第19話
「あれは――」
突如として現れた黒マントの男。
彼が放つ殺気に思わず後ずさってしまう。
(襲撃……!?)
アンネローゼ毒殺未遂イベントの際、黒装束に襲われたとき以来の命の危機。
あのときはリュートが介入したことで助かったが。
(じゃあ、さっきの氷はもしかしてアンネローゼの魔法……!?)
状況から考えて、あの氷はおそらくアンネローゼが放ったものだ。
彼女はゲーム内でも氷の魔法を使っていたし、彼女のステータスを考えるとあれくらいの氷を出すことなど造作もないことだろう。
なら、あの男はその氷をかいくぐってここに来たのか。
それともまさか、彼女を――
「――――」
そんな思考が巡る中、男がこちらに駆けだした。
男が目指したのは、比較的近くにいたであろう私のほうだった。
速い。
目に映らないほどではないが、反応するにはあまりにも速すぎた。
マントの中に隠していたのだろうか。
いつのまにか男は短剣のようなものを握っている。
(いやっ……!)
命の危機を前に思考が空回りを起こしているのか。
私は棒立ちのまま動けない。
「下がって!」
「きゃっ」
グイと袖を引かれる感覚。
私はバランスを崩してそのまま後ろに倒れ込む。
それと入れ替わるようにして、ソーマは私の前に立った。
彼は私と男の間に滑り込み、腰に下げていた剣を引き抜く。
「はぁッ!」
横一閃に振るわれる斬撃。
「――――!?」
たったひと振り。
それだけでソーマは男の手から短剣を弾き飛ばした。
吹っ飛んだ短剣は天井に刺さる。
そうして武器を失った男は拳を握り、ソーマに殴りかかった。
「させないッ!」
「がッ!?」
――正直、何が起こったのか分からない。
私に分かったことは、黒マントの男が壁まで吹っ飛んだこと。
そして、それを実行したのがソーマであろうことだけだ。
剣を振ったのか。素手で倒したのか。
それも私の目では判断ができなかった。
「…………強い」
私は尻もちをついたまま茫然とそう漏らした。
男は壁に頭から突っ込み、仰向けに倒れている。
おそらく気絶しているのか動く様子はない。
「ふぅ……」
聞こえる吐息。
ソーマは苦笑しながら右手で額を拭う。
「手加減はしたけど……大丈夫かな?」
初めての実戦に緊張していたのか。
そう思っていたのだが、むしろ彼の心配は自分の手加減の度合いへと向けられているらしい。
(見ていただけだと強さはよく分からなかったけど……向こうは荒事に慣れている感じだった)
少なくとも、元の世界ではそうそう見るような人間ではなかった。
乱暴だとか。喧嘩の経験があるだとか。
そういう領域で生きてきた人間とは思えなかった。
(それなのに、数日前に初めて剣を握ったはずのソーマがあっさり勝った)
それも手加減さえしながら。
100回やれば100回勝てる。
そう思わせるほど危なげなく。
(――これが勇者)
間違いなく異常だ。
仮にソーマが武術の経験者だったとしても、本来ならこう上手くはいかないはず。
本来なら。
だが彼は魔王に並ぶ、いや――この世界で並ぶ者のいない高みに立つことが許された存在なのだ。
今は発展途上であったとしても、そこらの人間に負けるはずがないということか。
「さっきは急に引っ張ったりしちゃってごめん。痛くなかった……かな?」
ソーマがこちらを心配そうに振り返る。
緊急事態だったこともあり、倒れるほどの勢いで私を引っ張ったことを気にしていたらしい。
「大丈夫よ」
もちろん、それがなければ死んでいた身としては感謝しかないのだが。
私はソーマから差し出された手を借り、立ち上がる。
「助けてくれてありがとう」
「まあ……ほら。僕は、エレナさんのボディガードだから」
そう言ってソーマが微笑む。
まったく。
彼はただの方便でしかなかった言葉のままに、自身をかえりみずに割って入ってくれたというわけか。
