旅立ち
10
次の日の朝、目が覚めるとジョーの姿がなかった。
「あれ? ジョーは?」
「ウキィ」
パンが洞の外を指さす。
食べ物でも探しに行ったのかと思ったが、しばらくすると下のほうから枝の揺れる音が聞こえてきた。
戻ってきたジョーが持っていたのは、俺が置いてきた鉄の斧と果物ナイフだった。
「拾ってきてくれたのか。助かった」
「ウキッ!」
ジョーは得意そうに斧を差し出した。
受け取ろうとしたところで、ジョーの指に力が入る。斧の柄がミシッと嫌な音を立てた。
「待て待て! 離せ! それ以上は折れる!」
「ウキッ!?」
慌てて手を離したジョーが、斧と自分の手を見比べる。
あのスキルオーブを使ってから、ジョーの身体は一回りどころか二回り以上大きくなった。力も、本人が思っているよりずっと強くなっている。
昨日は戦いの最中だったから気にならなかったが、普段の生活となると話は別らしい。
「まあ、壊れてないから大丈夫だ」
「ウキィ……」
「そんなに落ち込むなって。慣れれば何とかなるだろ」
たぶん。
俺は斧を《収納》へ入れた。
「ウキュッ?」
隣で見ていたアブーが、俺の手をつかんで裏返した。
「ないぞ」
「ウキュ?」
「ここにも隠してない」
今度は服の裾を持ち上げようとしてくる。
「やめろって。服の中にもないから!」
「ウキュキュッ!」
アブーは信じていないらしい。
パンに尻尾を引っ張られ、ようやく俺から離れた。
◇
それから数日、俺はジョーたちの住処で世話になった。
脇腹の傷はまだ痛んだが、ポーションが効いたのか、日に日に楽になっていった。
ただ、少しくらい動いても平気だろうと立ち上がるたびに、パンに止められた。
「水を飲みに行くだけだから」
「ウキィッ」
「すぐそこだって」
「ウキィッ!」
「……はい」
ジョーよりパンのほうが怖い。
大人しく座り直すと、パンは満足したらしく、木の実を一つ渡してきた。
赤くて小さな木の実だ。
前にも食べたことがある。少し酸っぱいが、腹を壊したりはしない。
「ありがと」
「ウキィ」
俺はそれを口へ放り込んだ。
次の瞬間、舌が痺れた。
「うぐっ!?」
渋すぎる!
「ウキュキュキュッ!」
アブーが腹を抱えて笑っている。
よく見ると、前に食べた木の実より少しだけ色が濃い。
こいつ、わざと混ぜたな。
「アブー……」
「ウキュッ!」
「傷が治ったら覚えてろよ」
立ち上がろうとしたが、脇腹が痛んで動けない。
アブーは俺の手が届かない枝まで逃げると、尻を向けて振ってきた。
「くそっ……」
パンはアブーを叱っていたが、口元を押さえている。
絶対、笑っているだろ。
ジョーはというと、新しい力にかなり苦戦していた。
木の実を取ろうとして枝ごと折り、地面へ下りようとして着地した場所をへこませる。水を飲もうと木の器を持てば、指の形に割れた。
「ウキィ……」
「またやったのか」
ジョーは壊れた器を両手に乗せ、しょんぼりしていた。
力を手に入れたときはあれだけ喜んでいたのに、今では何かに触るたびに怖がっている。
試しに拳を合わせようとしても、途中で手を止めてしまった。
「大丈夫だって。ゆっくりなら壊れない」
「ウキィ」
「ほら」
俺が拳を出すと、ジョーも恐る恐る拳を近づける。
ほんの少し触れただけで、すぐに離れた。
「できただろ」
「ウキッ」
「次は木の実だな。握るんじゃなくて、指先で持ってみたらどうだ?」
何度か潰したものの、五個目でようやく成功した。
ジョーは無事だった木の実を高く掲げる。
「ウキィッ!」
「それくらいで喜ぶなよ」
そう言いながら、俺も手を叩いた。
ジョーは嬉しそうに木の実を口へ放り込み、噛んだ瞬間に顔をしかめた。
