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第29話

 カツカツと靴音だけが鳴る。


 私はリュートの背中を追うようにして、石造りの塔を降りていた。


 壁に沿うように降りてゆく螺旋階段。


 その底は見えない。


 石段は不揃いでお世辞にも歩きやすいとは言えない。


 リュートの忠告に従い、歩きやすい靴に履き替えておいて良かった。


 そうでなければ、今頃はリュートを巻き込んで階段を転がり落ちていただろう。


 死刑囚に会いに行こうとして転落死。


 運よく生き延びても、魔王暗殺未遂で死刑である。


「――ここが」


(監獄塔って、ゲームだと外観しか分からなかったけど)


 少し湿り気のある空気に眉をひそめる。


 聖魔のオラトリオでは、監獄塔の内部に入るイベントはない。


 だから背景グラフィックなども当然ながら存在していない。


 未知の場所に踏み入るワクワクと、肌にまとわりつく不快感で複雑な気持ちだ。


(……私がいたのが、聖王国の地下牢でよかった)


 同じ牢屋でも、聖王国のほうがいくぶんかマシだった。


(まあ、そもそも牢屋スタートじゃなければもっと……)


 もっとも、牢屋なんて入らないに越したことはないと思うのだけれど。


 そんなことを考えかけて、ふと思う。


(それだと、魔族領で暮らすなんて考えもしなかっただろうけど)


 もしただの一般人としてこの世界に来ていたら。


 今頃はモブとして聖王国で暮らしていたことだろう。


 少なくとも、リュートに目をつけられることはなかったはず。


 喉元すぎればなんとやら。


 なかなかに詰んだ状況からのスタートだったが、今になって思えばそれほど悪くないような気もしてくる。


(結果論だけど、エレナの体に転生してよかった……のかな?)


 そんなことを思ってしまう。


 波乱や理不尽はあったけれど。


 好きなゲームの世界で、好きなキャラクターと触れ合える。


 それ自体はわりかし恵まれた環境と言えるのではないだろうか。


 嫌われスタートというマイナス要素はあるけれど。


(とはいえ、考えないこともいっぱいあるわけだし)


 だが、そんな呑気なことばかり言っていられないのも事実。


 反魔王派。


 ソーマの覚醒。


 目下の問題だけでも、なかなかにハードなのだ。


 楽しんでばかりではいられない。


(本当の意味で、私がここにいてよかったと思えるためには、もっと頑張らないとね)


