第18話
「…………!?」
それは衝撃だった。
どこかで偏見があったのかもしれない。
数えきれないほどの甘味が氾濫していた元の世界の基準で考えてはいけないだろう――と。
(これがこの世界の最高クラス……!)
それこそリリの説明が正しければ、ここはアンネローゼ相当の特別な客しか訪れることが許されない場所なのだ。
チープな甘味とはレベルが違う。
複雑ながらしつこくない上品な甘さ。
多幸感で脳がしびれてしまう。
元の世界では平均ちょっと下くらいの生活しかしていなかった私が想像できる世界観であるはずがなかったのだ。
この世界の料理レベルを甘く見ていた。
「……どうしたの?」
フォークを手にしたまま感動に打ち震えている私。
ようやく私が正気に戻ったころ、ふとテーブルの向かい側にいるソーマの姿が気にかかった。
「あ……すみません」
どこか陰のある微笑みを見せるソーマ。
彼の前には手をつけた様子のないショートケーキがたたずんでいる。
どうやら彼は目の前のスイーツをまったく食べていないらしい。
甘いものが苦手という設定はなかったはずなのだが。
「なんというか……気を遣わせてしまっていますよね」
ソーマが見せた自嘲するような笑み。
「?」
その意味を理解できず、私は首をかしげた。
「自分の名前しか分からないような僕に、みんな優しくしてくれて……なんだか申し訳ないなって」
なんというか、彼は真面目な気質なのだろう。
記憶もなく、何をしていいのかも分からない中。
普通だったらもっと精神的に不安定で、攻撃的になったっておかしくない状況だ。
そんな環境にいても真っ先に考えることが、自分が誰かの負担になってしまっているのではないかだなんて。
優しく、そして繊細な少年なのだろう。
「そんなこと気にしなくていいのに」
だからそう笑う。
何も気にしなくていいのだと。
言葉だけでなく態度で伝わるように。
「私もリリもアンネローゼさんも、無理をして一緒にいるわけじゃないんだから」
アンネローゼはわりと強引に巻き込まれていた様子だったけれど。
それこそ、私やリリが関わっていなければソーマとも距離を置いていたはずだ。
現時点において、ソーマが身元不明の人物であることを加味すれば特に。
「とりあえず今は美味しいものを食べて――先のことはそれから考えましょう」
原作知識というある程度の支柱があった私でさえ、最初は不安ばかりだったのだ。
手探りで進むしかない彼に少しでも安心を与えられたのなら。
聖魔のオラトリオのファンとしてではなく、1人の人間として純粋にそう思う。
「ああ……。でも、男の子としては甘くないものも欲しかったかしら」
そう笑う。
設定を思い返す限り、ソーマは甘味が苦手という事実はない。
ただ年頃の男子高校生としてはもっと塩味の利いた食事のほうが良かったのだろうか。
そんなことを思いながら。
「男の子って……多分ですけど、僕たちってそんなに年は変わらないんじゃ……」
「……レディに年齢の話は禁句よ」
「す……すみません」
余談だが、ソーマは向こうの世界で高校3年生。18歳だ。
そしてエレナ=イヴリスも成人の儀を迎えた18歳。
同い年という彼の見立ては間違っていない。
少なくとも表面においては。
しかし肝心の中身は――
(体は同い年でも、中身はアラサーなのよねぇ……)
なんだか悲しくなってくる。
一回りとまではいかずとも、半周くらいは年上なのだ。
姉弟としても『年が離れた』という枕詞がつくくらいの年齢差だ。
なにせギリギリとはいえアラサーに数えられる年齢帯に入ってしまっているのだから。
いや、これは四捨五入という考え方が悪いのだ。
五捨だったらまだセーフだったというのに。
「これ、不思議な食感ですね」
内心で悲しみに打ちひしがれていると、そんな言葉が私を現実に引き戻した。
ソーマはショートケーキの外周に配置されていたマカロンを口にしていた。
(聖魔のオラトリオの食文化が、現代とほとんど変わらなくてよかったわ)
もし食事情がリアル中世だったり、魔族領の食事がゲテモノのオンパレードだったら気が狂っていたかもしれない。
このあたりはゲームや小説にありがちな、中世風な世界観で助かった。
風呂や食事がきちんとしているのはありがたい。
(って、せっかくなんだから私も楽しまないとね)
このままソーマを見つめていたら、自分が不審者になってしまったような気分が湧いてきそうだ。
私は視線を目の前のケーキへと戻す。
やわらかなクリームにフォークを沈めたとき――
「きゃっ……!」
足元に激しい揺れが襲ってきた。
反射的に手放したフォークが床へと落ちた。
震動が伝播してガラス窓がガタガタと鳴っている。
突然の出来事に私は椅子から動くこともできず、事態の収束を待つことしかできなかった。
(何が起こったの……!?)
