第48話 私ばっかり光に気を使ってる
「お願い聞いてばっかり、その分、光は私になにをしてくれるの?」
「なにって……うーん」
喉を振動させているような、悩ましげな声が聞こえた。数秒間それが続いて、「あっ」と急に声が跳ねた。
「ご機嫌斜めな稜月ちゃんには、こういうのとか」
後ろで光がベンチの上を動いたのがわかった。腰と腰がぶつかって、布が擦れる。息遣いが耳に近いところで聞こえる。肩の上を腕が通っていって、背中が少し押された。
身体の前側にも腕が伸びてきて、光は輪っかで私を捕まえた。
またじんと痺れがやってくる。猫みたいに首筋に頬を擦り付けてから、光はささやいた。
「これでよかった?」
「よ、よくない、なに勝手に、急に、なんでそんな強気」
靴の中で足の指が暴れていた。もぞもぞして落ち着かない。つま先が浮いて降りて、腕立てみたいに上下運動している。
「ごめんね、ちょっとはしゃぎすぎちゃった。それで寂しかったんだよね」
「寂しいなんて……違うもん、ただ、デートなのに他のことばっかりで、だから、私は……わかってるのなら、もっと考えて」
「一緒にいられるだけで嬉しくて、テンション上がっちゃうんだ」
声が近すぎて、頭の中を舐められてるみたい。光、ひかる、こんな声、すごくいい。
「でもね」
光の息が、身体の中へ入ってくる。
「こういうことするのは、稜月ちゃんだけだよ」
また、頬を擦り寄せてきた。触れられるたびに、ぽぉーっと脳内の色が変化する。
光、す――馬鹿、意味不明、こんなことでなにかしたつもりなんて。
普通のカップルみたいじゃん。
「光の……ばか」
「もしかして痛くしちゃってる? それもごめんね、あんまり慣れてないから」
「別に……今は痛くない。けど……馬鹿は馬鹿だもん……ばか」
ミンミン鳴く蝉の声が、うるさくてたまらなかった。
箸を伸ばす。渦巻きのような卵焼きをかじる。出汁の風味が広がる。口の中でバラバラになる。
視線を感じる。すごい圧。まるで裁判のよう。
舌の上で転がす。ほんのり甘みとちょっぴりしょっぱさ。正反対のふたつが、いい感じにひとつになってる。味は……どうなんだろ。これはおいしいのかな。光のように涙を流したりなんてないけど、不味いってわけじゃない。わけじゃないけど、おいしいってどんなんだっけ。
時間をかけて咀嚼していると、光はやや上目遣いになった。
「どう、かな?」
ごっくんと飲み込んで、食道を通り抜けていく。いつしかそれの感触はどこかにいなくなって、お口には残響のような余韻だけがある。
箸を握ったまま、光を見つめる。不安そうにしてる、かわいい。こんな顔久しぶり。ちょっとじらそっかな、褒めたら良くないよね、またあのときみたいにしちゃおっか、ようし。
光の喉が動くのがわかった。口を結んで、息を止めて、私を見つめて、そんな光に、言ってあげる。
「……光んちの味がする」
つぶやくと、光は短く声を漏らした。
「えっ」
光の顔が鮮やかに色づいた。目をまん丸に見開いて、口の動きが頬を押し上げている。なにその顔、嬉しそうにしちゃ、って、あれ、今なんて。
「それって」
光が身を乗り出す。ベンチに手をついて、キスしたいのかってくらい近づいてくる。
「美味しかったんだよね!」
「そ、そこまでは言ってないし」
封印が解かれたみたいに笑顔と笑いが一斉に爆発して、光は口元に手を当てていた。目を閉じて、少し顔を下げて、「えへ」だとか「うふ」みたいな声を漏らし続けた。
「わたしにもできたんだ、ちゃんと。稜月ちゃん、ありがとう」
「たまに食べてるやつと同じだってだけなんだけど」
「いいの、それがいいの。あ、もっと食べてね、他のおかずも、稜月ちゃんの大好きなおむすびも、お腹いっぱい召し上がれ」
くねくねする光を見ていると、なぜか箸を咥えたくなった。
午後は、駅の方に戻って観光名所を回った。この街に初めて来た人がまず選ぶだろうなってポピュラーな場所。有名な城に、ガラスの美術館。
美術館の入口前で、光がスマホを構える。インカメラに写るのは、ピースしてる光と岩みたいな表情の私。最初の公園でも、お城でも同じことをしていた。これで何回目だろう。
中に入る。近代的な吹き抜け構造の建物。ウエハースみたいに階層が積み重なっていて、見上げているとめまいがしてくる。
展示物を見るまでもなく光は「わぁ……素敵」と言う。
エスカレーターの光は、キラキラした目で私を見下ろす。
「稜月ちゃんの地元、とってもいい場所だね」
「違う、全然地元じゃない。こっちに来たのなんて数えるくらいだし、ここも初めて」
「そうなんだあ。あ、でも良かったぁ、稜月ちゃんなにも言わないから、来たことあるのに我慢してたらどうしようって思ってた。一緒に楽しめるね」
「だといいけど」




