第32話
もはや日常となりつつある魔王城。
私は目を閉じたまま、廊下を歩いてゆく。
とはいえ、さすがに何も見なくとも問題ないほどに間取りを把握しているというわけではない。
「おお……」
思わず感動の声が漏れた。
目を閉じているのに前が見えている。
そのカラクリはいたってシンプルだ。
私の前方では、紙の人形が浮遊している。
紙を人型に切り抜いたものを式神として使役する。
そして式神を通じて前を見ているのだ。
これは私が人生最大級の恥をさらした成果だった。
(呪術のコツはつかめてきたわね)
些細とはいえない醜態を演じた後。
リュートの助言は的確であったようで、私は呪術をわずかながら扱えるようになっていた。
「あとはこれを遠くに飛ばせるようになれば上出来ね」
これは本来、式神を飛ばすことで偵察をするためのものだ。
あるいは式神とする紙にメッセージを書いておき、それを遠くの誰かに届けるためのもの。
ほんの手元でしか操れないようでは実用的とはいえない。
とはいえ第一歩を踏み出したのも事実。
ここからは練習次第だろう。
「?」
自分がファンタジーな力を行使している。
そんな事実に感動を覚え打ち震えていたところだったが――
「この声は……ソーマ?」
聞き慣れた声に足を止める。
廊下を曲がった先。
どうやらそこに彼がいるらしい。
いや、彼だけではない。
複数人の女性の声が聞こえてきている。
「黒魔女と仲良くするのはやめたほうがいいと思いますよぉ」
「ソーマさんは優しいから、あの黒魔女に騙されているんですって」
「あれは……」
式神を飛ばして確認した景色。
そこにはソーマと2人のメイドがいた。
正直なところ名前も知らない2人だが、どうやら私の噂話をしているらしい。
(まあ……裏ではこんなものよね)
別に期待していたわけではない。
例の毒殺未遂事件をキッカケにセラが働きかけてくれたらしく、周囲からの悪意ある視線はだいぶ緩和されていた。
だが決して、それがなくなったわけではない。
そこまで人の心が単純でないことくらい分かっている。
……しかしなんというか、せっかく舞い上がっていた気持ちは消えてしまった。
(私がしたことじゃなくても、私の体がエレナである以上これは避けられないことなのよね)
それに、別にあのメイドたちもあることないことを笑い話にしているわけではない。
本当にあった話なのだ。
ただ、それはエレナ=イヴリスがやったことであり、私の悪行ではないというだけで。
(ソーマはどう思うのかしら)
どうやらあの2人はソーマのことを気に入っているらしい。
だから彼女たちには、彼が悪女に騙されているように見えているのだ。
もっとも、私が彼女の立場でもエレナとの付き合いは止めるのであまり非難もできないのだけれど。
とはいえ、冤罪を叩きつけられる側としてはいい気分ではない。
(やっぱり、嫌われるのかしら)
正義感の強い彼なら、エレナ=イヴリスの所業は唾棄すべきものだろう。
そもそもとして、悪評まみれの私と関わろうとするリリたちが例外だったのだ。
相手の評判に傷をつける可能性を考えれば、そもそも一緒にいるべきでないわけで。
いっそここで幻滅しておいてもらったほうが、彼のためになるのかもしれな――
「忠告をしてもらっておいて申し訳ないんだけど、僕は彼女との付き合い方を変えるつもりはないよ」
どんどんネガティブな思考が渦巻いていく中。
それを振り払ったのはソーマの一声だった。
「で、でも! 黒魔女は、人間の国でも稀代の悪女として追放されるような女で――!」
「もし嘘だと思うなら、他の人たちにも確かめてもらえば……!」
ソーマはエレナを完全に信じ込んでいて。
彼女たちの話をきちんと受け取っていない。
そう解釈したのだろう。
メイドたちが必死に言葉を続けようとするも、ソーマは優しくそれを制した。
「ああ、ごめん。君の言うことを疑っているわけじゃないんだ」
そう微笑む彼の表情に嘘は感じられなかった。
「これまでも、何度も色々な人が忠告してくれたことだったからね」
彼は苦笑を浮かべて頭を掻く。
当然のように口にした言葉。
それは私にとって衝撃的なものだった。
(……そうだったんだ)
正直なところ、まったく気が付いていなかった。
それほどまでに、彼の態度は最初から今までまったく変わらなかった。
私自身でさえ、彼女はエレナ=イヴリスという悪女の過去を知らないものと思っていた。
噂なんてしょせん噂。そんな言葉は嘘だ。
噂ほど人のイメージを決定づけるものはない。
噂を信じてその人のすべてを決めつける人間でこの世界はあふれているのだ。
それはきっと、私も含めて。
(私の噂を知っていて、それでもソーマはずっと……?)
