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第96話

 これからの展望を決めてからのこと。


 私が真っ先に行ったのは、リュートへの通信だった。


 縁結びの呪いが込められたネックレスを介して呪術で声を飛ばす。


 そうして私は胸の内を彼にさらけ出した。


『それがお前の答えなのか』


 静かにリュートがそう口にした。


 その声からは喜びも怒りも感じない。


 だが、彼がなにも感じていないとは思わない。


 むしろ努めて感情の起伏を隠しているような気がするのだ。


 私の思い違いでなければ、だけれど。


「はい」


 それはきっと、彼の気遣いなのだろう。


 リュートがどう思っているかではなく、私がどう思っているかという観点で決意を表明できるようにするための。


 だから私はもう一度、強く宣言する。




「私はこの世界で生きていきます」




 聖域に向かわない。


 たとえ、元の世界に帰る機会を失ったとしても。


 この世界の一員として、この世界が積み重ねてきた因縁と向き合う。


 そう決めたのだ。


「人間としてではなく、魔王様の婚約者候補として」


『……』


 返ってくるのは沈黙。


 今、私たちは互いの声しか聞こえていない。


 その表情を確認することは叶わない。


 それでも、彼がいつものように悠然とした笑みを浮かべているような気がした。


「これから私は聖王国を目指します。そこでもう一度、聖女ノアを説得します」


 実際問題、もし私が魔族領に戻ったとしても役には立たないだろう。


 だから私は私がするべきことをする。


 それがもう一度、ノアを説得することだった。


「もしこの戦争を止められる者がいるとしたら、それは彼女しかいない」


 この戦争の終わらせ方は3通りしかない。


 リュートが死んで魔族が滅ぶか。


 ノアたちが死んで人間が滅ぶか。


 ノアを説得して両種族が滅ばない道を作り出すか。


 それだけだ。


 戦うことで道を切り開けない私が取るべき選択肢は3つ目しかない。


『それは簡単な道ではないぞ?』


 リュートは問いかける。


 真剣な声色で。


 それがどれだけ困難な道なのかを理解しているから。


「分かっています」


 それは私も分かっている。


 今でも道筋が見えているわけではないから。


「それでも、諦めたくないんです」


 だが諦めきれない。


 この戦争は、魔族側が勝利してリュートたちが生きていればオールオッケーという単純な話ではない。


 ――魔族は生きているだけで世界を穢していく。


 魔素を振りまくことで、世界の動植物を異形へと変えてしまう。


 人間が――魔素を振りまくことなくモンスターを間引く存在がいなくなれば世界中がモンスターで埋め尽くされてしまう。


 それはそれで問題なのだ。


「逃げないと決めました。この世界で、人間としてではなく貴方の国で生きる民として、私は目の前の戦いと向き合います」


 次善ではなく最善の未来を目指して。


 動くと決めたのだ。


『そうか』


 ふっと彼の吐息が聞こえた。


 笑みをこぼす彼の姿が脳裏に浮かんだ。


『これから世界は荒れていく。しばらくオレたちが会える日は来ないだろう』


 彼はそう語る。


 私は聖王国を目指して。


 リュートは魔族領で。


 こうして声を交わすことができたとしても、直接会うことは叶わない。


『だが、たとえ同じ戦場で並び立つことがなかったとしても』


 もし私たちが会える日が来るとしたのなら。


 それはきっと、すべてを終わらせてからだ。


『それぞれの戦場で、同じ未来を目指す同胞として戦おう』


 だから今は、それぞれの道を進むしかない。


 再び会える未来が来るように。


「はいっ」


 そう信じて。


 戦うのだ。


「あー……」


 話が一旦区切られた。


 そんな雰囲気が流れたとき。


 ふと私は歯切れの悪い声を漏らした。


『どうした?』


「こんな勇ましいことを言った手前、こんなことを言うのは申し訳ないんですけど……」


 私は目を泳がせる。


 なかなかに威勢のいい宣言をした自覚はある。


 だからこんなことを頼みづらいという気持ちはあるのだが、


「これからもこうして、魔王様の声を聞いてもいいですか?」


 そう口にしていた。


 なんだかんだ、こちらの世界に来てからの大半を彼のいる場所ですごしてきた。


 そんな彼のいない場所で。


 彼に頼れない環境で戦うことに不安があるのだ。


 なんとも情けない話だとは思うけれど。


『そうだな。これからは密に互いの情報を擦り合わせていく必要があるだろう』


