第33話
アンネローゼが負傷したとの一報。
それを聞きつけた私たちが目の当たりにしたのは、ベッドに横たわる彼女の姿だった。
回復魔法による治療は終わっているのだろう。
彼女の肉体に傷は見えない。
だが、部屋には血の臭いが充満していた。
当初の状況を想像するだけで身震いしてしまう。
「――――」
(信じられない……)
意識のないアンネローゼ。
彼女を見て、私は少なくない動揺に襲われていた。
(聖魔のオラトリオにおいて、彼女はかなりの強キャラとして描写されていた)
正直、多少の不安はあれどもそれほど重大には考えていなかった。
なんらかの事態があろうとも、彼女なら問題なく切り抜けるのだろう。
そう思い込んでいたのだ。
(シナリオでも、彼女を倒せたのは聖女と勇者だけ)
聖魔のオラトリオReverseにおいて、彼女は勇者ルートでボスを務めるキャラだ。
リュートほどではなくとも、勇者として覚醒したソーマと戦える存在。
そんな彼女が、まさかこのような事態に見舞われるだなんて。
にわかには信じがたい。
(それだけの脅威があったってことなのかしら)
私は隣へと目を向ける。
そこにはリュートが立っていた。
彼は表情もなくアンネローゼを見下ろしている。
そこにある感情を読み取ることはできない。
だがいつもの悠然とした笑みが消えていることから察するに、彼も心中穏やかではないのだろう。
(リュートのほうが、彼女の強さは知っていたはず)
そして信頼していたはず。
そんな彼女が撃破される事態。
彼としても思うところはあるだろう。
「意識はまだ戻っていませんが、状態は安定しています」
「そうか」
リリの言葉に、リュートはそう返す。
「リリ」
そして彼はリリへと目を向け――
「彼女の治療はお前がしたのか?」
「っ」
リリの肩が跳ねる。
そこに見える感情は――罪悪感だ。
「……もし、私がもっと上手に治療できたら……すみません」
「責めるつもりはない」
今にも額を床に擦りつけそうな雰囲気のリリ。
一方、リリに向けられたリュートの声は穏やかなものだった。
「そもそも……お前でなければ救えなかっただろうからな」
(え……?)
いたわるような言葉。
その内容に、私は引っかかりを覚えていた。
(リリは回復魔法を使えるけど、その技術は並みっていう評価だったはずなのに)
たしかにリリは回復魔法を使える。
だが、彼女より治療の上手い魔族もそれなりにいたはずだ。
少なくとも、彼女の回復魔法が特段の効力を持つという描写はなかった。
(たしかに、友達を治療する時だけ妙に効果が高いっている描写はあったけど)
それは序盤のこと。
彼女の回復魔法が、相手によってムラがあるというのは触れられていた。
(もしかしてリュートは……この時点でリリの正体を知っていた……?)
まさか彼は、その理由に気付いているのだろうか。
だとしたら――
「ん……」
私の思考を打ち切ったのは、アンネローゼの声だった。
うめき声に近い、苦悶の乗った声色。
わずかに顔をひそめながらアンネローゼは目を覚ました。
「あっ、アンネローゼ様っ……!」
花の咲くような笑顔とはまさにこのことだろう。
リリは抱き着きそうな勢いでアンネローゼの顔を覗き込んだ。
「……なんとか戻ってくることができたようですわね」
とはいえ受けた傷は深かったのだろう。
アンネローゼは疲れたようにそう漏らした。
「よか、よかったぁ……」
リリがへなへなと崩れ落ちる。
泣いているのか笑っているのか分からない微妙な表情。
よほど精神を張り詰めていたのだろう。
それがアンネローゼの目覚めによって人心地ついたというわけだ。
「魔王様。報告がございます。伏せたまま口を開くことをお許しくださいませ」
「構わん。許す」
そんなリリをよそに、アンネローゼは真剣な表情でリュートへと視線を向けた。
一方のリュートも、彼女のその対応を当然のように受け止めた。
「アンネローゼ様!? ま、魔王様も……! アンネローゼ様はさっき目が覚めたばかりで、体の状態だってわからないんですよ!?」
それに反応したのはリリだった。
「分からないなら、なおさらですわ。口を開けるうちに報告を」
怒るように声を上げた彼女を、アンネローゼの言葉が制す。
いや、それともリリを止めたのは彼女の真剣なまなざしだったのだろうか。
本気で、自分の命よりも報告を優先していると分かってしまったのか。
黙り込んだリリから視線を外し、アンネローゼはリュートに向き直った。
「結論から言えば、ラルストン家の地下そのものが魔王様を害するための施設であったと考えられますわ」
彼女は語る。
自身が見てきたものを。
「侵入は容易い反面、脱出は困難。幾重にも弱体の魔術が施されており、入った時点で私以外のほぼ全員が動くこともままならない状態になりました」
弱体の魔術というのはおそらく、ゲームで言うところのデバフ系の魔術なのだろう。
「わたくし自身も、あそこでは魔術を発動することができず――」
だが魔族の中でも上澄みであろう彼女さえ魔術を行使できなくなるほどの弱体化。
それが普通でないことだけは確かだ。
「なるほど。なかなかに時間をかけて準備していたらしいな」
あごに手を当てるリュート。
その顔には、いつもの笑みが戻っていた。
「てっきり研究施設のようなものかと考えていたが、オレを殺すための戦場そのものを用意していたわけか」
そう彼は語る。
たしかに、私も漠然と考えていた。
敵は地下でリュートを殺す手段を開発し、機を見て襲撃しようとしていると。
発想が逆だったのだ。
彼らは、リュートを呼び込む戦場を用意していたのだ。
「推測になるのですが、転移魔術の類であの施設内に魔王様を幽閉するのが奴らの目的だったのではないかと」
アンネローゼはそう語った。
長距離を移動する魔術があることは、私もこの魔王城を訪れるときに経験している。
それに類似した魔術でリュートを地下施設へと連れ込む。
たしかに、地下施設の性質と合わせるとかなりの脅威だろう。
「おそらく、そのためにメリッサ=ラルストンをオレの婚約者にしたかったのだろうな。奴を使えば、オレを強制的に転移するチャンスがめぐってくると考えたわけだ」
転移魔術にどんな工程が必要なのかは分からない。
だが近くにいたほうが隙もうかがいやすいのは確実。
メリッサに、リュートを転移させる役割をあてがう予定だったことはありえる話だ。
「なるほど、そこまで分かれば対策のしようもあるだろう」
リュートはそう笑う。
武器か、魔術か。それ以外か。
これまでは何を警戒すればいいのかもわからなかった。
しかし今、アンネローゼが身を削ったことで驚異の正体は露見した。
リュートならば底の知れた計画など、一蹴してみせるだろう。
(リュートなら施設を外側から一撃で壊すのも簡単そうよね)
彼は魔王。ラスボスなのだ。
それこそ本気になれば人類を滅ぼせるだけの存在。
地下に広がる施設を潰してしまうコトなんて容易なはず。
「アンネローゼ。よく情報を持ち帰った」
リュートはそう告げた。
たしかにアンネローゼはかなりの傷を負った。
周囲を見る限り、彼女以外の魔族は戻ってくることができなかったらしい。
それでも、その犠牲がリュートの安全を確保した。
――そう思っていた。
「ええ」
微笑みまじりの声。
彼女自身の声のはずなのに、どこか私の知るアンネローゼと齟齬のある声色。
「だって、自分の墓場のことは知っておきたいでしょう?」
気が付くと、アンネローゼが放った魔術はリュートの胸を穿っていた。




