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第95話

(どうしてユリウスがここに……!?)


 私の脳内はパニック状態だった。


 聖魔のオラトリオの攻略対象の1人ユリウス=アトリー。


 彼は人間ではなくエルフだ。


 エルフはめったに森から出てくることはなく、まして町に入ってくるなど珍しいなんてものではない。


 エルフの中でも変わり者だとされているユリウスでさえ、町に入ったのは聖魔のオラトリオで仲間になってからエンディングを迎えるまでの短い期間だけ。


 それほどにエルフは人間と関わらないものなのだ。


 この日、この時、この場所に。


 偶然にも彼が現れる。


 そんなことが起こりえるのだろうか。


「ユリウス……だと?」


「人里に下りてくるエルフ……しかもその名前。アンタ……もしかして聖女の……」


 戸惑いは感染してゆく。


 私が彼の名を口にしたことも一因なのだろう。


 ユリウスという名前のエルフ。


 そこから想起される人物なんて1人だけなのだから。


「ええ。想像通りのユリウスで間違いないかと」


 なんということでもないように。


 彼は微笑みを浮かべたまま周囲の疑問を肯定する。


「なんでアンタがこんなところに、しかも魔女をかばうんだ?」


「王族の方からの頼みでして。彼女の所在を探していたんですよ」


「…………」


 王族。


 その言葉に男が黙り込む。


 今の王子と王女が、ユリウスとどういう関係だったかなんて常識だ。


 そして、そんな彼が私を探すことにも理屈が通る。


「魔王との戦争が迫っているこの時期に、私が彼女を探していた。あとは……分かりますよね?」


 意味ありげにユリウスが微笑んだ。


「なるほどな。そういうことかよ」


 それで事態を察したのだろう、男はにやにやと笑いながら身を引いた。


 ――私の体を拘束していた椅子が床から引き抜かれる。


「残念だったな。ここで殺されておいたほうがマトモに死ねただろうにな」


 愉快そうに男は表情をゆがませる。


 エレナは以前の戦いで魔族と通じていた。


 そんな私が、聖女と共に魔王を討ったユリウスに捕らえられる。


 そこにまともな末路が用意されているわけがない。


 そう確信しているのだろう。


「さっさと連れて行ってくれや。どんな処遇が下されるか楽しみにしてるぜ?」


「ありがとうございます」


 男と入れ替わるようにユリウスが私の前に立つ。


 そして彼は、私へと手を差し伸べた。


「立てますか?」


「はい……」


 彼の手を取って立ち上がる。


 実のところ少し足が震えていたが、それを周囲に悟られないように繕った。


 これ以上、無様な姿を見せたくなかったのだ。


「リリさん……というのは貴女ですか?」


「は、はいっ」


 ユリウスが店内を見回すと、リリが勢いよく手を挙げた。


 ……状況から考えると、彼についていくことを不安に思ってもおかしくないはずなのだが。


 彼女の中で、私を置いたまま店にとどまるという選択肢はなかったようだ。


「貴女も一緒に来てくださいますか?」


 いまいち考えが見えないユリウス。


 そんな彼につれられ、私たちは店を出た。







 数分の沈黙。


 私たちはユリウスの後に続き、町のはずれへと訪れていた。


 周囲から人の気配が完全に消えたころ。


 彼はゆっくりと振り返った。


「危ないところでしたね」


 彼の顔に浮かんでいるのは普段通りの穏やかな微笑。


 しかし彼が表情を変えるほど激しい感情を見せることなどめったにない。


 彼の表情が穏やかだからといって、彼の心中が平和的なものなのかは分からないのだ。


(ひとまず助かったけれど……)


 先程まで死が迫っていたせいでもあるのだろう。


 私は警戒心を捨てきれないままユリウスと対峙していた。


(一度はエルフの森に帰っていたユリウスが、また町に現れたっていうことは……多分だけどノア関係よね)


 彼を動かせる人間なんて彼女くらいだろう。


 魔族との戦争に備え、彼を呼ぶのは当然ともいえる。


 彼が聖王国を目指す道中で、偶然私に出会ってしまったというところか。


 そう現在の状況にあたりをつける。


(いや、私を探していたというのがもし嘘じゃなかったとしたら……)


 とはいえ、彼の言葉がどこまで本当だったのか。


 もしすべてが本当だったとしたら。


(私たちを捕らえて、魔族の内情を聞き出そうとしている……?)


