅くなった息までは隠せていない。
「ふっ……ん……」
狐耳はぺたりと伏せ、白い尻尾が自分の脚へきつく巻きついていた。
さっきまで魔法について早口で喋っていた奴と、同じ女の子には見えない。
顔も耳も真っ赤なのに、俺の目を逸らさせようとはしなかった。
最後に、ユラは俺の親指をへその奥へ強く押し当てた。
「あっ……」
短い声と一緒に、ユラの身体から力が抜ける。
俺の手首を掴む指だけが、ぎゅっと強くなった。
数秒そのままでいたあと、ユラは荒くなった息を整えながら、俺の親指をゆっくり引き抜いた。
指先には、まだユラの腹の熱が残っている。
「こ、これで……婚姻は成立しました」
「え?」
ユラは慌てて上着を下ろした。
隠したあとも両手で腹を押さえ、しばらく顔を上げようとしない。
「婚姻って……結婚の?」
「ほかに何があるんですか」
ようやく顔を上げたユラが、潤んだ目で俺を見る。
恥ずかしそうに唇を結び、それでも逃げずに言った。
「これから、よろしくお願いしますね。旦那様」
「ええええええええええっ!?」




