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第26話

「はあああああああああッ!」


 ソーマの声が部屋中に響く。


 その声色は、普段の温厚な彼からは想像もつかないほど獰猛な叫びだった。


「なッ……!?」


 ほとんど炸裂音に近い音を立てながら刃と刃がぶつかり合う。


 黒装束はその勢いに押され、壁際まで後退させられていた。


 彼の表情には驚愕が浮かんでいる。


 彼の算段では、今の攻撃は防がれるはずがないものだったのだろう。


「こいつ……さっきまでとは全然……!」


 黒装束が漏らす舌打ち。


 しかし自らをプロと評した言葉に嘘はなかったのだろう。


 彼は構え直し、すぐさま次の攻防へと動き始めた。


「これならどうだッ!」


 彼のナイフが暗い炎をまとう。


 規模こそ大きく劣るが、その姿はかつてリュートが庭園で見せた攻撃に酷似している。


 おそらく聖魔のオラトリオにおいてもスキルに分類されていたであろう強力な一撃。


 それを――


「なっ……!」


 ――ソーマは剣の一振りでかき消した。


 剣と剣をぶつけあった結果ならまだわかる。


 だが、違う。


 剣を振るった際の風圧だけで黒装束の攻撃を消し去ったのだ。


「これは……浄化の力か?」


 茫然と黒装束がこぼした。


「うそ……」


 その言葉に、私はある可能性へと思い至った。


 魔族の力に対し、絶対的な優位を持つ存在。


(まさか……勇者の力が覚醒を始めたの……?)


 ――勇者の存在へと。


 はたして自覚的か無自覚か。


 その是非はともかく、ソーマは勇者としての力を行使しているのだ。


「まさかテメェ……聖女の関係者か?」


 黒装束が殺気立つ。


 勇者という存在は一般に知られるものではない。


 この世界では、浄化の力を持つ者といえば聖女なのだ。


 そして聖女はノア=アリア1人だけ。


 導き出されるのは、彼がノア=アリアの祝福を受けた存在であるという誤答。


「こりゃあ、想定外の連中がかかわってやがったもんだな」


 にやりと笑う黒装束。


 しかしその笑顔に友好などカケラもない。


 ただただ、宿るのは敵意だけだ。


「悪いが。お前は生かしちゃおけなくなっちまったな」


 今の魔王を支持しているかなど関係がない。


 聖女に連なる存在。


 それだけで、絶対的に魔族の敵なのだ。


「黒魔女が持っている情報も、俺の生存も些事でしかねぇ」


 黒装束の目はもはや、私に向けられる余地などなかった。


 仕事ではない。


 種族として、宿敵というべき存在を目の前に見つけたのだから。


「お前を消すのが、これからの最優先任務だ」


 そう告げると、黒装束は上着を脱ぎ去った。


 さらけだされる筋肉質な上半身。


「全部まとめて吹っ飛びやがれ」


 そして、腹筋を覆い隠すほどに敷き詰められた円筒形の爆弾。


 先程投げた爆弾なんてそのうちの1本でしかない。


 いざとなれば相討ったとしても仕事を果たすという意思の表れか。


 彼は、10を軽く越える爆弾を胴体に巻き付けていた。


「な……!」


 マントを脱ぎ捨てるのが着火のトリガーだったのか。


 爆弾から伸びる導火線にはすでに火がついていた。


(あんなの、もう間に合わない……!)


 あれは交渉や威圧の目的など微塵も含んでいないのだろう。


 着火した時点で、導火線は数ミリと残っていなかった。


 本人にさえ解除が困難であろうほどに切り詰められたタイムラグ。


 着火から炸裂までの一瞬を私が認識できたのは、死を前にした脳が起こす走馬灯のせいだろう。


 スローモーションになった視界が、見せつけるように起爆までの景色を再生する。


 避けられない死を前に血の気が引いていく感覚が鮮明に――


「させないッ!」


 そんな絶望的な状況を斬り払ったのはソーマの一声だった。


 高速で振り抜かれた刃。


 それは黒装束の男の胴体ごと、彼の体を一周していた爆弾すべてを斬り捨てた。


 もはやほとんど残っていない導火線だけを狙って、一筆に斬撃を放つという絶技。


 そのついでのように、黒装束の男の肉体は断絶された。


「ぐッ……」


 血を吐く黒装束の男。


「殺さずにこの場をおさめるのは諦めたか」


 彼は笑みを浮かべる。


 しかしその表情には、爽快感や達成感といったポジティブな感情は一切存在しない。


「罪と向き合う覚悟でもできたのか?」


 もっと粘ついていて。


 もっと歪んでいて。


「それとも、世界に祝福されたお前らにとっては、俺たち魔族を殺すのは善行か?」


 もっと悪辣で。


 もっと残虐で。


「違うね」


 遺恨や怨恨さえ生ぬるい。




「ようこそ。殺し屋の世界に」




 心の深く深くまで。


「俺たちみたいなクズは、ろくな死に方しねぇだろうさ」


 染み込むような呪いを遺す笑みだった。







 びちゃりと音が鳴った。


 生物だったものが地面に落ちる音だ。


 濡れたような、重みのある。


 吐きたくなるような音だ。


「ソーマ……」


 私の口から漏れるのは意味を持たない言葉だけ。


 体に力が入らない。


 顔の筋肉も言うことを聞いてくれない。


 だから彼に向けることができたのは、茫然とした無表情だけだった。


 これを毒のせいにしてしまうのは――きっと言い訳なのだろう。


(まさか、記憶が戻ったの?)


