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狐耳の少女

13



 俺は、勝ち組かもしれない。


 ついさっきまで、男一人で寂しく森を歩いていた。


 それが今はどうだ。


 隣には、白い狐耳の美少女。しかも俺の手を握ったままだ。


 異世界、すごい。


 みんなも知ってるだろうが、俺は童貞だ。


 高校は男子校で、卒業後も女の子との縁はなかった。


 そんな俺が、とんでもない美少女に抱きつく勢いで服を掴まれたのだ。平気でいろという方が無理だろ。


 吊り橋効果で、この子も俺のことを好きになったり……。


 いや、待て。出会ってまだ五分くらいだぞ。


 命を助けられて混乱しているだけだ。ここで勘違いしたら、ただの危ない奴になってしまう。


 落ち着け、俺。


 まずは名前だ。


「えーと、君の名前は?」


「わたしはユラです。よろしくお願いします、ナオトさん」


「ああ。よろしく、ユラ」


 名前を呼ぶと、ユラは少しだけ目を伏せた。女の子の名前を呼ぶだけで妙に緊張する。


「それにしても、普通に言葉が通じるんだな。ユラも日本語を話せるのか?」


「ニホンゴ?」


 ユラが首を傾げ、白い狐耳も同じ方向へ傾く。


「わたしが話しているのは大陸共通語ですけど……ナオトさんもそうですよね?」


「あー、そう聞こえてるのか」


 俺は日本語で話している。《異界渡り》の効果だろうか。まあ、通じるなら今はそれでいい。


「ナオトさん。その腕、見せてください」


 ユラの視線が、爪で裂かれた俺の左腕へ落ちる。


「これくらいなら平気だって」


「平気かどうかは、傷を見てから決めます」


「はい」


 強い。


 ユラは腰のポーチから、緑色の模様が描かれた札を取り出した。


「治癒の呪符は、これで残り二枚です。わたしの魔力も少し戻ったので、一枚使います」


 呪符。なんだろうか。治癒って名前がついてるし傷を治してくれるのかな?


「いや、ユラの方が怪我ひどいだろ」


「ナオトさんの傷を先に治します。わたしを助けて負った傷なんですから」


「でも――」


「腕を出してください」


「……はい」


 強い。


 ユラが札の端をつまみ、目を閉じる。


 指先から柔らかな緑の光が広がり、札に描かれた模様が浮かび上がる。


 それを俺の傷へ貼りつけた。


「うおっ」


 温かい。


 札が下から灰になり、それに合わせて傷口が塞がっていく。最後の欠片が落ちる頃には、爪の跡は細い赤い線になっていた。


「すげえ……。治った!」


「失った血まで戻るわけではありません。疲れも残りますから、無茶はしないでください」


「これも魔法なのか?」


「違います。これは魔術です」


「魔法と魔術って別なのか?」


 ユラの目が輝いた。


「はい! 魔法は、自分の魔力へ形を与えて現象を起こすものです。対応したスキルがあれば簡単ですが、なくても不可能ではありません。魔力の変換も構築も自分でするので、才能がないと使えませんし習得には長い時間がかかります。あ!でも《火魔法》や《水魔法》のようなスキルがあれば別ですよ!あれがあればそこら辺のことはすっ飛ばして自分のイメージ通りに魔法を使えるんです!威力も強力になりますし、魔力効率も段違いでいいのです!」


「お、おう」


「そしてそれを扱いやすくしたのが魔術です。先に術式を道具へ記しておき、使う人は魔力を流すだけ。この呪符なら、魔力が治癒の力へ変わります。ただし、記された効果しか使えませんし、素材との相性や使用者の魔力制御によって効率が――」


「待って待って! 一気に説明されても分からない!」


 ユラは口を開いたまま止まった。


「……まだ最初の方です」


「あれで?」


「かなり簡単にしたのですが」


 不満そうだ。


 ユラは、魔法の話になると止まらないらしい。


「そうだ。これもユラのか?」


 俺はさっき通路で拾った焼けた札を取り出した。


「あっ、そうです! 返してください!」


 さっきまで座っていたユラが、勢いよく身を乗り出した。痛めた足が床へ触れ、すぐに顔をしかめる。


「動くなって。ほら」


「だ、大丈夫です。これは火球の呪符です。本当は一撃で焼く予定だったんですが、魔力が足りなくて殻を割るところまでしか……。出力を落として二回使えるようにした方が――」


