第14話
唐突に魔王城へと現れたソーマ。
意識のない彼は、すぐに空室のベッドへと運び込まれた。
「特に怪我もないそうなので、じきに目を覚まされると思います」
「そうですか……」
リリの言葉にひとまず安心する。
原作ではたしか、いつも通りに庭園で剪定作業をしていたリリが倒れているソーマを見つけるのだったか。
まさか空からいきなり降ってくるとは思わなかった。
もしあの落下がイレギュラーで、思わぬダメージをソーマが負ってしまっていたら。
そんな不安も杞憂だったようだ。
(もう1人の攻略対象……ソーマ)
ひとまずの不安が消えたことで、私は思いをはせる。
目の前にいる少年はいわゆる攻略対象。
リリと恋仲になる可能性を持った人物だ。
(聖魔のオラトリオReverseにはリュートを攻略する『魔王ルート』と、ソーマを攻略するルートがある)
聖魔のオラトリオは人類の命運をかけ、聖女が魔王と戦う物語。
続編も相応にスケールの大きな話となっている。
しかも攻略対象が魔王。
そうなれば、もう一方の攻略対象は――
「リリ」
「はい?」
リリは小首をかしげている。
「彼のこと、どう思う?」
「?」
リリの頭上に疑問符が浮かんだ。
まあ、さっきの質問はあまりに言葉足らずだった。
私の聞きたいことが伝わるわけもない。
「……やっぱりいいわ」
だけど、わざわざもう一度問い返す気にはなれなかった。
彼のことを好きになってしまいそうかなんて、初対面の相手に対して聞くことでもない。
それに、万が一。万が一だ。
もしもリリがソーマに一目惚れをしてしまっていたとして。
それを聞いてどうなるのか。
それを聞いてなお、私は――
(ソーマのルートは、通称『勇者ルート』)
魔王と対局の存在。
それは勇者だ。
聖女と同じ、魔素を浄化する力を持った存在。
そして――魔王を殺すことを運命づけられた存在だ。
(彼は魔王を殺すために異世界から――日本から召喚された勇者)
ソーマが着ている学生服は、決してコスプレなどではない。
彼は日本で普通の男子高校生として日々をすごしていたのだ。
(だけど、この世界に来たばかりの彼は記憶を失っている)
それを彼が自覚するのはシナリオの終盤。
彼はそれまで謎の来訪者として、戸惑いながらも魔族領での生活に適応してゆく。
(そんな彼は、記憶を取り戻すために寄り添ってくれたリリに恋をするわけだけど――)
だが、彼の記憶は戻ってしまう。
記憶とともに、魔族を滅ぼすという役割も呼び覚まされてしまう。
優しさゆえに献身的に接していたリリの振る舞いが、結果として魔族滅亡の引き金を引いてしまうのだ。
(彼のルートに入ってしまうと、魔族は滅亡する)
ソーマとともにリュートを殺し、魔族を滅ぼすか。
リュートとともにソーマを殺し、魔族を存続させるか。
そんな決断を迫られることとなる。
それが聖魔のオラトリオReverseの2つのルート。
(そうしてリリは、ソーマと一緒に日本で生きていくことになるのよね)
ソーマルートを進んだ場合、役割を終えて元の世界に帰ってゆくソーマとともにリリは世界を渡る。
そうして今度は、日本で2人は一緒に生きてゆくのだ。
(魔族は、生きているだけでこの世界を穢していく)
魔族は魔素を宿し、土地や生物を汚染してゆく。
生きているだけで、世界を魔族しか生きられない土地に変えてしまう。
だから聖女や勇者が定期的に現れ、間引かれる。
魔族は根本的に、世界から祝福されていない存在なのだ。
(だからって、滅びて当然なんて思えない)
リリが魔族としての特徴を持たないから虐げられたように。
そんな風に生まれたことそのものが悪だなんて言いたくない。
魔族として生まれたことが、世界から愛されない理由だなんて言いたくない。
(だけど、もし勇者ルートを阻止するとしたら……)
だがそれは理想論。
原作のシナリオにおいても、魔族がまき散らす魔素の問題は解決しなかった。
できることは、あくまで選ぶだけ。
誰と生きるか。誰を殺すか。
魔族を存続させるため、勇者という役割を押し付けられただけの少年を殺すのか。