 私にとっては最重要だったはずの疑問。


 それさえも現実逃避に思えてくる。


 目の前に広がる、どう言葉を吐けばいいのか分からない現実から逃れるための思考に思えてくる。


(だとしたら、もう物語は止められない)


 先程、ソーマは浄化の力を振るっていた。


 あきらかに、途中から剣の冴えが変わっていた。


 それが覚醒を示すのなら。


(ソーマかリュート。どちらかが死ぬしかなくなってしまう)


 悲劇のトリガーが引かれたことを意味する。


 私はそんなことばかり考えていた。


 ――目の前には、すでに悲劇が広がっているというのに。


「エレナさん」


 ぽつりと告げられた声。


 ソーマが振り返った。


 ――お願いだから、私の表情が彼を傷つけることがありませんように。


 そう願う。


 自分がどんな顔をしているのかさえ分からないくせに。


「……大丈夫?」


 感情が抜け落ちた声で、彼はそう問いかけてきた。


 返り血で手が濡れ、剣が滑り落ちても。


 その手が、罪で震えていても。


 彼の口から最初に飛び出したのは、私の安否を気遣う言葉だった。


「ええ……大丈夫よ。ありがとう」


「そうか……」


 わずかに彼の目尻が緩む。


 微笑みとさえ呼べない小さな表情の変化。


 だけどたしかに、彼は安堵していたように見えた。


「よかった……」


 そんな言葉を残し、彼は足早に立ち去ろうとする。


(ダメ……。彼をこのまま行かせたらダメ……!)


 ただの直感でしかない。


 シナリオも設定も関係がない。


 これまで彼とすごした私の感覚が告げる。


 このままでは、もう二度と会えなくなる。


 そんな気がしたのだ。


「待って……!」


 気が付けば、私は彼の手を掴んでいた。


 とはいえ当然の話だが、体を蝕んでいた毒の影響が唐突に消えたりはしない。


 依然として手足の感覚はあいまいなまま。


 そんな状態でいきなり動き出しても、まともに動けるはずもなく。


 私は彼の手を掴んだまま、その場で転びそうになる。


「エレナさんっ!」


 気が付けば、私はソーマに抱きとめられていた。


 私の無鉄砲な行動に驚かされたのだろう。


 焦ったような表情を浮かべているソーマ。


 彼の目からは、涙が流れていた。


 きっと涙を見せたくなくて、彼はここを立ち去ろうとしたのだろう。


 そうやって、1人で傷つこうとしたのだ。


 やはり間違っていなかった。


 今の彼は、1人にしてはいけない。


「ソーマ」


 私は背伸びをして、彼の頬を撫でた。


 そして、まっすぐ彼を見つめる。


「…………」


 様々な感情があふれそうになっている表情。


 きっと限界は近かったのだろう。


 力が抜けたようにソーマがその場で両膝をついた。


 だから私は彼を包み込むように抱きしめる。


「ごめんなさい」


 彼の黒髪を撫でる。


 優しく、慈しむように。


 彼の心が壊れてしまわないように。


「きっと……あなたは悪くないだとか、仕方がなかっただなんて言っても……そう思えないわよね」


 そんなこと、設定資料集を読むまでもない。


 ソーマという少年は、そうやって割り切れるほど器用じゃない。


「だから1つだけ」


 彼は、誰かに責任を押しつけられるほど器用じゃない。


 なら、


「私にも背負わせて」


 一緒に、その責任を背負う人間が必要だろう。


 彼が潰れてしまわないように。


 そして今、それができるのは私だけだ。


「背負うべき責任を背負わせてもらえないのって、けっこう寂しいのよ」


 そう微笑む。


 ほんの少しでも彼の心が軽くなれば、と、


「だから、1人で抱え込まないで」


 彼の肩が震えた。


 無意識だろうか。


 私を抱きとめていた彼の手に力がこもった。


「――見せたくないのに」


 彼が漏らしたのは、そんな言葉だった。


「君には、情けないところを見せたくないのに」


 ぽつり、ぽつりと。


 そんな感情を吐露してゆく。


 涙声で。


 鼻をすするような音を鳴らしながら。


「そんなことを言われたら……隠しきれないじゃないか」


「隠さなくていいのよ」


 私は彼の頭を強く抱きしめ、胸に押し当てた。


 彼の表情が誰にも見られないように。


 彼の声が誰にも聞かれないように。


「ぅ……ぁぁ……!」


 ソーマのくぐもった嗚咽が、この部屋だけの秘密となるように。

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