第39話
ソーマが声にならぬ声を上げる。
それに呼応するように強烈な風が彼を中心に吹き荒れた。
すべてを弾き返すような風圧の中、私はなんとか踏みとどまることしかできない。
「そんな……」
(気を付けていたはずなのに)
ソーマの記憶が戻らないように。
彼が勇者と覚醒した流れを踏んでしまわないように気を付けていたはずなのに。
勇者の覚醒が聖女の覚醒の引き金になるのなら、逆もあり得る。
そんな可能性を軽視してしまった。
目の前の事態が収束した安心感で、大局を見失ってしまっていた。
(油断なんて言葉じゃすまないだけの致命的な失敗)
以前のような、ほんの少し片鱗が覗いた程度の変化ではない。
(ソーマが……完全に勇者として覚醒してしまった)
先程、リリが覚醒する光景を見たばかりだからこそわかる。
周囲にただよう清浄なる雰囲気。
こんなもの、完全に覚醒した勇者にしか放てないはずだ。
「――――」
立ち上がるソーマ。
彼が纏っていた風も消えてゆく。
羽化した蝶に、抜け殻は必要ないといわんばかりに。
「お前が、魔王か」
ソーマが問う。
いや。これをソーマと評していいのだろうか。
そう思ってしまうほどに無機質な声だった。
抑揚もなく、感情もない。
その瞳には光はなく、これまでの彼とは大きく雰囲気が変わってしまっている。
「いかにも。オレが王だ」
そんな状況にリュートはわずかに目を細め。
それでいて当然のように名乗った。
「そうか」
次の瞬間、剣と剣がぶつかり合うと音がした。
――後方で。
私が目視できない速度で、リュートとソーマは剣をぶつけ合っていたのだ。
「おっと。いきなり斬りかかってくるとは、勇者様は騎士道などという下賤な道は歩けないというわけか?」
「悪。魔王。斬る」
リュートが皮肉を飛ばすも、ソーマは反応を示さない。
ただ、プログラムされているかのように言葉を吐き出すだけ。
「ふむ……正気とはいいがたそうだな」
そんな姿にリュートが嘆息する。
彼の言う通り、あきらかにソーマは正常ではない。
言動のすべてが普段の彼とは重ならないのだ。
「魔王を殺すことへの心理的な抵抗を消すためか。勇者という役割に沿って、精神を操っているというのか?」
(まずい……ソーマは今、完全に女神の使命に呑まれてる)
この現象には覚えがあった。
初めてソーマが覚醒した時、彼はただ目の前の魔族を斬る存在となっていた。
(原作では、少し時間が経てば正気に戻っていたけど)
シナリオではまだリリも聖女として覚醒していなかったし、特に特別な何かをしていたようには思えない。
原作のテキストではたしか――
「ま、魔王様ッ! ソーマ君は今、一時的に力に呑まれてるだけです! 時間があれば、正気に戻るはずです!」
――ソーマの体に勇者の力が定着するまでの間、彼の精神を沈めている。
そんな風に書かれていたはず。
その定着とやらがどれほどの時間で終わるのかまでは分からない。
だが、原作の描写から考えるとおおよそ5分といったところだろう。
(リュートは私が異世界人だとほぼ確信している。そんな私の言葉なら信じてくれるはず)
客観的に見れば、とても根拠があるとは思えない私の言葉。
だが彼は、私が異世界人であると予想していた。
追及こそされなかったものの、実際の所ほぼ確信されていることだろう。
だからこそ、このめちゃくちゃな話だって信じてもらえる余地はあるはず。
「なるほど」
そんな願いが届いたのか、リュートは納得したように笑う。
「もし問題があるとすれば――」
だが、
「ぐッ……」
リュートの口からくぐもった声が漏れる。
彼の肩から血が飛んだ。
「魔王様っ!?」
リュートの負傷に、思わずといった様子でリリが悲鳴を上げる。
先程はあまりにも圧倒的な力を見せていた彼が血を流したのだ。
その衝撃ははかりしれない。
「ちっ……さすがに、勇者を――オレを殺すための運命を覆すには、この体は弱りすぎているか」
血を流しながらも余裕そうな態度を見せるリュート。
しかし、それはきっとブラフなのだろう。
そう分かってしまうほど、彼の目は真剣なものだった。
「このまま戦えば――殺されるのはオレか」
魔王は勇者には勝てない。
これはどちらが強いかだとか、相性がいいからなんて話ではない。
手放したリンゴが地面へと落ちてゆくように
この世界では、そういうルールになっているのだ。
「悪いが、王として簡単に死んでやるわけにもいかん」
とはいえ、彼も大人しく殺されるなんて存在ではない。
黒い炎を剣にまとわせ、リュートは勇者と対峙する。
「事情はあれども、先に剣を抜いたのはお前だ」
彼の目に宿るのはアレクセイに見せた冷たい怒りではない。
だがそれよりも圧倒的で、王の風格を感じさせるものだった。
仮に私が、彼の存在を知らなかったとして。
今日初めて、彼を見たとして。
それでも彼が『王』であると理解できるであろうほどに。
見ているだけで平伏しそうになるほどの存在感を彼は放っていた。
「相応の対応をさせてもらおうか」
ぶつかり合う聖魔の頂点に立つ2人。
その衝撃はすさまじく、私やリリは容易く地面を転がされてしまう。
(そんな……)
地面に伏せたまま、戦いの行方を私は茫然と見つめていた。
(もう――運命は変わらないの?)
魔王と勇者。
魔王ルートと勇者ルート。
その明暗を決めたのは聖女――リリだ。
彼女がリュートの恋人として戦えば、ソーマは死ぬ。
彼女がソーマの恋人として戦えば、リュートは死ぬ。
中庸なんてない。
魔王、勇者、聖女。
3者が乗せられた天秤は、必ずどちらかへと傾いてしまう。
(リュートかソーマか)
だから、ソーマを勇者として目覚めさせないようにすると決めたのに。
(どちらかが死なないといけないの……?)
――もう、悲劇は避けられないのだろうか。




