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第34話

「だって、自分の墓場のことは知っておきたいでしょう?」


 そんな言葉を皮切りに、アンネローゼが勢いよく身を起こす。


 彼女が突き立てた指。


 その標的は――リュートだった。


「え……?」


「ッ……!」


「な……!」


 戦い慣れていない私やリリはもちろん。


 一歩うしろで控えていたソーマさえも間に合わない早業。


 そうしてアンネローゼが射出した魔力の弾丸は、誰に阻まれることもなくリュートの胸に着弾した。


「魔王様っ……!?」


 リリの悲鳴。


 一方で、リュートに動揺はない。


 撃ち抜かれた胸を見下ろすも、笑みを崩しはしない。


「ここで撃ち込むのが弱体の魔術とはな」


 彼は笑う。


 だが同じように、アンネローゼも笑っていた。


 いつもの優雅さなどなく。


 悪辣に。


「せっかくの隙だったのだ。攻撃魔術で心臓を撃ち抜いたほうが良かったんじゃないか?」


 リュートはそう問いかける。


 その言葉に、アンネローゼはつまらなそうに息を吐いた。


「お前の魔力耐性があれば、それが叶わないのは分かっている」


 日頃の彼女を思えばありえない言動。


 突然の事態に私の頭はパニックを起こしていた。


「弱体化した今なら、撃ち抜けるがな」


 そう言って、彼女は再び指を構えた。


(どういうことなの!?)


 動揺で頭が回らない。


 事態が許すのなら、頭を抱えてしゃがみ込みたい気分だ。


 まるで現実に思考が追いつけていない。


(アンネローゼがリュートに忠誠を誓っているのは間違いないはず。裏切りなんて――)


「なるほど。憑依のほうか」


 そんな乱れきった思考に、リュートの言葉が染み渡った。


「ッ……!?」


 それは意外な指摘だったのか。


 アンネローゼの肩が跳ねた。


「なにを驚いている? まさかオレが、裏切りを疑っているとでも思ったのか?」


 余裕の表情でそう返すリュート。


 そこには揺るがない信頼があった。


 天と地が覆ろうとも、彼女の忠誠が覆ることはないという信頼だ。


「アンネローゼの姿に変身しているのか、体を操っているのか。どちらかだとは思っていたが、先程の魔術の威力から考えると後者らしい」


 彼が考えていたのは、どうやってアンネローゼを騙っていたのかという手段のみ。


 最初から彼女の裏切りなど考慮さえしていなかった。


 設定で彼女の敬愛に偽りがないと知っていた私でさえ、一瞬疑いかけたというのに。


 彼は一切の疑いを持っていなかったのだ。


「このッ……!」


 そのことに怒りでも覚えたのか。


 アンネローゼは4つの氷柱を撃ちだした。


「――」


「っ」


 リュートは首を傾けるだけで躱し、ソーマは驚きながらも危なげなく弾く。


 2人は簡単にアンネローゼの奇襲に対応してみせた。


 しかし――


「っ!?」


「きゃっ……!」


 問題は私とリリだった。


 見えないわけじゃない。


 だけど対応できない。


(まず――)


 氷柱が私の胸を貫こうと飛来する。


 それを防いだのは――リュートの左手だった。


 氷柱は彼の掌を貫き、その衝撃で砕けた。


 鮮血がリュートの手からしたたり落ちてゆく。


「て、手が……!」


 悲鳴混じりの声を上げるリリ。


 彼女も無事のようだ。


 どうやら、彼女はリュートが右手に握っている剣で守られたらしい。


 ――それでも手が足りなかったから、彼は私を守るため左手を盾にしたのだろう。


「ほう……さすがアンネローゼの魔力で放つ弱体の魔術だな。まさか、あの一撃で片手が潰れるとはな」


 掌に穴が開いているのだ。


 ひどい激痛に襲われているはず。


 なのにリュートは笑い声を漏らしていた。


「それに……一手遅れたか」


 しかし、すぐさま彼の表情は真剣なものとなる。


 彼の目は足元に向けられていた。


 そして床には――巨大な魔法陣が浮かび上がっている。


「これは……」


 魔術を使う際の魔法陣。


 それには明確な意味があり、読み解けばその性質がわかるという。


 だが私にそれを知るための知識はない。


「術式を見る限り転送魔術らしいな」


 そんな私の疑問に答えたのは、リュートだった。


「転送って……さっき言ってた……」


 そしてその答えは、目の前にいるアンネローゼが示唆した――彼を殺す手段だ。


「これで終わりだ! 魔王リュート!」


 アンネローゼは叫ぶ。


 嗤うように。嘲るように。


「古い王は、闇の中で枯れ果てていけ!」


 その声を最後に、私の視界は暗転した。







 暗く。まわりがほとんど見えない。


 この世界に来たばかりの地下牢を思い出す光景。


 私が置かれていたのはそんな環境だった。


「ここは……」


(状況から考えると、例の地下施設……なのよね)


 横たわった体に伝わる硬質な感触。


 頬を擦るざらざらとした感覚から察するに、どうやら石造りの一室らしい。


 狭い一室に、存在するのは重厚な鉄の扉だけ。


 牢屋どころか、もはや生物を住ませる気があるとは思えない場所だった。


「ぁ……ぇ……?」


 ともかく事態を把握しよう。


 そう思って立ち上がりかけたとき、視界がぐにゃりとゆがんだ。


 思わず私はその場で倒れ込む。


 そして……そのまま動けなくなった。


(体が動かない……)


 指先さえ動かない。


 全身をすさまじい疲労感が襲ってくる。


 それなのに気を失うこともできない。


(毒って感じじゃないけど……)


 そこまで考えて思い出す。


 たしかアンネローゼが言っていた。


 地下施設に入ってすぐ、彼女以外は動けなくなったと。


 つまり私も同じ状況に陥っているわけだ。


「ぇぅ………」


(リリも同じ状況みたいね)


 なんとか視線を動かすと、そこには這いつくばるリリの姿があった。


 彼女もまともに動けないようで、手足を投げ出すように倒れている。


 目の焦点もあっておらず、意識がはっきりしているようには見えない。


(ソーマは……いない? 勇者だから……転移魔術を弾いたのかしら?)


