第15話
「ふっ、はぁっ!」
ソーマが両手で木剣を握り、無心に振り続けている。
彼の吐息と、剣が風を裂く音が聞こえる庭園。
私は椅子に腰かけ、その光景を眺めていた。
(たしかソーマって、この世界に来るときに勇者としての素質をインストールされているのよね)
――ソーマがこの世界を訪れて2日目。
記憶がないという事実に焦りを感じたのだろうか。
彼は今日、剣術の練習がしたいと言い出した。
つまり、彼が剣を握るのは初日のはずなのだが。
(素人でも、彼の剣がどんどん鋭くなっているのが分かる)
私は別に剣道に興味があるわけでも、まして実戦的な知識を持つわけでもない。
だけど明らかにソーマの剣技は上達を見せていた。
最初は剣を振るう勢いに体が引っ張られていたというのに、今はスムーズに剣を振るい続けている。
どう考えても異常だ。
どんな技術も、こんなにすぐに身につくことはない。
(どうせなら、私もそういう才能を持ってこの世界に来たかったわ……)
私は内心で嘆息する。
ソーマは勇者として魔王を討つためにこの世界へと召喚された。
そのため、彼が役割に沿って行動する限り、運命が全力で彼を応援する。
剣を振るえばすぐに上達し。
――その剣を魔王に振るえば、実力差を覆す奇跡が起きる。
それが女神に祝福された存在なのだ。
どう考えても女神に嫌われていそうな私とは大違いである。
もっとも、彼の宿命を想えば軽々しくうらやむべきではないのだが。
「ソーマさん!? ここにいらっしゃったんですか!?」
そんな思考を断ち切ったのはリリの声だ。
彼女は息を弾ませながら城のほうから走ってくる。
「あ……リリさん」
彼女の声にソーマが手を止めた。
彼の額には薄く汗がにじんでいるのみ。
さすが男子――といいたいところだが、これはおそらく勇者の才能の一部だろう。
ゲーム風に言うのなら、体力のステータスが上方修正されているというべきか。
軽く1時間近く剣を振るっていたのに、それほど疲れているようには見えない。
「記憶も戻っていないのに、安静にしておいたほうが……!」
「あはは……ごめん」
心配するリリ。
ソーマは申し訳なさげに頭をかく。
――彼の記憶喪失は、世界を渡ったことによる反動だ。
だがそんなことを知っているはずもなく。
頭に異常を抱えているかもしれない状態の彼を心配するのは当然なのかもしれない。
「だけど、もうちょっとだけ続けていいかな?」
眉を下げ、ソーマは手元の木剣を見つめる。
「剣を振っていると、なんとなくワクワクするんだ」
困ったような表情を浮かべつつも、そう語る彼の口元は微笑んでいた。
「案外、記憶を失くす前から剣を振っていたのかもしれないね」
思い出せない過去を思い返すように。
どこか遠い目になるソーマ。
剣に引かれる心。
それが、失われた記憶の糸口になると考えているのだろう。
(あの年頃の子供としては、ファンタジーな世界に来たらテンションも上がるわよね)
彼が剣に対して感じている興奮。
それはいわば、ファンタジー世界が現実化したことへの喜びだ。
日本での記憶を持たない彼には分からないことだろうけれど。
(このあたりは、普通の男子高校生って感じよね)
聖魔のオラトリオReverseにいる2人の攻略対象には多くの対比が隠されている。
魔王と勇者。
超然的な力を持ち、超然的な精神を持つリュート。
一方で、ソーマは超然的な力を与えられつつも等身大の精神を持った人物として描かれている。
悩み、苦しみ。
迷いながら歩いてゆくキャラなのだ。
個人的に、私はリュート推しである。
だが現実で対面した時、身近に感じることができるのはソーマだろう。
「ねえリリ」
再び剣の訓練へと戻ってしまうソーマ。
そんな彼を見つめているリリへと歩み寄る。
「はい?」
「彼のこと、どう思う?」
「どう、ですか?」
小首をかしげるリリ。
