第8話
次の日の朝。
鏡の前に立った私は、昨日買ったばかりの化粧品を見つめていた。
机の上には、ファンデーションとアイシャドウ。
引き出しの中にしまったはずなのに。
なぜか、また手に取ってしまう。
「……もう一回だけ。」
小さくつぶやく。
昨日はうまくできなかった。
でも、少しだけ思った。
あの人に可愛いと思われたい。
それももちろん本当だけど。
それだけじゃない。
自分で自分を少し好きになれたらいいな、と。
「……これだけなら。」
鏡の前に座る。
涙袋とか。
アイラインも。
難しいことはしない
動画をもう一度再生する。
今度は急がずに、ゆっくり。
ファンデーションを薄くのばす。
アイシャドウも、昨日より少しだけ自然に。
何度も失敗して、何度も直して。
気づけば、出かける時間が近づいていた。
「……変かどうかわからないけど。」
鏡の中の自分を見つめる。
いつもと少し違う自分。
これで大丈夫なのかな。
似合っているのかな。
そんな不安が残る。
でも。
昨日みたいに、すぐ落としたいとは思わなかった。
「……まだ完璧じゃないけど……行ってみよう。」
小さくつぶやいて、家を出た。
仕事場に着くと、いつも通りの日常が始まる。
オーダーを聞いて、作って。
忙しく動いていると、昨日のことを考える暇もなくなっていた。
――でも。
「おはよう。」
その声を聞いた瞬間。
胸が大きく跳ねた。
振り向くと、そこにはあの人がいた。
「お、おはようございます。」
緊張して、少し声が裏返る。
蓮先輩はいつものように優しく笑った。
「……あれ?」
その一言に、心臓が止まりそうになる。
「え?」
「今日、化粧してる?」
顔が熱くなる。
やっぱり変だったのかな。
慌てて俯く。
「す、すみません……変ですよね。」
すると彼は少し驚いた顔をした。
「え? いや、違う。」
「……?」
「なんていうか。」
彼は少し考えてから言った。
「明るく見える。」
その言葉に、私は目を瞬いた。
「……明るい?」
「うん。」
彼は微笑む。
「化粧してなくても美咲さんは可愛いよ」
胸の奥が、じんと温かくなる。
化粧が上手にできたからじゃない。
綺麗になったからでもない。
ただ。
見ていてくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます……。」
小さな声で答える。
すると彼は、少し照れたように目をそらした。
「……前から思ってたけど。」
「はい?」
「その笑い方、いいと思う。」
一瞬、周りの音が消えた気がした。
コーヒーマシンの音も。
人の話し声も。
全部遠くなる。
「あ……。」
言葉が出ない。
ただ、顔が熱くなる。
昨日、鏡の前で何度もため息をついた自分。
可愛くないと思った自分。
そんな自分に、初めて少しだけ優しくなれた気がした。
そして思う。
もっと頑張ってみよう。
この人の隣で。
自然に笑える自分でいられるように。
その日の帰り道。
私はドラッグストアの前で足を止めた。
昨日買った化粧品が入った袋を思い出す。
「……もう少し、練習してみようかな。」
空を見上げる。
夕焼けが、いつもより少し綺麗に見えた。




