夜の森に潜む次元獣との遭遇
ケンは無言のまま、ブレスのカバーを跳ね上げた。
カチリ、という硬質な音がケンにとって、平穏な日常に亀裂を入れる合図のようにも聞こえる。
カバーの下から現れたのは、高精細なホログラムを投影する四角型のモニターだ。
青く光るグリッド線が空間に浮き上がり、レーダーが高速で円を描いてスキャンを開始する。
「……っ」
生唾を飲み込み、ケンの指先が操作パネルをなぞると、グリッドの上に幾つかの光点が浮かび上がった。
中央で青く輝く三つの点は、自分たち――タケル、ケン、モンタの現在地。
―――そして。
「……いた!」
タケルが息を呑む。
自分たちの光点からわずか数百メートル。ホテルの敷地の端、生い茂る熱帯の木々が闇を作る斜め森の一角に、脈動するような禍々しい赤い点が静かに鎮座していた。
「間違いない。"次元獣"はここにいる…!」
ケンが画面を指差しながら、奥歯を噛み締めた。
「……なぁ、ケン。これ、他の反応はどうなってる?」
ケンは眉を寄せ、スキャン範囲を広げた。
「……ダメだ。レーダーに映るのは僕たちと、"次元獣"だけだ。ホテルの中にいる愛先輩も、翠さんも、他の観光客の人達も……生き物の反応が、ここには一切表示されないみたいだ」
「……どういうことだよ?」
タケルの問いに、ケンはモニターの数値を読み取りながら答える。
「この《ゾーンブレス》は恐らく、僕の推測だけど、索敵モードつまりは対次元獣用に特化して作られているんだよ。高度な技術でないと、こんな正確に"次元獣"が直ぐに見つかるなんてまず、作れないからね」
静まり返った豪華な客室。
つい先ほどまで、花見さんとメッセージをやり取りしていたスマートフォンの画面は、今はもう暗い。
窓の外に見える穏やかな夜の海も、今は巨大な怪物の口のように見えた。
「しゃあねぇ。行くしかないな!」
ケンが顔を上げ、二人を見据えた。その瞳には、先ほどまでの穏やかな余韻は一切残っていない。戦士の冷徹な輝きが宿っていた。
「だね!ここで指をくわえて待ってたって、愛先輩に被害が出たら一生後悔するもんね!」
モンタが拳を握り込み、自らの《ゾーンブレス》のカバーを開く。
「へへっ、せっかくのベッドで寝る夢は、"次元獣"をぶっ飛ばした後に持ち越しだな!」
タケルも不敵に笑い、同様にブレスを起動させた。
三人の腕で、三つのブレスが共鳴するように唸りを上げる。
座標は確定した。
座標は、ホテルの庭園を抜けた先にある斜めの森。
「座標固定。位相転送、開始!」
ケンの号令とともに、三人は同時にブレス中央の転送スイッチを押し込んだ。
――シュンッ!
空気が爆ぜるような音と共に、部屋の中の気圧が急激に変化する。
三人の体は一瞬で光の粒子へと分解され、豪華なホテルの一室には、脱ぎ捨てられた靴下と、半分閉じかけたリュックだけが取り残された。
―――数秒後。
「……っ、相変わらずこの感覚はまだ、慣れねぇなー」
タケルが湿った土を蹴って着地した。
そこは、ホテルのきらびやかな照明が届かない、鬱蒼とした森の中だった。
背後を振り返れば、ライトアップされた巨大なホテルが遠くに見える。だが、ここには波の音も、宿泊客の笑い声も届かない。
あるのは、不気味なまでの静寂と。
そして、鼻を突くような、焼け付くようなオゾン臭。
「ケン、レーダーの反応は?」
モンタが低い声で尋ねる。
ケンはブレスのモニターを確認し、前方の暗闇を指差した。
「こっち。座標と距離からしてこのまま、真っ直ぐ」
闇の奥、巨大なシダの葉が揺れる。
月明かりさえ届かない森の深淵でタケル、ケン、モンタの三人は慎重に歩いた。
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鬱蒼と茂る熱帯の木々。その巨大な葉が、わずかな夜風に揺れてガサガサと不気味な音を立てる。
ケンの《ゾーンブレス》から放たれる青い光だけが、三人の緊張した面持ちを冷たく照らしていた。
「……なぁ」
不意に、タケルが間の抜けたような、それでいて深刻な声を漏らした。
「なんだよ、タケル。今は索敵に集中したいんだけど」
「いや……すっげー大事なこと、今さら思い出しちまってさ」