私がソーマの動向を観察していることもあり、リリも比較的だが彼と接点が多い。
そのため、彼女がソーマにどんな印象を抱いているのかが気になったのだ。
「たとえば……その、格好いいだとか」
「え?」
原作の修正力。
こういう、原作のある世界にまぎれこんだときに頻繁に語られる理論。
未来を変えようとしても、結局は原作の流れに収束してしまうという論法。
それはきっと、この世界を生きている人に対して冒涜的な思考なのだろう。
だけど、やはり気になってしまうのだ。
シナリオという運命が存在したこの世界は、そのルートを外れることがあるのかと。
「顔立ちは整っていらっしゃると思いますけど。特にそういう感想は――」
「…………そう」
なんというか、リリの返事は普通だった。
なんの動揺もなく、しいて言うのなら少し戸惑いの感情が見える程度。
もし一目惚れなんかだったら、もっとわかりやすい反応をするはず。
好感度はプラスにもマイナスにも振れていない。
そんな塩梅だろう。
(今のところ、そこまで好感度が高いわけではないのかしら……)
とはいえ、リリがソーマに恋心を抱いたのはそれほど早くない。
彼女が彼に向けていた優しさも、当初はただ記憶を失って困っているであろう彼に対する献身でしかなかった。
――それがこれから、恋心に変わってゆく可能性もあるのだろうか。
☆
「…………そう」
そんなエレナちゃんの言葉を聞いたとき、私――リリ=コーラスは思いました。
彼女の言葉に宿っていた安堵。
そう安堵なのです。
私の経験では、この反応に込められる感情はおおむね2種類。
恋愛話に発展しなかったことを残念がるパターン。
そして――相手が恋敵でなかったことに安心するパターン!
(まさか、一目惚れというやつでしょうかっ!?)
思えば、昨日からエレナちゃんはどうにもおかしなことばかりです。
落ち着かないというか、なにか考え込んでいることが多いのです。
(そういえば、ソーマさんを最初に見たときから様子がおかしかったような)
あえてキッカケを探すのであれば、それはソーマさんが現れたことでしょう。
それに、エレナちゃんの行動は彼に対してだけ異常性を見せるのです。
(さっきまでだって、ソーマ様が剣を振るうのを静かに見つめていて……)
今回の件にもそれが現れています。
エレナちゃんはどちらかというとインドア派で、城でやることといえばお茶会や読書です。
なのに今回、彼女はソーマさんが剣の訓練をしているのを見ていた。
正直、エレナちゃんにとって面白いものではないはずです。
なのに彼女の表情にはつまらなさどころか、どこか真剣ささえ見えました。
(これはもしかして、私がソーマさんを好きになることを警戒しているということですか!?)
そこから導き出される結論。
それはエレナちゃんがソーマさんに恋心を抱いているというアンサー。
私はエレナちゃんのお世話をするように魔王様から申し付けられています。
つまり、エレナちゃんがソーマさんと一緒にいようとすれば、必然的に私も彼とすごす時間が増えてしまう。
それこそお邪魔虫のごとく。
そのことに彼女は危機感を覚えたのではないでしょうか。
至ってしまえば、次々に埋まってゆく思考のピース。
なぜすぐに察してあげられなかったのか、友人として恥じ入るばかりです。
「え、エレナちゃんっ!」
気が付くと、私はエレナちゃんの手を取っていました。
真剣な表情で、それでいて祝福の意味を込めた笑顔で。
私は彼女の瞳を覗き込みます。
「?」
どこか困惑した様子のエレナちゃん。
だけど大丈夫です。
リリは、ちゃんと事情を把握いたしましたので!
「応援、してますからっ」
このリリ=コーラス。友達の恋路を邪魔するような恥知らずではありません。
むしろエレナちゃんには幸せになって欲しいと思っているのです。
協力を惜しむ理由なんてありません。
「………………はい?」




