第44話 もういちど始めよう
いつのまにか足元は土からアスファルトに変わって、畑ばっかりだった景色は、ぽつぽつとお家が立ち並ぶようになっていた。
倍くらいに道幅の広くなったそこを走っていると、奥の方から稜月ちゃんが歩いてきた。Tシャツにハーフパンツっていうラフな格好で、ゆっくりとわたしの方にやってくる。
「稜月ちゃん!」
呼ぶと、ぴくっと反応して、少し下がっていた顔が上がった。稜月ちゃんは、足を止めてじっとわたしを見ていた。
近づくたびに、稜月ちゃんがおっきくなった。気の抜けたような顔をして、ぽつんと立っている。胸の奥がくすぐったい。ぞわぞわが広がって、頭の中はチーズみたいになってる。
「光? どうしたの、そんな慌てて」
稜月ちゃんの目の前で止まって、膝に両手を置いた。ふー、ふー、息を整える。どくんっと胸は早めに動いている。空気をどれだけ吸い込んでも、小さくなってくれない。
「あの、あのね、やっと会えた……稜月ちゃんに、で、でね、会いたかった、今日、ずっと」
稜月ちゃんは無表情のまま、じっくり観察するみたいにわたしを見つめていた。
「光、なんか……あ」
ぱぁっと稜月ちゃんの表情が明るくなった。ほっぺを浮かせて、目は細くなってる。
「もしかして、欲しかったの? 我慢できないなんて、うふ、そんなにいいんだ」
「おいで」と、稜月ちゃんは両腕を広げた。
それを見て、顔の温度が急に下がっていった。胸も、頭も、ずしんと沈んでいく。笑顔はほどけて、だらっと口が開いたまま。湿気と熱がやってきて、まとわりつく汗を感じた。
「どうしたの? ほしかったんでしょ、我慢しなくていいんだよ」
笑顔の稜月ちゃんは、手の平を上に向けたまま小さく首を傾げた。
「あのね、今日のこと、お話ししたかったんだ。そういうのは……」
人差し指で、右手の甲を撫でた
「あとにして……あとに、しよ」
「え」
稜月ちゃんから、笑顔が消えた。だらっとほっぺが落ちて、口は半開きになった。
「ね、いいよね?」
微笑んでも、稜月ちゃんの表情は変わらなかった。
村で数少ない高い場所。ただの土手の上を縦に並んで歩いた。わたしが前で、稜月ちゃんが後ろ。足を止めてもすぐにはぶつからないくらいの間を開けて、追いかけられてる。
視界の奥に黒くなった木の傘が見えて、その上には、ずっとどこまでも星空が広がっていた。白い点々が連なって、川になって、淡く光って空を流れている。たかーいたかい空、手を伸ばしても届かない天の川。
しばらく歩いてから、夏草生い茂る土手の斜面に座った。上半分には空いっぱいのお星さまが、下半分には夜をもっと暗くしたような山嶺が遠くに見えていた。
「すごーいお星さま。あんなに光ってるんだ」
「なにそれ、いままで気づかなかったんだ」
稜月ちゃんは脚を三角にして座って、まっすぐに遠いところを見つめていた。その横顔からはすっかり力が抜けてしまっていて、ただただぼーっとしているように思える。
「わたし、ちゃんと話したよ、自殺のこと……稜月ちゃんとお付き合いしてること」
「え」
スローモーションみたいに、稜月ちゃんはこっちを向いた。
「ひか、光が……うそ、そんなこと、できるはず」
「うふふ。ね、自分でもそう思った。けど、できちゃった、変だね」
目を点にしたような稜月ちゃんは、ふらふらしながらわたしを見つめていた。
「なんで、なんでそんなこと言ったの。それじゃ光が、頭のおかしいやつだって思われちゃう。ダメだよそんなこと言ったら、言ったら、これまでみたいにはいられなくなっちゃう」
「どうしてって、稜月ちゃんが言ったほうがいいよって教えてくれたから。だから、頑張れたの」
身体を動かして、稜月ちゃんに近づいた。手で芝生を押して、顔に顔を近づける。もう少しで、鼻がこっつんこする。シャンプーの香り、稜月ちゃんの匂い。
「わたし、稜月ちゃんがいい。ふたりで一緒に、学校に行きたい」
「私は、そんなの」
「嫌なんだよね、知ってる。でも大丈夫だよ、きっとふたりでいれば、どんなところでも楽しいよ」
まん丸の目、青い顔、白くなった唇、わたしを見ている瞳。
「違うの、そんなこと言ってるんじゃないの、私は辛いって、そういう話を、ぁ」
わたしのほうから、稜月ちゃんに抱きついた。
稜月ちゃんの瞳はぷるぷると震えていて、視線は定まってない。時折うめき声のように短い声を漏らすけれど、言葉にはならない。
「稜月ちゃん」
好き、この人のことが「大好き」
「ひか――っん」
回した腕で稜月ちゃんの背中を引き寄せた。口に、口を持って行く。いつもと、逆。
唇と、唇が触れ合った。舌先がちょこんと触れて、ざらざらした感触があった。ツーンと頭の中に甘くて濃い匂いが漂う。
たった三秒間だけ、そうしていた。
重なり合った身体から、心臓の音までも聞こえてきそうだった。
身体を離して、きょとんして意識が飛んでいそうな稜月ちゃんに伝えた。
「あのね、わたし、これでも頑張ったの。それでね、その、たまには、こっちからもお願いしたくて、したいことがあって」
上半身が勝手にうねうねする。ん、んん、とかなんか甘すぎる声が、自分の喉から漏れていた。
「うぅ……んん……んー……だからね、試験が終わったらご褒美ほしい」
パチ、パチっと稜月ちゃんはまばたきをした。
「ご、ほう、び?」
「うん……、えと、デートに行きたい、お買い物、初デート」
「初……いや、初じゃないじゃん」
「彼女になってからは、初なの。ね、いいでしょ? お願い」
胸の前で手を組んで、ただ返事を待った。
稜月ちゃんはあからさまにため息を吐いて「もう、なんでもいいや。わかった」と言った。
頭と身体と心が、嬉しいのと嬉しいのでいっぱいになって、身震いがした。
デート、初デート、楽しみだなあ。
「うふふ、うふ、やった」
太ももの間に手を挟んで、身体を丸くした。
笑顔は、どれだけ時間が経っても、枯れることはなかった。