勇者と寄り添い生きるため、魔族を穢れた存在として殺すのか。
選ぶことしかできなかった。
「ん……」
そんな思考の渦を断ち切ったのは、ソーマの声だった。
彼は身じろぎをして、ゆっくりと目を開いた。
「あっ。目が覚めたみたいですっ」
リリはベッドに駆け寄り、彼の顔を覗き込む。
「おはようございますっ。体の調子はいかがですかっ? 痛いところはありませんかっ?」
明るい調子でリリが呼びかける。
しかし事態があまり理解できていないのか、ソーマは左右に視線を走らせている。
「ここは……どこなんだ」
「ここは魔王城ですよ?」
頭を振りながら身を起こすソーマ。
彼の疑問にリリは答えた。
魔王城。
彼女にとっては当然で、日本にいたソーマには聞き馴染みがないであろう答えを。
「ま、魔王……?」
ソーマが怪訝な表情を浮かべる。
たとえ記憶を失っていても、潜在意識が違和感を覚えたのだろうか。
「あっ。お水を持ってきますね」
そんな彼の反応を気にとめず、リリはせわしなく動き始める。
手早く水差しからコップに水をそそぐと、彼女はコップをソーマに手渡した。
「……ありがとうございます」
少ししゃがれた声でソーマが感謝を述べる。
先程まで意識がなかったのだ。
喉が渇いているのも当然だった。
「……ふぅ」
喉を潤したことで一息ついたのだろう。
ソーマが大きく息を吐きだし、口元を拭う。
「ありがとうございます」
「いえいえっ。お気になさらずっ」
頭を深々と下げるソーマ。
一方でリリは恐縮したように手をぶんぶんと振っている。
それを見て、再びソーマが頭を下げる。
するとリリが……と、これではまるで永久機関だ。
「えっと……気分はいかがですか? 意識ははっきりしてますか? 目がかすんでいたりなんてことは……」
以上のやり取りが数回ほどループした後。
落ち着きを取り戻したリリがそう尋ねる。
「えっと……たとえば、倒れる前の状況とか……名前とか……きちんと思い出せますか?」
メイドとして働いているリリだが、さすがに怪我人の対処には慣れていないのだろう。
リリはたどたどしく問いかけていた。
そんな彼女の言葉を受け、ソーマは少し神妙な表情を浮かべる。
「僕は……ソーマ」
ためらいがちに口から出てきたのは彼の名前。
「……すみません」
しかし、名字を彼は語らない。
「それ以外のことは、なにも分かりません」
隠しているのではない。
覚えていないのだ。
ソーマ。
その名だけが、この世界に来た彼に残された記憶。
言語といった知識――いわゆる意味記憶は最低限。
そして、家族や日本での思い出――つまりエピソード記憶は皆無。
限りなく透明で、勇者という役割を遂行するために選出された器。
それが彼なのだ。
「それって……」
リリの表情がくもる。
彼女も、ソーマの言葉で彼に起こった事態を理解したのだろう。
重くなる部屋の空気。
それを離れた場所から、私は見つめていた。
(ソーマ。本名は有明蒼真)
有明蒼真。
彼が日本の男子高校生として暮らしていたときの名前だ。
(記憶を取り戻さない限り、彼は勇者として覚醒しない)
だけど、その名前を教えてあげることはできない。
彼が本当の名前を取り戻したとき、彼は勇者として覚醒するから。
そうなってしまえば、彼に許されるのは2択。
魔王を殺すか。
役割を放棄して、死ぬか。
勇者としての役割を与えられた彼は、戦えば必ずリュートに勝てるように運命が味方する。
勇者としての役割を与えられた彼は、役割を放棄すれば運命に粛清されて命を落とす。
――1つだけ、ファンの中で考察がある。
勇者として覚醒するのが、記憶の復活と連動しているのなら。
彼が記憶を失ったままでいたのなら、魔王と勇者の――命を奪い合う運命は動き出さないのではないか。
どちらかの死を許容しなくてよかったのではないか。
そんな考察があった。
(勇者ルートは絶対に阻止しないと)
彼の思い出をすべて遠ざけ、奪い去る。
そんな残酷な決断だけが、リュートとソーマが殺し合わずに済む唯一の希望だった。