さっき俺が食べたのと同じやつだ。
「ウキュキュキュッ!」
またアブーが笑っている。
「お前、俺だけじゃなくて父親にもやるのな」
◇
四日目には、斧を振っても脇腹が少し引きつる程度まで回復した。
パンは嫌そうな顔をしていたが、ジョーと一緒に行くことを条件に、狩りへ出るのを許してくれた。
「無茶はしないから」
「ウキィ」
「日が暮れる前には戻るよ」
「ウキィッ」
「分かってるって」
たぶん、同じことを何度も言われている。
言葉は分からなくても、こういうときは何となく伝わるものだ。
ジョーとの狩りは、最初からうまくいったわけではなかった。
ホーンラビットを見つけたジョーが地面を蹴った瞬間、土が大きくえぐれた。
勢いよく飛び出したジョーは獲物を追い越し、そのまま木の幹へ両手をつく。
太い木が大きく揺れ、上から葉と木の実が降ってきた。
「力を入れすぎだ!」
「ウキッ!」
「声もでかい!」
「ウ、ウキィ……」
ホーンラビットはとっくに逃げていた。
次はジョーに獲物を追わせ、俺が逃げ道で待ち伏せした。
だが、ジョーが近づくだけで獲物が怯え、予想と違う方向へ逃げてしまう。
三度目でようやく、茂みから飛び出したホーンラビットを仕留められた。
〖ホーンラビットを討伐しました〗
〖ガチャポイントを20P獲得しました〗
「よし!」
「ウキッ!」
ジョーが手を上げたので、俺も上げかけて止めた。
「いや、今のお前とハイタッチするのは怖いな」
「ウキィ……」
「落ち込むなって。拳ならいいから」
互いの拳をゆっくり合わせる。
今度のジョーは、俺が押されたと感じないくらいまで力を抑えていた。
「うまくなったじゃないか」
「ウキッ!」
それから何度か狩りへ出た。
俺が獲物の逃げる方向を読み、ジョーが遠くから回り込む。言葉は通じなくても、同じことを繰り返せば少しずつ動きが合ってきた。
ジョーも力任せに飛びかからなくなった。
とはいえ、失敗がなくなったわけではない。
獲物を追い詰めたあと、退路を塞ごうとして倒木を持ち上げ、そのまま投げたこともある。
「塞ぐだけでいい! 投げなくていいから!」
「ウキッ!?」
倒木は獲物の頭上を越え、遠くの茂みへ突っ込んだ。
当然、獲物には逃げられた。
◇
その日の帰り道だった。
前を歩いていたジョーが、急に足を止めた。
「どうした?」
「ウキィ……」
低い声だった。
ジョーが俺を背中へ隠すように前へ出る。
少し遅れて、茂みの奥から唸り声が聞こえた。
姿を現したのは、四匹のフォレストウルフだった。
「こいつら……」
グレーターウルフとの戦いで逃げた四匹だ。
ボスを失って、どこかへ逃げたと思っていた。それが、また戻ってきたらしい。
四匹とも俺ではなく、ジョーを見ていた。
前に戦ったときとは姿が変わっていても、同じ相手だと分かるのだろうか。
フォレストウルフたちはすぐには飛びかかってこなかった。
唸りながら少しずつ広がり、俺たちを囲もうとしている。
斧へ手を伸ばす。
だが、ジョーが片腕を出して俺を止めた。
「一人でやるつもりか?」
「ウキッ」
「四匹いるぞ」
「ウキキッ!」
ジョーは前へ出た。
フォレストウルフの一匹が横から飛びかかる。
「ジョー!」
ジョーは振り返らず、片手でその首をつかんだ。
以前なら、そのまま握り潰していたかもしれない。
しかし、ジョーはフォレストウルフの勢いだけを止めると、身体をひねって地面へ叩きつけた。
一撃だった。
残る三匹が同時に動く。
ジョーが両腕を振ると、風が弾けた。
正面の二匹が地面を転がる。
最後の一匹は風を避け、ジョーの脚へ噛みつこうとした。ジョーは足を引き、空振りした頭を上から押さえつける。