「………………」


『クク。冗談だ』


 笑いまじりの声が返ってきた。


 どうやらビジネスライクな言い方はわざとだったらしい。


『いつでも連絡してくれて構わない』


 彼は穏やかに告げる。


『オレも、レイナの声が聞きたい』


 そういうことを不意打ちのように言わないで欲しいのだが。







 俺――ロイ=バックスは酒屋の床へと視線を落とした。


 床には正方形を描くように4つの穴が開いている。


 それを店主は修繕しているようだった。


「これは……どうしたんだ?」


 そう問いかける。


 ここはフォレスティアにある酒場。


 そして時刻は朝方。


 察するに、魔族との戦いに参じるため移動していた傭兵連中が暴れたというところか。


 営業を終えた今になってようやく直せるようになったということだろう。


 どうしても傭兵は騎士と比べて統制が取れていないことが多いため、こういう揉め事が絶えないのだ。


「騎士様ですか」


 声をかけられて顔を上げる店主。


「ああ。情報収集をと思い足を運んだのだが……これは」


 ここは酒の席ということもあり、自然と情報が集まりやすい。


 道すがら情報収集をするにはいい場所かと思ったのだが。


 取り込み中ということであれば邪魔するわけにもいかない。


 そう考えていたのだが、


「実は昨晩……大変なことがありましてね」


 案外、彼も愚痴をこぼしたかったのだろうか。


 俺の来店を嫌がるどころか自分から事情を話し始めた。


 とはいえ、俺のほうは店での個人的な揉め事なんかを聞いても仕方がない。


 おおよその事情を聞いて、事件性が高いなら近くの騎士に口利きしておくか。


 そんなことを考えていたのだが――


「あの黒魔女が魔術で変装して、ウチに転がり込んでいたんですよ」


 ――店主から告げられた名前に、嫌でも俺の思考が引き戻されることとなる。


「……なに?」


 黒魔女。


 その名前が示すのは、少なくともこの時代においては1人しかいないからだ。


「驚くでしょう? 偶然、変装が解けたから気付けたものを……もし気付かずにいたらどんな目に遭わされていたものか……!」


 拳を握る店主。


 話を聞く限り、あの魔女は一般人のフリをしてここで働いていたらしい。


 あの女がこんなところで働けるのか? という疑問はある。


 だが、あいつは目的さえあればそれくらいの手間は惜しまないだろう。


 そしてその目的の大半は……ノアを苦しめることだった。


「あの女はどうしたんだ?」


「それがですよ! あのユリウス様が来店なさって、あの黒魔女を捕縛してくださったんですよっ。きっとあの黒魔女には、聖王国でしかるべき罰が与えられ――」


「…………」


(なにか引っかかるな)


 正直なところ、いまいち状況が呑み込めない。


 ありえないという程ではない。


 だが手放しで信じるには違和感があるのだ。


(ユリウスはエルフとしては異端だが、だからといって人間と同じ価値観で生きているというわけでもない)


 ユリウスはエルフの中で変わり者だとされていた。


 なら人間と同じかというと、人間の視点で見ても変わり者と言えるだろう。


 善人だとは思っているが、根本的な思想に食い違いを感じることは何度もあった。


 つまるところ、エルフとして変わり者であっても、ユリウスの中には間違いなくエルフ独特の感性が根付いているということだ。


(どうしてエルフの森に戻っていたはずのユリウスがわざわざこの町を訪れたのか)


 他のエルフほど徹底していなくとも、彼もまた人間に比べればフットワークが重いというべきか。


 なんの目的もなく森を出て歩き回るような性格ではないのだ。


(ノアからの書簡を届けるのは俺の役目。逆に言えば、俺より早くユリウスに事情を説明する者はいないはず)


 じゃあ誰だ?


 彼がエルフの森を出るだけの目的を設定した人物は。


(ユリウスが自主的に取る行動としては不自然。しかし、他者からの介入があったと考えると行動が早すぎる)


 他人の言うことを聞いてユリウスが動くとは思えない。


 そして聖王国側からのアクションはまだ彼に届いていない。


 なら誰が、どうやって彼の興味を引いたのだ。


(ユリウスがここで魔女と会ったのは……本当に偶然か?)


 そしてあの魔女がこの町を訪れていた理由。


 ユリウスと魔女。


 不自然な動きをした2人の行動が気持ち悪いほど噛み合っている。


 この絵図を書いたのは誰だ?




「少し予定を変える必要がありそうだな」

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