 どうして私がここにいると察知したのかは分からない。


 だがその前提をクリアできるのなら、私を捕らえることの意義は決して小さくない。


 魔族領の状況を聞き出しても良し。


 考えたくもないことだが、処刑することで国民と不満を減らすことにも使えるのだから。


「……私を聖王国に連れて行くんですか?」


 おそるおそる尋ねた。


 返答次第では、その場で命運が尽きかねないという緊張感に身を震わせながら。


「なぜですか?」


「え……だってさっき……」


 返ってきたのはあっけらかんとした態度。


 思わぬ軽い返事。


 想定外な手応えのなさに私は困惑を隠せなかった。


「なにも言っていませんよ。世間話の後に『分かりますよね?』と言っただけです。どうやら、なにか勘違いをされてしまったようですが……早合点とは恐ろしいものですね」


「ええ……」


 たしかに嘘『は』吐いていない。


 あきらかに誤解を生むために情報の一部を隠していたけれど。


 なんというか彼らしいというか。


 このあたりの言い回しの妙というか、舌戦において私など足元にも及ばないことだろう。


「実は、私がここに来たのはある人物からの手紙のせいなんです」


(やっぱりノアの――!)


 当然というか、それ以外ないだろうというべきか。


 やはり彼が森から出てきたのはノアの願いによるものらしい。


 だとすると問題は――




「魔王リュートからの手紙です」




「えぇっ!?」


 あまりに想定外な言葉に、私の思考が吹っ飛んだ。


 だが仕方がないことだと声を大にして言いたい。


 それほどに彼が告げた言葉は、私の考えの大前提を破壊するものだったのだから。


「も、もしかして私を探すように頼んだ『王族の方』って」


「彼は魔族の王ですから。王族で間違いないでしょう?」


 ――王族の方からの頼みでして。


 ……それがノアだとは言っていない。


(たしかに嘘は吐いていないけど……)


 あきらかにわざと紛らわしい言い回しをしただろう。


 そう糾弾したかった。


 助けられた手前、そんなことをできるはずもないのだけれど。


「先日、彼から手紙が届いたんですよ」


 そんな私の気持ちをよそに、彼は事情を語ってゆく。


「貴女たちをこの近辺に逃がすから、保護してほしいと」


(そうだったんだ……)