 そうやって完全無欠のハッピーエンドを手に入れたとき。


 きっと手放しに喜べるのだろう。


 私は、ここにいて良かったのだと。


「ここだ」


 そんな思考に没頭していたせいだろうか。


 気が付けば、リュートが足を止めていた。


 どうやらメリッサがいる牢についたらしい。


「魔力は封じてあるが、万が一ということもある。オレの後ろに控えておけ」


「はい」


 私は彼の背中に身を隠す。


 前方にあるのは木製の扉だ。


 それこそ、簡素ながらも道中に比べればかなりマトモな造りの。


 牢というよりも、普通の部屋のように見える。


「入るぞ」


 リュートは軽くノックをすると、返事を待たずに扉を開いた。


 普通の部屋。


 それが私の感想だった。


 城のように豪華ではない。


 だがベッドにテーブルなど、最低限の生活ができる程度の家具はある。


 私が日本で借りていたアパートの一室とそう変わらないくらいの部屋がそこにあった。


 ――ちょっと胸が痛い。


「……魔王様」


 そんな部屋の中央。


 質素な椅子に、彼女はいた。


 さすがにメイク類まで許されてはいないのだろう。


 以前に見たときよりもはるかに大人しい格好のメリッサがこちらを見る。


「まさか、魔王様自ら刑を執行なさるだなんて。とても光栄ですね」


 メリッサは微笑んだ。


 柔らかく。悲しげに。どこか疲れたように。


 それも以前に見た彼女からは感じられない雰囲気だった。


 この監禁生活に思うところがあったのかもしれない。


「ほう。敵に討ち取られるのが光栄か?」


 リュートはそう笑う。


「…………」


 メリッサは話さない。


 沈黙。


 だがそれには意味があったのだろう。


 彼女は何かを察したように息を吐いた。


「そのご様子では、すでに大局は見透かされているということでしょうか」


 先程のリュートの言葉。


 王である自分を『敵』と表したこと。


 それでメリッサは理解したのだ。


 ラルストン家が、魔王に対して害意を抱いていることが露見していると。


「ラルストン家の意向はおおよそ把握した」


 そうリュートは一歩歩む。


「だから、あのとき聞きそこねた弁明を聞こうと思ったのだが」


 深まる笑み。


 あの庭園での提案。


 それをなぞるように、リュートはメリッサに語りかける。


「――この場で口にしても、言い訳がましいかもしれませんが」


 彼女はそう前置きした。


「わたくしは、本当に貴方をお慕いしていましたわ」


 どこか空虚に響く声。


 それはきっと、自分の想いが叶わないことを彼女自身が確信しているからだろう。


 一縷の希望さえない夢に、覇気なんてこもるはずもない。


「わたくしの家が反魔王派であることを黙っていたこと以外に、秘密はありません」


 そう彼女は微笑んだ。


「貴方に向けた愛の言葉も。貴方に愛されたいと願っていたことも」


 何かを思い出すように。


 そして、愛でるように。




「――わたくしが一番でないことが不満であったことも」




 ふっと彼女から表情が消えた。


 瞳には暗い影が差す。


「ラルストン家からの指示はあったが、お前にも都合が良かったから従った――というわけだな?」


「はい」


 彼女は肯定した。


 害意を。


 自分には、たしかにアンネローゼを殺したいという気持ちがあったのだと。


 反魔王派としての一手ではなく、魔王を愛するものとして彼女を邪魔に思う気持ちがあったのだと。


「たとえ裏切りへの布石であっても、貴方の妻であれるのなら。それでよかった」


 彼女は暗く微笑む。


 あいにくと私にそういう経験はないけれど、きっと彼女が持っていた感情も間違いなく愛情だったのだろう。


 誰かを害してでもという、ほの暗い色が混じっていたとしても。


「きっと貴方の妻にふさわしい魔族なら、貴方を諦めてでも反乱分子の情報を捧げたのでしょうけれど」


 その笑みに、先程までの影は感じられなかった。


 それはきっと敗北宣言だったのだろう。


 愛する人のためなら、愛さえ捨てられる。


 そんな魔族の姿が思い浮かんでしまったから。


「なるほど」


 そんな彼女の言葉をリュートは受け止める。


「なら、今度はどうだ?」


 そして問いかけた。


「最後に、オレにふさわしい魔族とやらになってみる気はあるか?」


 悠然とした笑みとともに。


「……」


 それはきっと意外な言葉だったのだろう。


 少し呆けた様子でメリッサがリュートを見つめ返す。


 そして彼女は目を伏せ――


「……ラルストン家には、貴方を謀殺するために用意した地下施設があります」


 独り言のようにそう告げた。


「それ以上は、本当に知りません」


 彼女は目を閉じた。


 すべてに疲れきったように。


「用意されているのが魔術なのか。武器なのか」


 ぽつりぽつりと彼女は語る。


「わたくしは貴方の妻となり、隙をうかがうための駒。接近するからこそ、記憶を読まれる可能性を危惧したのでしょう。だから――くわしいことは知らされていません」


「道理だな。オレを討とうというのだ。情報の漏洩には特段に気を付けていることだろう」


 納得したようにうなずくリュート。


 たしかに彼なら、相手の記憶を読み取る魔術くらい使えそうだ。


 そうでなくとも、彼の頭脳を前にして企みを隠し通すなど不可能に等しい。


 なら最初から情報を与えないというのは、シンプルな解答かもしれない。


「エレナ。帰るぞ」


「……はい」


 聞きたいことは聞き終えたのだろう。


 リュートはメリッサに背を向ける。


 ――彼女は、彼の背中を目で追いはしなかった。


 ただ床を見つめているだけだ。


「メリッサ=ラルストン」


 扉に手をかけたまま、リュートが口を開いた。


「次に来るのは、今回の件を踏まえ――正式な沙汰を告げるときだろう」


「そうですか」


 その言葉に、メリッサは微笑んだ。


「魔王様を殺害した罪でないことを祈っています」


 ――貴方に死んでほしくない。


 そう口にすることは、彼女の罪悪感が許さなかったのかもしれない。


「事態が収束した暁には、お前から情報提供があったことは考慮しておこう」


「……ありがとうございます」


 その言葉を最後に聞いて、私たちは部屋を出た。

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