地面にひびが入った。
フォレストウルフは動かなくなった。
「ウキィッ!」
起き上がった二匹へ、ジョーが突っ込む。
一匹は片腕で殴り飛ばし、もう一匹には肩からぶつかった。
まともな戦いにもならなかった。
四匹のフォレストウルフは、ジョー一人に何もできず倒された。
「……強くなりすぎじゃない?」
「ウキッ!」
ジョーがこちらを振り返る。
少し得意そうな顔をしたあと、倒したフォレストウルフと自分の手を見た。
また怖くなったのか、表情が曇る。
「ちゃんと力を抑えられてたぞ」
「ウキィ?」
「俺を止めたときも、痛くなかった。前よりずっとうまくなってる」
ジョーは自分の手を何度か開閉した。
それから拳を差し出してくる。
俺が拳を当てても、痛みはなかった。
「ウキッ」
「ああ。これならアブーを抱いても大丈夫だろ」
ただし、いきなり抱くのはやめたほうがいい。
あいつなら面白がって逃げそうだ。
◇
さらに数日が経った。
傷はほとんど塞がり、走っても斧を振っても痛まなくなった。
ガチャポイントもかなり貯まった。
そのわりに、上がったレベルは一つだけだった。
「やっぱり、弱い相手ばかりだからか?」
倒した数だけなら少なくない。
だが、ホーンラビットや少数のフォレストウルフでは、今の俺には経験値が入りにくくなっているのかもしれない。
ガチャポイントは相手の強さで決まった量が手に入るが、経験値にはレベル差が関係する。
断言はできないものの、今のところはそう考えるのが自然だった。
「いつまでもこの辺りで狩ってても、強くはなれないか」
傷も治った。
食料もある。
ここを出るなら、今だ。
◇
「そろそろ行くよ」
俺が荷物をまとめ始めると、ジョーたちにも意味が伝わったらしい。
アブーが俺の脚へしがみついた。
「歩けないって」
「ウキュー……」
「そんな声を出すなよ。また来るから」
いつ戻れるのかは分からない。
それでも、これで最後だとは思いたくなかった。
ジョーがアブーを持ち上げる。
以前と違い、指でつまんだりはしない。両手でそっと抱えていた。
アブーは少し驚いた顔をしたあと、ジョーの腕へしがみついた。
「うまくなったな」
「ウキッ」
ジョーが嬉しそうに頷いた。
住処を出る前に、ジョーとアブーが木の実をたくさん集めてくれた。
一人では持ちきれない量だったが、《収納》へ入れれば問題ない。
「こんなにもらっていいのか?」
「ウキッ!」
「ウキュッ!」
「助かるけど、お前たちの分までなくすなよ」
最後にパンが近づいてきた。
その手には、小さな腕輪が載っていた。
細く削った木片を、蔓でつないで作ったものらしい。木片の一つ一つに葉の模様が彫られている。
「これ、パンが作ったのか?」
「ウキィ」
パンは俺の右手を取り、腕輪を手首へ通した。
少し不格好で、木片の大きさも揃っていない。
だからこそ、パンが自分で作ったのだと分かった。
「……ありがとう。大事にするよ」
「ウキィ」
パンが俺の手首を一度だけ撫で、手を離した。
俺たちは川まで一緒に歩いた。
ここから先は川に沿って進むつもりだ。下流へ行けば、いつか森の外へ出られるかもしれない。
「見送りはここまででいいよ。あまり住処から離れるな」
「ウキッ」
ジョーが右手を差し出した。
拳ではない。
俺も手を出し、その大きな手を握る。
前なら、指を折られないか不安になっていたところだ。
けれど、ジョーの手から返ってきた力は弱すぎず、強すぎなかった。
「もう大丈夫そうだな」
「ウキッ」
「家族を守れよ」
「ウキッ!」
「あと、家を壊すなよ」
「ウ、ウキッ」
返事が少し遅れた。
本当に大丈夫か?