 リュートのことだから、この場所を転移場所に選んだことに意味はあると思っていた。


 そして今ならば分かる。


 この町――フォレスティアはエルフの森から一番近い場所にある町なのだ。


 ユリウスがすぐに駆けつけられる場所として、リュートは私たちの追放先にここを選んだのだ。


「このご時世では魔族を護衛につけるわけにもいきませんし、私が適任だったのでしょう」


 そう語るユリウス。


 ともあれ、疑問がなくなるわけではない。


 むしろ最大にして根本的な疑問が残っている。


「……どうして魔王様の言うことを聞いたんですか? 普通なら無視してもおかしくないというか……」


 むしろそっちのほうが自然な対応のはずなのに。


 なにが彼を動かしたのか。


 それが分からない。




「貴女の保護だったからですよ。イヴリス嬢」




「え?」


 彼の言葉の意図を読めない。


「も、もしかしてそれって……!」


 一方、なぜかリリが色めき立っていた。


 まさか彼女の中では、恋愛感情で彼がここに駆けつけてきたという設定が固まりつつあるのだろうか。


 さすがにそれはないと思うのだが。


「……ソーマ君と同じ理由ですよ」


 彼はそう補足する。


「魔王から、貴女も異世界から流れ着いた魂だと聞いています」


 ――思い返せば、途中までしか貴女の記憶を読めなかったのもそのせいだったんですね。


 そう彼は笑った。


 ソーマの勇者化を止めるためにエルフの森を訪れた際、私はユリウスに記憶を読まれている。


 しかし、彼が読めたのは私がこの世界に来てからのものだけ。


 その事実が、リュートの言葉を信じる一因として機能したらしい。


「人間と魔族の……いえ、この世界の戦争から貴女を遠ざけて欲しいという願いは、私としても分からない話ではありませんから」


 ソーマをこの世界の事情に巻き込まないよう、帰還の手伝いをしたのと同じように。


 ユリウスは私をこの世界の戦争に巻き込まないため、私の保護を請け負ってくれたらしい。


「そして、彼の手紙には続きがあります。もし貴女が望むのであれば、もう一度……貴女を聖域に連れて行って欲しいと」


 聖域に連れていく。


 それが意味するのは。


「そうして貴女を、元の世界に帰してやって欲しいと」


 ――元の世界に帰る手がかりを、もう一度探す機会を与えて欲しいということ。


 これから戦火に包まれる世界を、私が離れられるように。


「えっと……あれ? 元の世界ってどういうことですか……?」


「おや。彼女には事情を話していなかったのですか?」


 疑問符を浮かべているリリを見て、ユリウスが問いかけてくる。


「……はい」


(そもそもリュートにも話していない気がするけど……まあ気付かれちゃうわよね)


 私が彼から秘密を隠し通せるとは思えない。


 それどころか、彼はかなり早い段階で私が異世界人であると察していたようだった。


 なのであくまで、私が異世界の人間であると明言したのはソーマに対してだけである。


「もうこの世界は、遠くない未来に戦火が蔓延することとなる」


 少し悲しげにユリウスは言う。


 人間と魔族の戦争にエルフは干渉しない。


 彼らは傍観者だから。


 しかしそれはどちらかに肩入れをしないというだけ。


 争いの中で多くの命が失われていくことを憂う気持ちはエルフも同じなのだ。


「それはこの世界が積み重ねてきた因縁の発露です」


 人間と魔族。


 その争いはまさに因縁という言葉がふさわしい。


 それほどに根深く絡み合っている。


「被害者でも加害者でも、たとえ傍観者という形であったとしても。私たちは多少なりともその因果に関わってきた。だからこそ、たとえ望まなかったとしてもこの戦争を受け入れる必要がある」


 人間と魔族。


 その争いの中で起きる不幸を受け入れる必要がある。


 彼はそう語る。


「そして、この世界の魂ではない貴女だけは――それに付き合う義理がない」


 だが同時に、私だけは例外なのだと。


「ゆえに貴女には選ぶ権利がある」


 私だけは、逃げるという選択をする権利があるのだと。


「この世界か。貴女が元々いた世界か。自身があるべき場所をどこだと定めるのかを決める権利が」


 リュートが私たちのもとへとユリウスを向かわせた理由。


 それは魔族以外で、唯一動かせる人材だったからというだけではない。


 私に新たな選択肢を提供できる唯一の人物だったからなのだ。


「聞かせてください。貴女の選択を」


「…………」


 それは重く、取り返しのつかない選択肢だった。


(必ずではないけれど、聖域には私がいた世界へと戻る手段がある可能性は高い)


 あのときはソーマを元の世界に送り返すことが最優先だったから。


 私のことなんて二の次だった。


 しかし探してみれば、私がいた世界へと戻る手段が存在している可能性はそれなりにある。


(そして今なら、魔道具で元の姿に戻れる)


 エレナの姿のままで帰っても元の生活に戻れないという問題はクリアした。


(――元の生活に戻れる)


 元の世界に戻れば、元の生活が待っているのだ。


 家族も居場所も、すべて取り戻せるのだ。


 それらを理科敷いた上で、私が選ぶのは、




「私は――」

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