なのに彼は、私の過去を知ってなお変わらず接してくれていたのか。
ソーマが自分に向けた振る舞い。
その本当の重さが今になってわかった。
エレナの過去を知らないからこそのフラットな関係だなんて、あまりにも彼を見くびっていた。
彼は『エレナ=イヴリス』という悪女を知ったうえで、私を見てくれていたのだ。
「きっと君たちも、本気で僕を心配してくれていたんだよね?」
居心地悪そうに顔を伏せているメイドたち。
そんな彼女たちにソーマは笑いかける。
「ごめんね。その人をどう思うかは、自分が見て感じたことだけで決めるようにしているんだ」
柔らかい笑顔で。それでいて、彼の目には強い意思が宿っていた。
「でも、聖王国には黒魔女に利用されて破滅した人間だってたくさんいるんですよ……! ソーマさんだって何に利用されるか――!」
「もしそうなったら、僕に見る目がなかったって諦めるよ」
彼の目に宿っている感情。
もし恥ずかしげもなく、都合よく解釈してもいいのならば。
それは信頼のように見えた。
☆
「「あ」」
なんというか間抜けな話。
式神を通じて会話を盗み見ていたとして。
私はその式神から1メートルと離れることができないのだ。
そうなればまあ、メイドたちの下を立ち去ろうとしたソーマと対面してしまうのも仕方のないことだろう。
「えっと」
気まずそうなソーマ。
彼は目を逸らし、頬を掻く。
「もしかして、さっきの話を聞いて……」
「……ええ」
集中が完全に切れてしまったのだろう。
ぽとりと落ちた式神。
視界のリンクを切り、私は眼を開ける。
「前から、ああいうことはあったの?」
「えっと……うん」
私の問いに、彼はうなずいた。
話を聞かれていた以上、へたな誤魔化しは無意味だと考えたのだろう。
「騙されているかもって、思わなかったの?」
私は人間社会では稀代の悪女として有名になってしまっているのだ。
一応は協力関係であったはずの魔族からさえ忌み嫌われている少女を。
私をどうして信じようなどと思えたのか。
「過去が事実だったとして、僕は君の口から聞いたわけじゃない」
ソーマは私をまっすぐに見つめる。
「そこにあったはずの事情も感情も知らないんだから、エレナさんの人柄を判断する材料にはならないよ」
そう笑った。
簡単に言っているが、彼のしていることは決して簡単なことではない。
完全に思い込みを排除して誰かを見極めようだなんて、容易いことではないのだ。
なのに彼は、悪評まみれの私の『今』を見ていた。
「普通はそれでも悪印象を抱いてしまうと思うんだけど」
「まあ、それに関しては第一印象が良か――いや、なんでもない」
「?」
急にソーマが口ごもった。
何か言いかけていたが……。
「ともかく、僕が実際に話してみて抱いた印象を信じているだけだよ」
咳払いの後、彼はそう語った。
そしてそのままの流れで――
「それに正直、エレナさんになら騙されるのも良いかなって」
――彼の口からそんな言葉が転がり出た。
「え」
「あ……い、いやっ! 今のはちょっとナシでっ!」
私が固まったことで、ソーマは自分が口にした言葉を自覚したのだろう。
彼は慌てた様子で自身の発言を撤回した。
「え……ええ」
彼の勢いに押されて思わずうなずく。
まあ、きっと言葉のアヤという奴だろう。
私の知っているソーマはそういうことを言うタイプでもないし。
「エレナちゃん! ソーマさん!」
なんというか、この話題をとりあえず変えたい。
そんな気持ちが私たちの間で共有されていたであろう数秒。
沈黙を壊したのはリリの声だった。
「リリ?」
渡りに船。
そう言ってしまうのは簡単だ。
しかしそんな楽観的な気持ちにはなれなかった。
(やけに焦っているわね)
どうにも、リリの雰囲気がおかしいのだ。
彼女は感情表現が豊かということもあり、慌てている場面を見ることは少なくない。
だが、今回はそれとは違う。
顔色が悪く、あきらかに様子がおかしい。
「大変ですっ!」
そんな悪い予感。
息を切らすリリが吐き出した言葉は、その予感を確信に変えてしまう。
「アンネローゼ様が大怪我をっ……!」
波乱は、すぐ近くに迫っていた。