 ユラは焦げた術式を指で追いながら、一人で呟き始めた。


「もしかして、その札もユラが作ったのか?」


「はい。線香型の忌避具もわたしが作りました」


「あの甘い匂いのやつか。ネズミが寄ってこなくなって助かったよ」


 ユラがふふん。と得意げな顔をする。

 

「そうでしょう。殻ネズミは香草の匂いが苦手だと本に書かれていました。実際に使ったのは今日が初めてですけど」


「成功してるならいいだろ」


「途中までは成功していました」


「途中から追いかけ回されてたもんな」


「あんなに早く効果ぎ切れるとは思わなかったんです!」


 試してからきた方が良かったんじゃないか?


 「でも、なんで一人でこんなところに来たんだ?」


 ユラの指が止まった。


「近くにできた遺跡が、ダンジョンかもしれないと聞いたんです。父のところへ報告に来た人がいて……少し、興味があったので」


「それで一人で?」


「一人の方が、動きやすいですから」


 ユラはそう言って、焦げた札をポーチへしまった。


 目が合わない。


 まだ何かありそうだが、無理に聞くことでもないか。


「入り口だけ見るつもりだったんです。でも、中には新しい術式がいくつもあって……調べながら進んでいたら、転移陣を踏んでしまいました」


「似た者同士だな、俺たち」


「に、似た者同士……」


 ユラはなぜかその言葉を繰り返し、身体をそっと戻した。

 