タケルは片手に持ったスマートフォンの、お世辞にも明るいとは言えないLEDライトを見つめる。
「俺たちさ……出発前に、万が一のためにって100均で買った"LED懐中電灯"……。あれ、ホテルのリュックの中に置いてきたわ」
「ハァ〜〜…」
ケンの、魂が抜けるような深いため息が森の湿った空気に混ざる。
「あれ、わざわざ電池の予備まで用意したんだよね~…」
「わりぃ……。なんかリゾートの浮かれ気分で…」
「終わったこと言ってもしょうがないだろ! 」
ケンは額を押さえ、天を仰いだ。
「あ、モンタ、足元気をつけて。スマホのライト、なるべく低く構えて。光が漏れすぎると逆に見つかるから」
「了解……。でも、なんかこの森、変な臭いがするね」
モンタが鼻をひくつかせた。それは潮風の香りではなく、電子回路が焼き切れたような、鼻を突くオゾン臭だった。
「……ッ!」
突然、先頭を歩いていたケンの肩が跳ね上がった。
彼は無言のまま鋭いジェスチャーで、背後の二人に「止まれ」と指示を出す。
三人は息を殺し、近くの巨大なシダの茂みに身を沈めた。
「……何か、聞こえる」
ケンの囁きに、タケルとモンタも耳を澄ませる。
――チューチャッ……、クチャ……。
湿った肉を弄るような、生理的な嫌悪感を催させる音が、数メートル先の闇から聞こえてきた。
三人は顔を見合わせ、頷く。
意を決して、タケルが震える手でスマートフォンのライトをその音の方向へ向けた。
光の輪が闇を切り裂く。
そこで最初に照らし出されたのは、無機質なホテルの警備員の制服だった。
だが、その中身は見るに堪えないものだった。
皮膚は茶褐色に干からび、まるで数十年も砂漠に放置されたミイラのように萎縮している。生気を完全に吸い取られたその遺体の傍らには、落とされた警棒が空しく転がっていた。
「……うわっ」
モンタが口を押さえる。
そして、その遺体の奥。
背中を丸め、何かに貪りついている“影”がいた。
人型ではある。だが、その背中には異常なほど発達した棘のような突起が並び、不自然に膨らんだ筋肉が脈動している。
「…あれが…"次元獣"…?」
ケンの声が震える。直感が警鐘を鳴らした。
「二人とも、ゆっくり……ゆっくり下がるんだ。一旦離れて、いいか、音を立てるなよ」
タケルとモンタは必死に頷いた。
一歩、また一歩。
心臓の鼓動が、静まり返った森の中で爆音のように響いている気がする。
だが、運命というやつは、いつだって最悪のタイミングで牙を向くものだ。
「……よし、あと少し。モンタ、後ろに小さな枝があるから気を付け――」
ケンの警告が、あと一秒早ければ――
あるいは…。
―――パキッ!!!
乾燥した熱帯樹の枝が、モンタの体重で見事に真っ二つに折れた。
その音は、静寂に包まれた森の中で、まるでライフル銃の発射音のように響き渡った。
「――あっ」
モンタの顔が、文字通り土色になる。
「お、おまっ……! モンタぁあぁぁあぁ!?」
タケルが悲鳴に近い声を上げる。
「しっ、静かに! 刺激しちゃ――」
ケンの制止も虚しく。
ゆっくりと、貪り食う音が止まった。
屈んでいた“影”が、ギチギチという不快な関節音を立てながら、ゆっくりとこちらを振り向く。
ライトの光が、その怪物の全貌を暴き出した。
体表は、光を吸い込むような漆黒の皮膚。その上を、禍々しい紫色の燐光が血管のように走り、脈打っている。
そして顔の中央――。
巨大な、深紫色の双眸が、射抜くような鋭さで三人をとらえた。
「グオォォォオォォオォ……ッ!!!」
森全体を震わせるような、金属音を混ぜた雄叫び。
"次元獣"が立ち上がると、その身長は約180センチぐらい。
「……見つかっちゃったぁぁぁ!!!」
モンタが叫ぶ。
「当たり前だろ! どんなベタなミスしてんだよ!?」
タケルも叫び返す。
「口喧嘩してる場合か! 二人とも!逃げるよ!」
ケンの叫びと同時に、"次元獣"の脚が地面を爆ぜさせた。
黒い旋風が、三人の少年を飲み込もうと迫り来る。
「ちくしょう、100均のライトがあれば目潰しくらいはできたのに!」
「バカ! 今更言っても、もう遅いよ!」
タケル、ケン、モンタの三人は急いで迫り来る"次元獣"から逃げ走った。




