第9話
次の日の午後。
いつものように仕事をしていると、ふと声をかけられた。
「お疲れさま。」
振り向くと、そこにいたのは蓮先輩だった。
「……あ。」
思わず声が漏れる。
昨日まで頭の中に浮かんでいた人が、目の前にいる。
「久しぶり。」
「お、お疲れさまです。」
緊張して、少しだけ声が裏返った。
蓮先輩はそんな私を見て、いつものように優しく笑った。
「なんか、少し雰囲気変わった?」
その一言に、心臓が大きく跳ねる。
「え……?」
「いや、なんとなく。」
慌てて自分の顔に触れる。
もちろん、昨日練習したメイクは今日もしている。
まだ上手とは言えないけれど、昨日より少しだけ丁寧に鏡を見た。
「……分かりますか?」
「うん。なんかいい感じ。」
その言葉だけで、昨日の失敗も全部報われた気がした。
「ありがとうございます。」
小さく笑うと、蓮先輩も笑った。
少し沈黙が流れる。
いつもなら緊張して終わってしまう時間。
でも、今日はなぜか少しだけ話してみたいと思った。
「あの……蓮先輩って。」
「ん?」
「おいくつなんですか?」
聞いた瞬間、しまったと思った。
失礼だったかもしれない。
でも、蓮先輩は気にする様子もなく答えた。
「俺? 20歳。」
「……え?」
思わず目を丸くする。
「どうした?」
「私も……同じです。」
「え?」
今度は蓮先輩が驚いた顔をした。
「てっきり先輩だから、年上なのかと思ってました。」
「俺も。後輩だと思ってた。」
二人で顔を見合わせる。
そして、同時に笑った。
「なんか不思議ですね。」
「本当だな。」
先輩と呼んでいたから、勝手に遠い存在だと思っていた。
でも、年齢は同じ。
同じ時間を生きてきた人なんだと思うと、少しだけ距離が近くなった気がした。
「じゃあ……先輩って呼ばなくてもいいのかな。」
冗談っぽく言ってみる。
すると蓮先輩は少し考えるような顔をした。
「いや。」
「え?」
「その呼ばれ方、結構好きだから。」
一瞬、意味が分からなかった。
「……。」
顔が熱くなる。
「そ、そうですか。」
「うん。」
蓮先輩は笑った。
あの日と同じ、優しい笑顔。
胸の奥が、また少しだけ苦しくなる。
帰り道。
私は何度もその言葉を思い出していた。
同い年だったこと。
それなのに、私にとってはやっぱり特別な人だったこと。
スマホの画面を見る。
引き出しにしまったばかりの化粧品。
明日も少しだけ練習してみようと思った。
上手になるためじゃなくて。
もう少しだけ、自分に自信を持つために。
そしていつか。
蓮先輩の隣で、自然に笑えるようになるために。




