ダンジョン?
11
ジョーたちと別れて二日目。
俺は昨日と変わらず、川に沿って下流へ進んでいた。
腹が減ったら《収納》から木の実を取り出し、喉が渇けば川の水を飲む。食料に困らないのはありがたいが、話し相手がいないせいで妙に時間が長く感じる。
「今ごろ、家を壊してなかったらいいけど」
返事はない。
分かっていたが、少し寂しい。
右手首の腕輪へ触れてから、足元の石を蹴った。
「……さっさと森を出よう」
そう思っていたのだが、昼を少し過ぎた頃、川辺の泥に見慣れない跡を見つけた。
しゃがみ込み、自分の靴と見比べる。
「これ、靴の跡だよな?」
動物の足跡ではない。俺のスニーカーより小さく、つま先の細い靴底の跡が、川から森の奥へ続いている。
この世界へ来てから、人が使った物すら見ていない。俺と同じ人間とは限らないが、少なくとも靴を履いて歩く何者かがいる。
跡はまだ崩れていない。ついてから、それほど時間は経っていないはずだ。
「やっと誰かに会えるかもしれないのか」
声が少し弾んだ。
相手が友好的とは限らない。そのくらいは俺にも分かる。
それでも、見なかったことにして通り過ぎる気にはなれなかった。
俺は斧を手に持ち、足跡を追って森へ入った。
しばらく進むと、木々の間から灰色の石が見えてきた。
最初は大きな岩だと思ったが、近づくにつれて形がおかしいことに気づく。苔に覆われているものの、表面は平らに削られ、同じ大きさの石が何段も積み重なっていた。
「建物……だよな?」
半分以上が土と木の根に埋もれている。
正面には、人が二人並んで通れそうな入口があった。その先は地下へ向かっており、石の階段が暗がりの奥まで続いている。
靴跡は、その中へ入っていた。
「なんか、ダンジョンみたいだな……」
俺がよくやっていたRPGにも、こんな見た目のダンジョンがたくさん出てきた。
危険なのは分かっている。こんな暗くて狭い場所、どう考えても魔物が出てくるやつだ。
けど、こういういかにもな場所を前にして、そのまま引き返すのは少しもったいなくないか?
「よし。入口だけ見て、危なそうならすぐ戻ろう」
自分に言い訳をして、俺は階段へ足をかけた。
中へ入ると、壁に埋め込まれた小さな石が淡い緑色に光っていた。明るいとは言えないが、足元を見るには十分だ。
「これも魔法なのか?」
持って帰れば、夜でも明かりに困らなくなるかもしれない。
俺は試しに、斧の柄で光る石の周りを軽く叩いてみた。石は思ったより簡単に外れ、ころりと足元へ転がる。
しかし、さっきまでの光は消えていた。
「ま、そううまくはいかないか」
拾って元の穴へ押し込んでみたが、光は戻らない。手を離すと、石はまた床へ落ちた。
しかも、一つ外したせいで階段が少し暗くなっている。
「余計なことしたな……」
石を壁際へ寄せ、今度こそ先へ進む。
階段を下りた先には、石造りの通路が続いていた。
床には薄く土が積もり、小さな靴跡が残っている。途中で少し乱れているが、立ち止まった様子はない。
俺も足跡を追おうとした、そのときだった。
前方の暗がりから、爪が石を引っかく音が聞こえた。
足を止め、斧を両手で構える。
ゆっくりと姿を見せたのは、大型犬ほどもある灰色のネズミだった。背中から頭にかけて、石のように硬そうな殻で覆われている。
「お前、本当にネズミか?」
まあ、この世界のネズミを知らない俺に聞かれても、向こうも困るだろう。
大ネズミは前歯をむき出しにし、甲高い声を上げた。
次の瞬間、石床を蹴って突っ込んでくる。
真っ直ぐだ。
俺は斧を振り上げ、頭を狙って振り下ろした。
刃が殻へ当たり、甲高い音を立てて弾かれる。
「硬っ!?」
両手に痺れが走り、斧を取り落としそうになった。
大ネズミは止まらない。そのまま俺の脚へ食らいつこうと、大きく口を開ける。
「《リプレイ》!」
身体が登録された動きをなぞり、右へ大きく踏み込んだ。
前歯がジーパンの端をかすめる。
大ネズミは勢い余って壁へ頭からぶつかった。だが、効いている様子はない。すぐに向きを変え、また前歯を鳴らし始める。
どうやら自分の殻には、かなり自信があるらしい。
「そっちが硬いなら……」
《収納》から果物ナイフを取り出す。
頭も背中も無理なら、狙う場所は一つしかない。
大ネズミが再び走り出した。
俺は通路の端で待ち構え、ぶつかる寸前で横へ逃げる。すぐそばを通り過ぎる大ネズミの腹が見えた。
「《リプレイ》!」
果物ナイフが手を離れる。
再現された投擲は、大ネズミの殻の隙間――前脚の付け根へ突き刺さった。
大ネズミが甲高い悲鳴を上げ、床を転がる。暴れる身体の下に見えた腹には、やはり殻がない。
俺は斧を両手で持ち直し、起き上がる前に振り下ろした。
今度は弾かれなかった。
斧の刃が腹へ食い込み、大ネズミの身体が大きく跳ねる。
しばらく前脚が床を引っかいていたが、やがて動かなくなった。
少し遅れて、討伐とガチャポイントの獲得を知らせる文字が表示される。
「最初から腹を狙えばよかったな……」
痺れの残る手を振りながら、果物ナイフを引き抜く。
刃には小さな欠けもない。血を拭って《収納》へ戻してから、念のため通路の前後を見回した。
ほかに何かが近づいてくる音はない。
それを確認して、ようやく息を吐いた。
ジョーたちと一緒にいたときは、背中を任せられた。複数のフォレストウルフに囲まれても、自分の目の前だけに集中できた。
けど、今は違う。
この一匹と戦っている最中に、後ろからもう一匹来ていたら。それだけで、たぶん俺は無事では済まなかった。
仲間がいなくなったのは、思っていた以上にきつい。
「一人でダンジョンに入るとか、やっぱり馬鹿だったか……?」
入口なら、まだそれほど遠くない。
今なら戻れる。
俺は通路の奥へ続く靴跡を見た。
ここまで魔物に襲われた跡はない。足跡の主はうまく避けたのか、それとも倒さずに先へ進めるほど強いのか。
どちらにしても、戻ってきた足跡がないのが気になる。
「もう少しだけなら……いいよな」
誰に確認しているのか、自分でも分からない。
人に会いたい。
足跡の主人がどんな相手なのかも確かめたい。
それに――。
「……やっぱり、ダンジョンってやつはロマンだろ」
小さく呟き、俺は斧を握り直した。
怖いものは怖い。
それでも好奇心には勝てず、俺はさらに奥へと進んだ。




