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第100話

「お前……その傷はどうした……?」


 茫然とロイが問いかけてくる。


 視界の端、私の脇腹から流れ出した血液が水に溶けているのが見える。


 そうやって命がとめどなく流出してゆく。


 ――正直なところ、私も事態を完全に理解しているわけではない。


 骨の手に包まれ、落下の衝撃そのものは相殺できていた。


 ただ落下の直前、なにかに脇腹を貫かれたのだ。


 おそらく枝かなにかが斜面から伸びていたのだろう。


 それが骨の手の隙間を通り、私の脇腹を貫通したのだ。


 しかしそれで落下の勢いが止まるわけもなく。


 脇腹を抉られながら、私は地面に叩きつけられたのだ。


「まさか、自分の身も満足に守らずに俺を庇ったのか……?」


「一応……大丈夫な予定だった……げほ……ですけど」


 口から血がこぼれた。


 視界がかすんで、ロイの表情もよく見えない。


(これ絶対に内臓が駄目になってるわよね……)


 医学の知識があるわけではない。


 ただこの吐血が、口の中を切ったことによるものでないくらい分かる。


 当然の話だが、人間の腹の中には内臓が詰まっている。


 腹に穴が開いた時点で、どこかの内臓が損傷しているのはあきらかだった。


(やらないといけないことが、まだたくさんあるのに……)


 迷って迷って。


 ようやく生きる道を決めたのに。


(死ぬときって、こんなあっさりなんだ……)


 この世界がゲームと酷似していたとして。


 この世界に変えられないシナリオなんてなくて。


 まして、私は世界の中心人物なんかじゃない。


 明るい未来にたどり着けるように世界から守られるような人間じゃないと分かっていたけれど。


 まさかこうも簡単に終わりが来てしまうだなんて。


「……エレナ=イヴリス」


「ぁ……」


 耳元でぴしゃりと水音が鳴る。


 どうやらロイが膝をついているらしい。


(やば……意識が飛びそう……)


 ただ彼がなにをしているのかを確認することはできないけれど。


 もう視線を動かすことさえ億劫なのだ。


「あの時とは逆だな。俺は無事で、お前は死にかけている」


 彼は語る。


 彼が密偵として魔族領に潜入したときのことを。


 脱獄した彼を、私が追いかけたときのことを。


「そしてあの日、お前は殺せたはずの俺を見逃した」


 あのときは覚悟が足りなかった。


 魔族のために彼を殺すという選択がどうしてもできなかった。




「――ここでお前を殺したら、俺はもう……自分で自分を騎士だと名乗れない」




 ぽちゃり。


 温かい雫が私の頬に落ちた。


 たった一滴。


 それは無数に降り注ぐ雨の中でもかき消されることなく、私に熱を伝えた。


「このまま雨に濡れているのはまずいか」


 ロイの手が私の体に回される。


 できるだけ体を揺らさないよう。


 そんな動作で私の体が運ばれてゆく。


 運ばれた先は壁面にできたくぼみだった。


 決して大きなスペースではない。


 しかし近場で、雨に打たれずに済む唯一の場所だった。


「この程度では気休めにしかならないだろうが」


 ガサガサと音がする。


 ロイが懐から何かを取り出している。


「染みるだろうが我慢しろ」


「ぃぐっっ……!?」


 朦朧とした意識では彼の言葉の意味を理解できない。


 しかし、嫌でもその意味は脇腹の激痛が教えてくれた。


 詳細は分からない。


 だが、おそらく薬湯のようなものを患部にかけられたのだろう。


 ……それもかなり染みるタイプの。


 おかげで意識が少しはっきりしたけれど。


「今の状態で気絶したら間違いなく死ぬぞ。それが嫌だったら絶対に意識を手放すな」


 ロイがそう必死な声で語りかけてくる。


 きっと彼の言う通りなのだろう。


 今の私は虫の息だ。


 一度でも意識が沈むことを許してしまえば、もう戻っては来れない。


「おそらくユリウスがこっちに向かっているはず。それまで、なんでもいい。とりあえず何か話し続けろ」


 なんというか、ひどい眠気に襲われている。


 きっとこれは眠気ではなく死の気配なのだろう。


 分かっているが、どうにも抗いがたい。


 体が求めているのだ。


 死を。


「ああ、クソっ……! お前と話すような話題なんてロクに浮かばん……!」


 苛立ったロイの声が聞こえてくる。


 そんな悠長なことを考えるような状況でないことは分かっている。


 だが、なんとなくおかしかった。


 まさか彼が私のために必死になっている場面に出くわすとは想像もしていなかったのだ。


「ああ……この……! なんで俺を助けた! お前はそんな女じゃなかっただろうっ……!」


 ほとんど問い詰めるように彼は話しかけてくる。


 いつもだったらその剣幕に怯えていたかもしれない。


 だが、不思議と気持ちは穏やかだった。


「嘘みたいに……聞こえるかもしれないけど。やっぱり、私にとって人間も魔族も……同じくらい大事なんです。魔族の側に立って、この世界を生きると決めた今でも」


 たしかに、あのときロイを助けるという選択をしなければ。


 骨の両手を、すべて自分を守るために使っていれば。


 こんなことにはならなかったのかもしれない。


 なら、後悔しているのか?


 答えは否だ。


「ならばなおさら……俺を庇うべきじゃなかったッ……! そのせいで今、お前は何も為せないまま死にかけているだろう……!」


 ロイの言うことももっともだ。


 合理的な判断だとはいえないだろう。


 魔族のことを真に思うのなら、ロイのことなど捨て置くべきだった。


 それが正論だ。


 だけど、私にだって言い分はある。


 ――あの日、私はロイを殺せなかった。


 そのときは、魔族のために彼を殺すという覚悟が足りなかったから。


 だが、今度は違う。


 殺すという覚悟ができなかったから助けたんじゃない。


 ――死なせないという覚悟があったから助けたのだ。


「魔族の側に立っているから、人間は助けない。それじゃあこの戦いは……人間と魔族が憎み合う世界の在り方は変わらない……そう思うから」


 今の私が目指そうとしている未来。


 人間と魔族のどちらも滅ぶことなく続く未来。


 そこには、敵だから殺してもいいという考えでは届かない。


 そう思うのだ。

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