 ソーマは魔族を滅ぼすために呼び出された勇者だ。


 だから魔族が使う魔術に耐性を持つ。


 それにより転移から逃れたのかもしれない。


 彼が巻き込まれなかったことを喜ぶべきか、頼みの綱が切れたと嘆くべきか。


 それを判断する余力さえない。


「ぅ……」


(頭がぼんやりしてきた)


 疲労感は体だけでなく脳も侵蝕していく。


 自分がどこにいるのか、なにをしているのかさえ理解できなくなってゆく。


(えっと……呼吸ってこれまでどうやって――)


 やがて生きる術さえ忘れかけたとき――


「大丈夫か?」


 リュートの声と共に、私の意識は覚醒した。


「え……?」


 一瞬で思考が冴えわたる。


 先程まで呼吸さえ満足にできなかったのに。


 リュートに触れられただけで、すべての疲労感が消え失せた。


(体が急に軽くなった……?)


 唐突な事態に私は目を白黒させる。


 一方で、リュートはリリにも同じことをしているようだった。


 彼に触れられると、リリの目に光が戻った。


 彼女もあの虚脱感から解放されたらしい。


 さすが魔王というべきか。


「奴が言っていた通り、この場所にはかなり強力な弱体の魔術がかけられているらしい。まさか、並みの生物では生命活動がままならんレベルとはな」


 リュートはそう笑った。


(手に紋様が浮かんでる)


 彼の手には何かの模様が浮かび上がっていた。


 おそらく魔術に関わる何か。


 状況から考えて、あれが私たちの体を守ったものなのだろう。


(リュートが魔術で弱体化を解除してくれたのかしら?)


「魔王様っ!? これって身代わりの魔術じゃないですか!」


 そんな思考は、リリの声に遮られた。


「リリ……?」


 リリの剣幕に私は一歩引いてしまう。


 それほどに彼女は怒っていたのだ。


「治療で使うこともある魔術だから分かります。これは重症の人を助けるときに、その傷をたくさんの人で分けて肩代わりする魔術ですよね……!?」


「それってまさか……」


 めったに見ることのないリリの怒り。


 その理由を察した。


 彼女はリュートが使った魔術を知っていたのだ。


「魔王様が私とエレナちゃんに身代わりの魔術をかけているっていうことは、私たちがさっきまで受けていたダメージを2人分……いえ、魔王様自身の分も考えると3人分引き受けているということですっ……!」


 それが、彼に多大な負担を強いてしまうものだということも。


 だからこそ彼女は、泣きそうな表情で怒っているのだ。


「そんな顔をするな。リリ。多少体は重いかもしれんが、2人を担いで帰るよりも楽だと思っただけだ」


「そんな……そもそも魔王様が私たちを助ける義務なんてないのに……」


 リュートの言葉に、リリは顔を伏せる。


 彼女の言う通りだ。


 リュートは王で。リリは家臣。私に至っては部下ですらない。


 危機を背負ってまで、彼が庇護する道理はないのだ。


「魔王様っ。せめて左手を……!」


 そう口にして、リリは回復魔法を起動する。


 どうせリュートが自分を見捨てないのなら、せめて怪我だけでも癒そうと考えたのだろう。


「ああ。そうだったな。治療を頼む」


「はいっ」


 不安の隠せない笑みを浮かべ、リリはリュートの左手を治してゆく。


 ――私を庇うために負傷した手を治してゆく。


「…………」


 そんな光景を私は見つめていた。


 所在なく。


 建設的な行動をなにもできないまま、彼の回復を待った。


(リュートは私たちの分の負担まで肩代わりしているのに)


 リュートは私とリリを守っている。


(リリは、私をかばってリュートが負った怪我を治療した)


 リリはそんな彼を支えようとしている。


(私……足手まといだ)


 じゃあ、私はなにをしているのだろうか。


 リュートに怪我を負わせて。


 リュートに負荷を負わせて。


 今、なんの役に立っているのだろうか?


 私の知識とやらは、この現状を変えられるのか?


(役立たずどころか、リュートの負担を増やしているだけで――)


 ドレスを掴む手に力がこもる。


 自分が嫌になる。


 無駄だとわかっているのに、無性に泣きたくなってしまう。


 これでは私なんて――




「悪いが、ここからはお前を頼ることになりそうだな」




 ――そんな言葉と共に、頭に手が置かれた。


「……え?」


 想像もしていなかった言葉。


 呆けた顔のままリュートを見る。


「さすがのオレも、この状態で強引に脱出するのは骨が折れる」


 そこに見えたのはいつもの笑みを浮かべたリュート。


 その目は、まっすぐに私を見ていた。


「以前にお前が見せた女神のイタズラを使えば、敵に悟らせぬよう動くことができる」


 余裕さえ感じさせる表情で。


 私なら出来ると疑ってさえいない表情で。


「頼りにさせてもらうぞ?」


 彼の口から紡がれたその言葉が、私の心を救った。

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