 そういえば、こいつもずっと何も食べていないはずだ。顔色もまだあまり良くない。


「腹、減ってないか?」


「……少しだけ」


「じゃあ、これ食うか」


 俺は《収納》から木の実を二つ取り出し、そのうち一つをユラへ差し出した。


 ユラが受け取ろうと手を伸ばす。


 だが、その手は途中で止まった。


 そこで、俺の《収納》を見たユラの動きがまた止まる。


「今、それはどこから出したんですか?」


「《収納》だけど」


「《収納》!? 容量は? 一度に入れられる大きさは? 中で時間は進みますか? 重さは感じるんですか? 取り出せる範囲は? 生き物は――」


「一度に聞くな!」


 すまん。ほとんど検証していない。


 そう答えると、ユラは信じられないものを見る目を俺へ向けた。


「そんなに便利なスキルを持っていて、調べていないんですか?」


「いろいろ忙しかったんだよ!」


「次に休める場所を見つけたら、必ず調べてください。わたしも見ます」


「自分が見たいだけじゃないか?」


「否定はしません」


 しないのかよ。


「ユラは、本当に魔法が好きなんだな」


「はい。魔法は好きです。魔術も好きです。それに、魔法はずっと憧れでした」


 さっきまでの勢いが、そこで少し弱くなった。


「わたし、スキルを一つも持っていないんです」


「一つも?」


「白狐族は魔法に秀でた種族だと言われています。村のみんなも、成人するまでには何かしらのスキルを得ました。でも、わたしには何もなかった」


 ユラは膝の上で手を重ねた。右腕に巻かれた血まみれの布だけが、やけに目につく。


「村長の娘なのに、何もできない。魔法は諦めろって、何度も言われました」


「それで、魔術を?」


「魔術なら、スキルがなくても使えます。失敗ばかりですし、お金もかかりますけど」


「お金?」


「魔導書も術具も素材も、安くはありませんから」


 少し言いにくそうに視線を逸らした。


「……今まで、貯めたお金はほとんど使いました」


 魔法狂いなうえに散財癖まであるらしい。


「それでも、諦めなかったんだな」


「まだ何もできていません」


「そんなことないだろ。ユラの札がなかったら、あのでかいネズミは倒せなかった」


「でも、一人では負けました」


「俺だって一人なら危なかったよ。二人で倒したんだから、それでいいだろ」


 ユラは返事をしなかった。


 握った指先へ力を入れ、膝を見つめている。


 俺にも昔、どうしてもやりたいことがあった。


 けど、うまくいかないことが続いて、途中で諦めた。才能がないなら仕方ない。そう思うことにした。


 でも、ユラは何度も諦めろと言われても、まだ続けている。


「……ユラって、すごいな」


「え?」


「いや。俺にはできなかったからさ」


 詳しく話す気にはなれず、それだけで誤魔化した


 ユラも、好きなものに必要な才能を持っていない。


 俺はそれをやめる理由にした。こいつは、まだ続けている。


 ユラは聞き返さなかった。ただ、俺の手を握る力が少しだけ弱くなった。


「それで、ここから出る方法は分かるのか?」


「はい。ここがダンジョンなら、最下層に入り口へ戻る帰還陣があるはずです」


「最下層か……」


 いかにも強い魔物が待っていそうな場所だ。


「他の道は?」


「わたしが調べた範囲にはありませんでした」


 戻れない以上、ここで座っていても仕方がない。


「じゃあ、行くしかないな」


「はい。ですが、その前に残りの呪符でわたしの傷を――」


「それ、俺が使ってみてもいいのか?」


「魔力があれば使えますけど……ナオトさんは、魔術を使ったことがないですよね?」


「ない。でも、魔力ならまだ残ってる」


 《リプレイ》を何度か使ったが、まだ残っている。ユラは迷ったあと、最後の呪符を差し出した。


「傷へ当てて、治すことだけを考えてください。札の線へ、少しずつ魔力を流す感じです」


「少しずつな。分かった」


 ユラの右腕へ札を重ねる。


 やり方は分からない。ただ、《リプレイ》を使うときに減る力なら、身体の中にあるはずだ。


 札の先へ、その力を押し出すように意識した。


 次の瞬間、緑の光が弾けた。


「うわっ!」


「えっ!?」


 さっきとは比べものにならない光が、ユラの右腕から全身へ駆け巡った。札は一瞬で灰になり、巻かれていた布の下で傷口がみるみる塞がっていく。


 光は痛めた左足まで包み込んだ。


「ちょ、ちょっと待ってください! 流しすぎです!」


「止め方が分からない!」


「失敗したら、もう札がないのですよ!?」


「そう言われてもどうしたらいいんだこれ?!」


 

 少しして光が消える。


 ユラは呆然と自分の右腕を見た。血に染まった布を外すと、噛まれた傷は完全に塞がっている。


 恐る恐る立ち上がり、左足へ体重をかけた。


「……痛くない」


「治ったのか?」


「傷も捻挫も治っています。失った血と疲れは戻っていませんけど……こんな出力、普通は……」


 ユラが俺の顔を見る。


「ナオトさん。もしかして、ものすごく高レベルの方なんですか?」


「いや。まだレベル十三だけど」


「……十三?」


「ああ」


「嘘です。わたしより低いじゃないですか!」


「嘘じゃないって。そんなことで嘘ついてどうするんだよ」


「レベル十三で、あれだけの魔力を……」


 ユラは床に落ちた灰を指先でつまみ、じっと見つめた。


「魔力量が多いのでしょうか。それとも、呪符との相性……いえ、術式は普通に作動していましたし……」


「また始まったな」


「始まってません。大事な確認です」


「分かった。続きはここを出てからにしよう」


「ですが、今の考えを忘れる前に――」


 ユラが一歩踏み出し、ふらりと身体を傾けた。慌てて肩を支える。


「傷が治っても、血と疲れは戻らないんだろ?」


「……少し、ふらついただけです」


「最下層まで行くんだ。無理して倒れられる方が困る」


 ユラは何か言い返そうとしたが、結局、小さく頷いた。


「では、少しだけ借ります」


 俺が斧を拾い上げると、ユラは肩から手を離し、今度は俺の服の裾を掴んだ。


「それで歩けるのか?」


「はぐれないためです」


「そういうものが」

 

「そういうものです」


 傷は治ったが、治癒の呪符はもう一枚もない。ユラの疲れも、失った血もそのままだ。


 それでも、ここから出るには最下層まで進むしかない。


 俺は通路の先を確かめ、ユラと一緒に歩き出した。


 美少女に服を掴まれたまま、二人でダンジョンの最下層へ向かう。


 まあ勝ち組かどうかは、無事に出てから考えよう。

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