第7話 血、付いてるんだよそれ
「はぁ……はぁ……はぁはぁぁあひか……」
小川を越え、畑を越え、森に入る。肺がぜぇぜぇいって足はもう動きたくない。でもだめ、まだだめ、光はこの先に生きてるか死んでるかだめ。
ひゅーひゅーと喉が鳴いてる。顎が上がる。木の傘が近づいたり遠くに行ったり見える。手足が痺れる。動かしてる感じしない。でも光、光、あわな「……あっ」
つま先になにか当たって、スネが突っ張った。身体が浮いた。森の景色が上にあがる。倒れる。手の平に痛み。胸、お腹、ぐらんと揺さぶられた。顎を殴られて、骨に振動が伝わった。鈍いのが広がって、鋭い痛みになる。爪で土をエグッて、すぐに指は開いていった。
「いたぁ……い……なんでこんあ……」
震えた喉が鳴らしてるような声が出る。はぁ、ぁぁ、そんな音ばかりが聞こえる。顔が冷たい。会いたかった、ひかる、でもだめだぁ、もう、も――「い、稜月ちゃん?」
なにか音を聞いて、鼻が土を削り顔が上がった。見えるものがはっきりして、それを見る。中腰の女の子。膝に手をついて、眉を寄せて私を見ている、女の子。
「光っ!?」
両手をついて、身体を起こした。海老反りみたいな体勢で光を見上げる。本物だ、死んでない。うそ、奇跡、こんなことあるの、死んでない、幻覚、違う本物だって、絶対。
「ぁ、う、うん、えっとこんなところでなに……ていうか、大丈夫?」
私服だ。ハーフパンツにシャツに、麦わら帽子。白っぽい、死に装束? でも生きてる。ほんと?
「光、生きてるよね?」
「え、生きて……生きてないとか、ないと思うんだけど、んー、うーんと、あはは」
肌艶がある。目に光がある、瞳孔だって開いてない。
「はぁぁぁ……よかったぁ……」
背骨がぐにゅっと折れ曲がって、身体が萎れていった。
「んー……ん、うん?」
あぁ、私の光だあ。
ぴーひょろと変な鳥が鳴いていた。
起こしてくれるのを待っていたのに、光は手を出さなかった。ていうか、出しかけて引っ込めた。
腰の後ろに両手を隠して、光は聞いてくる。
「大丈夫? 立てる……かな?」
なんだろな、冷たい感じ。顔は心配してくれてるのに、身体は違う。ふうん、まあいいや。
立ち上がって、制服についた埃を払った。ずきっと右の膝下に痛み。擦りむいてる。小指をあてると、点みたいな赤い液体が付いた。
「うん、だいじょうぶ、なんとか」
眉をひそめて光はジロジロ観察してくる。目が合って、笑うと逸らされて、胸、腕、腰、脚、地図でも読んでるみたいに目が下がっていく。
右膝に気づいて、光は「あ」と口に出した。
パンツのポケットを探って、光は青く縁取られた白のハンカチを差し出してきた。
「これ使って、いいから」
上半身がぽかぁとあったまる。
光のハンカチ、こんなものまで持って、今日は死ぬつもりなかったんだ、取り越し苦労。上顎を緩い息が通り過ぎていった。
「ん、ありがと」
笑顔を作って光を一度見て、ハンカチを受け取った。片足を上げて膝を拭くと、白い布に血が擦れた。折りたたまれた真ん中に、切り傷みたいに刻まれてる。
血、私の血、これ光に、もらってほしいな。けど。
「洗って返す?」
右側の頬を軽く上げて、光は固まった。私の手元のハンカチと、私の顔とで視線がいったりきたり。最後は手の方で止まった。
「どっちでもいいけど……できれば」
「嫌なんだ、このまま返されるの」
「え、あ……いや、いや、そういうわけじゃないけど、稜月ちゃんが嫌かなって」
「えー、私のせいにするんだ、光ひっどーい」
唇に指を当てた。バウンドするような笑い声が漏れていく。
「ちがっ、違うの、稜月ちゃんが悪いとかじゃなくて、えっと……えと……ごめんなさい」
月見草みたいに光は萎れた。謝っちゃうんだ、そこで。へえ光だなあ。
「なーんてね、ちゃんと洗って返すから安心して。冗談、冗談」
「あ、あはは、手間だし、なんならそのまま捨てちゃってもいいんだけど……」
「あ?」
びくんと光の肩が跳ねた。瞳が小刻みに揺れ出す。あ、やば。
「そういえば、光はこんなところでなにしてたの? すっごーい偶然だね、まさか本当に会えるとは思わなかった」
「ほん……あー……ほら近所をお散歩みたいな、暇だったから、それだけ」
「ふうん……それで、この先でなにしてたの? なにかこっそりやろうとしてたとか、教えてよ友達なんだから」
胸の前で手を組んで、ちょっぴり背の高い光を見上げた。光はまた目を逸らす。
「なにかって言われてもなんにもないって、だから散歩、散歩」光はひょこっと顔を上げて、私に向き直った。「稜月ちゃんこそ……なんでこんな?」
「なんとなく、光がいるって思ったの。こっちの方に来そうだなーって探してたら、どんぴしゃってやつ? 凄いよね」
「へぇ……凄い、ね、あれ? でも学校じゃないの、今日、平日だよね」
そうだったな。光ってば意外と鋭い。うーん、なんだろうな、なんでもいいか。
「うん、でも休み。ね、ね、でそれでね、もぅ超嬉しくって、なんかね、ヤバいって、光も思うでしょ?」
「そう、だね、すごい偶然かも……昨日もあんなんだったし……」
枝葉の影で斑点模様の光は、斜め下を見て指でほおをかいていた。
ちゅんちゅんと雀かなにかの鳴き声が、聞こえていた。
「ね、このあと暇? いろいろ案内するよ、なんにもないけど、役所とか図書館とか、廃墟とか」
「廃墟」
しまった、って感じにすぐに口を閉じて、光は唇をもみもみしていた。
光は両手を合わせた。
「ごめんなさい、このあとおばあちゃんと約束があって、もう帰らないと」
「約束? なんの?」
光の目が同時に上を向いた。
「ぁ、お、お買い物とか、いろいろ、だから、ごめんね、ほんと」
「じゃあ、いつならいいの? 明日? 明後日? その次は? お買い物帰ってきたらは?」
「こ、越してきたばかりでまだ忙しくして、落ち着いたら連絡するから、じゃ、じゃあね!」
「あ」
光は私の伸ばした手をすっと避けて、左側を通って駆けていった。
「ちょっとぉ」
振り向くと背中はもうずっと遠くて。森に出来たトンネルみたいな道に、消えていった。
あっという間、逃げられた、てか足早っ。
ため息。なんか今日の光は普通だった。連絡って、知らないし、教えてないし。
絶対死のうとしてると思ったんだけどなあ。
「はぁ」
高い木の傘から、ちらちらと太陽が見えていた。