俺が手を離そうとした、そのときだった。
〖称号《森精霊の友》を獲得しました〗
「え?」
目の前に文字が表示される。
〖森精霊の友〗
〖森精霊から友として認められた者に与えられる称号〗
〖効果:獲得経験値増加・弱〗
「森精霊……?」
俺はジョーたちを見る。
三匹とも、何のことか分かっていない顔で首を傾げていた。
「お前たち、ただのサルじゃなかったのか?」
「ウキッ?」
「いや、違う。悪口じゃないぞ」
別れ際に余計なことを言った。
慌てて言い直す俺を見て、アブーが笑い始める。
「お前は最後までそれかよ」
「ウキュキュッ!」
俺も笑い、もう一度ジョーの手を握り直した。
「じゃあ、今度こそ行ってくる」
「ウキッ!」
ジョーが力強く返事をする。
これで終わりだ。
手を離し、背中を向けようとした。
「ウキィ……」
「ん?」
ジョーが俯いている。
大きな目から、涙がぼろぼろとこぼれていた。
「お、お前……泣いてるのか?」
「ウキッ!」
「いや、泣いてないって顔じゃないだろ。それ」
ジョーは何度も目元を拭うが、涙は止まらない。
「泣くなよ。また来るって言っただろ」
「ウキィ……ウキィィ……」
「だから、泣くなって。俺まで……」
声が詰まった。
まずい。
我慢しようとしたが、ジョーが鼻をすすった瞬間、こっちも一気に駄目になった。
「うおおおおっ! ジョーぉぉぉ!」
「ウキィィィィッ!」
俺はジョーの腹へ抱きついた。
ジョーも俺の背中へ腕を回す。
一瞬だけ身構えたが、痛くない。
身体の大きさは変わっても、抱きしめ方はちゃんと覚えたらしい。
「絶対また来るからな! お土産いっぱい持ってきてやるから!」
「ウキィッ! ウキィィッ!」
「家、壊すなよ! 戻ってきて住処がなくなってたら怒るからな!」
「ウキィィィッ!」
「あとアブーをちゃんと叱れ! あいつ、絶対また変な木の実を食わせるぞ!」
「ウキュキュキュッ!」
横でアブーが腹を抱えて笑っていた。
「笑うな! 別れってのは寂しいんだよ!」
「ウキュキュキュキュッ!」
「こいつ……!」
捕まえようにも、ジョーに抱きしめられていて動けない。
パンはそんな俺たちを止めようともせず、口元を緩めて見ていた。
「パンも笑ってないで、こいつを叱ってくれよ!」
「ウキィ」
パンはアブーの頭を軽く叩いた。
だが、その顔はまだ笑っている。
俺とジョーはしばらく抱き合ったまま泣き続けた。
先に離れたのは俺だった。
「……もう行かないと、本当に行けなくなる」
「ウキィ……」
「そんな顔するなって。また会える。絶対だ」
涙と鼻水を服の袖でまとめて拭う。
ジョーも腕で顔をこすったせいで、頬の毛がぐちゃぐちゃになっていた。
「ひどい顔だぞ」
「ウキィ」
「俺も? うるさい」
言葉は分からないはずなのに、たぶん同じことを言われた気がした。
俺は三匹へ向けて、もう一度手を振った。
「じゃあな!」
「ウキィッ!」
「ウキィ!」
「ウキューッ!」
三匹が手を振り返す。
俺は川沿いを歩き始めた。
少し進んでから振り返る。
三匹はまだ同じ場所に立っていた。
ジョーは目元を拭いながら、こちらへ手を振っている。
それを見たら、また涙が出てきた。
「もう帰れよー! また泣くだろー!」
「ウキィィッ!」
ジョーの声が返ってくる。
アブーはまだ笑っていた。
パンはそんな二匹の間で、静かに手を振っている。
俺は腕輪へ一度触れてから、前を向いた。
次に振り返ったときには、三匹の姿は木々に隠れて見えなくなっていた。
一人で歩く森は、さっきまでよりずっと静かだった。
また泣きそうになり、鼻をすすって無理やり飲み込む。
もう十分泣いた。
食料もある。武器もある。少しは強くなった。
それに、この森には友達がいる。
「……よし、行くか」
俺は斧の位置を直し、川の下流へ向かって歩き出した。