どうやら揺れは単発的なものだったようで、10秒と経つことなく揺れはおさまった。
揺れが続かないことを少しずつ理解したおかげが、高鳴っていた心臓も正常な鼓動を取り戻してゆく。
「大丈夫ですか!?」
焦った様子でソーマが立ち上がる。
「え……ええ」
駆け寄ってきた彼に、私は少し動揺を残しながらも頷いた。
「よかった……」
安堵の息を吐くソーマ。
さすがに彼もこの事態に戸惑っていたらしい。
そうして一番に心配するのが自分ではなく私というのは、まあ彼らしいというべきか。
「地震……じゃないわよね」
おそるおそるそう口にする。
そもそも、こちらの世界に地震という概念はあるのだろうか。
作中に描写がなかったため断定できない。
それに衝撃こそ強かったものの、地震のように長く続くタイプの揺れではなかった。
むしろ近くで爆発の余波を受けたような。
そういうタイプの揺れだったように思える。
(そういえば……部屋が薄暗い?)
動揺で気付くのが遅れたが、なぜか部屋が少し暗い気がする。
停電かと思うも、天井にある照明は先程までと変わりない。
消去法的に窓へと目を向ける。
そこにあったのは――
(あれは……氷?)
これまで日が差していたはずの窓には影がかかっていた。
ガラス越しに見えるのはクリスタルのような結晶の塊だ。
透明な氷塊は津波のように空へと突きあがっており、窓から見える景色すべてを占領している。
(さすがに自然現象じゃないはずだし、魔法なのかしら)
もしいきなり氷が発生するような特殊な災害があるのなら話は別だけれど。
普通に考えれば、誰かが魔法で氷を生み出したと考えるべきだろう。
(魔法は生活にも使われるはずだけど、この規模は明らかに――)
水や火を起こせるのだ。
魔法が生活に役立つことは簡単に想像がつく。
しかしこの規模で魔法を行使したとなると、明らかにそれは戦闘を視野に入れたものであるはずで。
もしそれがこんな至近で行われていたのなら――
「なっ……!?」
直後、窓ガラスが破壊された。
ガラス片が部屋に散乱する。
そう、ガラス片は『室内』に飛んできた。
つまり――窓は外側から破壊されたのだ。
「あれは――」
窓を破壊したのは、黒マントを羽織った人物だった。
背丈から考えて男性。
その装いは、アンネローゼ毒殺未遂イベントで対峙した黒装束の男を彷彿とさせる。
とはいえ目の前にいるのは別人だ。
彼ほどの圧迫感はない。
しかしその雰囲気は彼ほどでないとはいえ殺気を含んでおり、彼が戦う側の人間であることを嫌でも理解させてくる。
(まさか……)
氷の出現と同時にここへと現れたのなら、戦闘の余波による偶然とも思える。
だがこのタイミングから考えて、意図的に彼はここに入ってきていた。
(襲撃……!?)
そんな言葉が脳裏をよぎった。