いや。きっと違うのだろう。
私が何も言ってなかったとしても、ここにいたのが私でなかったとしても。
きっと彼は助けるために剣を抜いたのだろう。
彼の屈託ない笑顔を見ているとそう思う。
「そうだったわね」
思わずくすりと笑みが漏れた。
「無事でして!?」
そう叫びながら部屋に入ってきたのはアンネローゼだった。
かなり焦っていたのだろう。
階段を踏み抜くつもりなのかと思うほどの足音を立てながらの登場だった。
よく見てみると、彼女の背後には涙目のリリもいた。
2人に怪我はなさそうだ。
(よかった。無事だったんだ)
もしかしたら、ここに来る前に2人が襲われたのではないか。
そして最悪の事態もありえるのではないか。
そんな不安が杞憂だったことに安堵した。
だけど――
「なにをしていますのッ!」
アンネローゼの表情は、私の想定よりもはるかに切迫していた。
まるで死が迫っているかのように。
「生きている敵から目を逸らさないでッ」
ああ――そうか。
得心が行った。
甘かったのだ。
私も、ソーマも。
日本という、争いが比較的遠い世界にいたから。
殺し合いというものの、本当の恐ろしさを理解していなかった。
「――――!」
結果がこれだ。
反射的に、私たちが黒マントの男がいた方向へと目を向けたとき。
――すでに彼は私たちに肉薄していた。
「なッ……!?」
ソーマが目を見開く。
すでにその距離は手が届くほど。
彼の資質をもってしても間に合うとは思えない。
「ぁ……」
男が隠し持っていたらしいナイフがソーマの顔面へと迫る。
その切っ先が彼の眼球を抉る寸前――
「敵を殺さないのなら、責任を持って反撃できないようにしなさい」
そんなアンネローゼの声が響く。
直後、部屋を覆いつくすほどの氷が黒マントの男を拘束した。
顔を残して男は氷塊に呑み込まれており、一切の動きを許されていない。
「とはいえ今回の場合、そもそも敵を討ち漏らしたわたくしにも責任があるのでしょうけれど」
アンネローゼが嘆息する。
ただそれは呆れというよりも、安堵の感情が大きいように見える。
「ありがとうございます」
そう口にするソーマ。
その表情は暗く沈みきっている。
「……僕の油断でみんなに迷惑をかけてしまうところだった」
ソーマが唇を噛む。
「自分で自分が情けない……」
彼の口から漏れるのは悲痛な声。
握られた拳は、怒りで震えていた。
「そ……そこまで落ち込まなくても……。もしソーマ君がいなかったら、今頃ケガなんかじゃすまなかったかもしれないし……」
私はその姿があまりに痛々しく、握られた彼の拳を両手で包み込む。
「そうですわね。それに襲撃者を生け捕りにできたのは、貴方の剣技があってこそですわ」
続けたのはアンネローゼだ。
彼女から見ても、彼の落ち込みようには思うところがあったのだろう。
少し気まずそうに咳払いをしている。
「ともあれ、彼は凍らせたまま城に――」
「きゃぁぁ!?」
アンネローゼの声を遮った叫び。
それはリリの声だった。
「リリ!?」
先程までの陰鬱な空気さえ忘れ、私はリリへと目を向けた。
結論から言えば、リリに怪我らしきものはなかった。
ただ彼女は顔面蒼白になり、黒マントの男を指さしていた。
彼女の指先に視線を導かれ――私は彼女が動転していた理由を察した。
「うそ……」
「そんな……血が……」
私だけではない。
ソーマも痛ましい表情を浮かべている。
――黒マントは顔以外のすべてを氷に覆われていた。
そうして残されていた顔。
その口からは、赤黒い血液がこぼれ落ちていた。
静寂に包まれた部屋。
びちゃびちゃと。
血がしたたる音だけが時の流れを感じさせる。
「口内に毒を仕込んでいた……? これは、わたくしも他人の油断を咎められそうにありませんわね……」
苦々しい表情でアンネローゼがそう吐き出す。
襲撃者は――自害していた。




