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第101話

 どれだけ時間が経ったのだろうか。


 意識がはっきりしないせいで、途方もない時間が経った気がする。


 それでも私が死んでいないということは、まだそれほど時間は経っていないのかもしれないという気もする。


 そんな雑念じみた思考が脳裏で回っている中。


「エレナちゃん!」


「エレナさん!」


 声が聞こえた。


 泣きそうな表情のリリが。


 見たことがないほど緊迫した表情のユリウスが。


 私の前に現れた。


「ようやくか……」


 息を吐くロイ。


 心なしか安堵しているように見える。


 ――というのは私に都合の良い妄想なのかもしれないけれど。


「……ロイ」


 静かに視線を交わすユリウスとロイ。


 しかし先程までの物騒な空気はそこにない。


 その一因は間違いなくロイだろう。


 彼はどこか気の抜けた雰囲気のまま立ち上がる。


「……邪魔をする気はない。治療をしてやってくれ」


「ありがとうございます」


「……礼を言われるようなことじゃない」


 そう言って彼は私から離れた。


 ユリウスたちのスペースを確保するためだろうか。


 彼は崖のくぼみから出ていく。


 いや、なんとなく少し違う気がする。


 ロイは空を見上げ、降り注ぐ雨に濡れていた。


 その姿は憂いに満ちていて。


 こんな状況でなければ見とれてしまっていたかもしれない。


「ぅ……」


 うめき声が漏れた。


 実のところ、少し前から声が出なくなっていたのだ。


 意識はかろうじて残っている。


 だが、確実に体が死に始めているのだ。


 痛みがなくなってきたのがかえって恐ろしい。


「急がないといけませんね」


「絶対に治しますからねっ!」


 だがきっと問題はないのだろう。


 なにせここにはこの2人がいるのだから。


 聖女と共に皆を癒して人間を救った英雄と。


 世に知られることなく生まれ落ちた聖女が。


 この2人に治せない人間がいるとしたら、それはすでに命を落としたものだけだろう。


(これで……たすか……)


 張り詰めていた緊張の糸が切れたのか。


 安心感に身を任せて私は意識を手放した。







 次に私が目を覚ました時、すでに雨はやんでいた。


 まだ地面が濡れていることから、さすがに数日も昏睡していたというわけではないはず。


 それでも短くない時間眠っていたらしい。


「う……」


 脇腹がじくりと痛む。


 怪我が治っても、その痛みの残滓が傷の深さを如実に語る。


「目が覚めたのか」


 私のうめき声が聞こえたのだろう。


 私を守るように周囲を警戒していた人物がこちらを向いた。


 彼――ロイと視線がつながる。


 そこにはもう激情の影はない。


 ただどこか覇気のない表情で彼は私を見つめていた。


「…………」


 そのままロイはすくりと立ち上がる。


 彼は振り返らずにこの場を立ち去ろうとして――


「おや、彼女が目覚めるまで見守っていたのに、もう帰られるのですか?」


 ――近くで待機していたらしいユリウスに呼び止められた。


 ロイは立ち止まる。


 振り返ることなく。


「……魔女の死亡確認のため残っていただけだ」


 そんなロイの声に力はこもっていなかった。


 ひどく疲れているような声。


 それはきっと体以上に心に堆積した疲労なのだろう。


「彼女が生きていると分かった以上、殺したほうがいいのではないですか?」


 さっき一命をとりとめたばかりなのだ。


 なんでもなさそうな表情でそんなことを言わないで欲しい。


 そんなことだからエルフから見ても人間から見ても変わり者だと言われるのだ。


 そう言いたかった。


「……この状況で殺せるわけがないだろう」


「……そうですか」


 ロイの答え。


 それを受け、ユリウスは微笑みを漏らす。


「お一人で帰られるのですか? 元々は、私を聖王国に連れていくために来たのではないですか?」


 そのまま去ろうとするロイの背中にユリウスは問う。


 元はと言えば、ロイがここを訪れた理由として考えられるのはユリウスを探すため。


 そしてリュートを殺すための助力をしてもらうためだと考えるのが自然だ。


 ここにユリウスがいる以上、彼がこの場を去るのはおかしいのだ。


「そうだな。最初はそのつもりだった」


 ロイが懐から取り出したものは書簡だった。


 しかしそれは血に濡れていて読めそうにもない。


 ……きっと、私を応急処置のため抱きかかえたときに汚れてしまったのだろう。


 あの日、あの瞬間だけは。


 ノアから託されたであろう書簡の存在を忘れて、私を助けようとした。


 そんな風にうぬぼれてもいいのだろうか。


「だが、あくまで俺の任務はお前にこれを渡すことだけだ。共に聖王国に向かうことも、同行者を殺すことも任務の範囲外の話だ」


 ロイは書簡をユリウスの胸板へと乱暴に押しつける。


 まるで拗ねた子供のような。


 そんな態度が面白かったのか、ユリウスは微笑みを浮かべたままそれを受け取る。


「これを渡した時点で俺の任務は終わった。ならば城に帰るのは当然の話だろう。安心しろ。お前の同行者について報告するつもりはない」


 無理にユリウスを連れて行きもしない。


 私が聖王国を目指していることもノアに伝えない。


 それはきっと、ロイが取りうる最上級の譲歩だった。


「……ロイ」


 そんなことはユリウスのほうがよく分かっているのだろう。


 彼は複雑そうな、それでいてどこか嬉しそうな表情をしていた。


 そんな彼を一瞥することもなくロイは背中を向けて去ってゆく。


「ありがとうございました」


 喉が渇いてうまく声が出ない。


 それでも私は、ロイの背中にそう伝えた。


 あのとき、彼が行動を起こさなければ間違いなく私は死んでいた。


 どんな心情による行動だったのかは、私では正確に読み取れない。


 それでも彼は私の命を救ってくれたのだ。


「……元を正せば、俺を庇って負った傷だ」


 ぼそぼそとした返事。


「それでもです」


 それに私は笑顔で答える。


「…………」


「?」


 沈黙。


 何かを言うわけでもなく、しかし立ち去るでもなく。


 そんなロイの様子に私は首をかしげる。


 再び彼が話し出したのはそれから数秒経ってからのことだった。


「人間と魔族が憎み合う世界の在り方を変える……か。途方もない話だ」


 彼は背を向けたまま、空を見上げている。


 空は灰色の雲に覆われている。


 だが、雨は降っていなかった。


 きっとこれから晴れるのだろう。


「……エレナ=イヴリス。俺はお前が嫌いだ」


 彼はそう告げる。


「魔族を滅ぼすべきという考えに変わりもない」


 再確認するように。


「だが、お前の行動が巡り巡って、俺は死に向かうお前を助けなければと思わされた」


 それは肯定だった。


 私の行動を肯定する言葉だった。


 たった1人。


 数万、数億と繰り返された確執の中のたった1つ。


 それでも確実に、




「戦争を、種族を語るにはあまりに小さな規模の出来事だ。それでもこれがきっと……お前が目指す未来の片鱗なのだろうな」




 ほんの少しだけ、世界が変わったことを示す言葉だった。

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