第43話 会いたい
運転席から、詰まり気味の声が聞こえてきた。
「ひ、光、お前それどういう」
「そのまんまの意味だよ……そのまんま」
目を伏せそうになる。全身の筋肉が張って、胃液が上がってくる。飲み込む。顔を上げる。
「わたしはっ」
吐き出す。溜まっていたものを、声にして。
「駅のホームから飛び降りようとして、稜月ちゃんに助けられたの。本当なの、冗談でも嘘でもない、本当のことなの」
車内は静まり返った。ぁ、とか、ぅ、みたいな声にならない声だけが聞こえる。
眉間に寄ったシワを広げる。目を閉じない。おばあちゃんの顔を見る。
「でも、でもね、それはもう過去の話。これも本当、嘘じゃないの、だってわたしは稜月ちゃんと仲良くなって」違う「こ、恋人になって、お付き合いしてっ、本当に本当に幸せで、で、で、だから、もう、もうね、死のうなんて考えない」
「光……あんた……」
「平気だよ、わたしは平気。嘘じゃない、絶対嘘じゃない。無理なんてしてないもん」
腕やふくらはぎの筋肉がぴくぴくと跳ねる。熱が一箇所に集まって、身体を駆け上る。
「だって、だって、稜月ちゃんのことが大好きだから」
くらぁっと脳みそが揺れた。おばあちゃんもみちるちゃんもまだ黙ったまま。口がぱくぱくと動いてるけど、ちゃんとした声にならない。
あぁ、あぁ、あぁ、言っちゃった、言った、なにを、全部、全部? 余計なことまで、あぁ、あぁ、いいや、いい、言うって決めたんだもん。
改めてドアノブに手をかけた。
「そういうことだから、さ。と、とにかく、今は行くね、もう時間になっちゃう」
ドアを押して、片足を出す。「おいっ、光待て」なんて聞こえてくる。知らない。
完全に降り立つと、もわっとした空気が胸の隙間に入り込んできた。
振り返ってドアを閉めようとすると、おばあちゃんと目が合った。
二秒、三秒、見つめ合ってから、おばあちゃんは言った。
「光、本当に、大丈夫なんだろうね」
「うん、大丈夫じゃなかったら、こんなこと言えない」
おばあちゃんの眉が垂れた。目が細くなって、うっすら頬が上がって、今にも泣き出しそうだった。
一瞬の沈黙のあと、おばあちゃんは目を瞑った。ふぅと深く息を吐いたのがわかった。
「……そうかい」
呟いて、おばあちゃんは目を開けた。引き締まった顔で、わたしを見ていた。
「なら、しっかりやるんだよ」
「うん」
頷いて、ドアを閉めた。
重い音が、一瞬だけ蝉の鳴き声をかき消した。
面接は大きな苦労も、緊張もなかった。聞かれたことにはすらすら答えられたし、胸を張っていられた。
唯一の失敗は、志望動機を、友達がいるからって言ってしまいそうになったこと。それも本当に失敗だったのかはよくわからない。
面接室を出て、夏休みの静かな廊下を歩いた。こんこんと足音が響く。どこまでも連なる窓からは、ずらっと光が伸びている。知らない学校、知らない廊下、知らない人たち。その顔の見えない場所に、たったひとりだけ、知っている人がいる。
大切な人がいる。
あの子にとっては辛い場所かもしれないけれど、もしこの廊下を一緒に歩けたのなら、それはきっと、嬉しい。
立ち止まって、目を瞑った。
稜月ちゃん。
普通じゃないわたしに、いいんだよって言ってくれる大切な人。
自分に嘘をつくのを許してくれない、厳しい人。
思い出してると胸の中がくすぐったくなる。毎日会いたかったあの切なさ。笑ってくれるだけでいい、あの嬉しさ。わたしのなかに、ちゃんと残ってる。
「あいたいな」
いますぐ抱きしめたい。ずっと一緒だよって言ってあげたい。
あなたのことが大好きだって、伝えたい。
『会いたい』
家に帰って、その一言だけのメッセージを、稜月ちゃんに送った。
五秒もしないうちに既読がついて、返事がやってきた。
『今から?』
『うん、今から』
ブレザーをベッドの上に脱ぎ捨てた。スカートと、ブラウスだけになって、部屋を飛び出す。階段を駆け下りて、玄関に行って、靴を履いた。
ぶぶっと手の中でスマホが振動した。
『わかった』
画面の中の吹き出しに、短い返事が現れた。玄関の扉に手をかけたまま、一度立ち止まって、メッセージを入力した。ガラガラ音を鳴らして引き戸を開けると、まだら模様の夕空が高く広がっていた。
『家、行くね』
ポケットにスマホを放り込んだ。コオロギの鳴く庭を突っ切って、外に出た。
ぞくっと身体が震えて、背中が跳ねそうになる。頬が勝手に上がって、抑えが効かない。
しっかり踏んで、土の道を走った。稜月ちゃん、稜月ちゃん、名前が胸に浮かんでくるたびに、身体が溶けそうになった。




