第41話 音さえも立てない、落ちた首みたいに
食卓に、笑い声が響く。お椀を片手に持ったみちるちゃんは、最近あった愉快な出来事なんかを話している。渋い顔でその話を聞くおばあちゃんは、ふとしたときに口を押さえる。わたしは箸を動かす。お米を口に運ぶ。噛んでも、味はしない。
話を振られると、頬が笑顔の形に動く。「へー」とか「すごいねー」なんて明るい声が聞こえている。茶色い煮物を見るだけで、吐き気が上がってきた。口を押さえると、指が唇に吸い付いた。
テーブルに置いたお茶碗の中で、白いお米がぽろっとこぼれ落ちる。粒は陶器の底に横たわって、音さえもたてない。落ちた首みたいに。
朝食の席も、昼食も夕食も、なにも変わらない。人が三人、たまに四人集まって、どっと賑やかになって、時間が経てばまた静かになった。
ちりんと時おり鳴る風鈴が、耳の奥に響いていた。
ペンキで塗りたくられてるような頭。顔を上げて、なにかを言おうとして、けど喉からはなにも出てこない。
食事をしている自分を見ている。笑ってる、美味しいと言ってる、学校と口にしてる。目玉がねじくれていて、視界は反り返っている。
朝、昼、夜、朝、昼、夜、朝、昼、夜、カレンダーをめくるみたいに、目の前の景色は変わっていく。
「光、おい光、お前、人の話聞いてるか?」
右斜め前を見ると、自分の髪の毛をつまむみちるちゃんがいた。「うん」と言った。
「なんだよなんだよぼーっとしちゃってさぁ、明日のこと緊張してんのか? 大丈夫だって、あんなの落としやしねえんだから」
「みちる」
優しくムチを叩くような、おばあちゃんの声が聞こえた。
今度は左を見た。おばあちゃんがいた。
「あんまり下手なこと言うもんじゃないよ。不真面目な気持ちでいると、先方にはしっかり伝わるものだからね。どんなときも真面目に誠実に正直に、そういうもんだよ」
「ちぇ、婆ちゃんこそ変にプレッシャーかけるんだから」
また、みちるちゃんを見る。重ねた唇を突き出して、軽くむくれていた。
「年長者としてのアドバイスだよ、かわいい孫のためだからね」
ふんっと鼻の奥を叩くような音が、おばあちゃんの方から聞こえた。
顔を正面に戻すと、両側からそれぞれ視線を感じた。壁にかかってるカレンダーが目に入った。赤い丸が見える、明日だっけ、違う、まだ先、二週間くらいある。じゃあなんの話、先方って、落としやしないって、ああ、そうだった。
面接があるんだ。
「ふたりとも心配しないで、わたしはちゃんとやるから」
たくわんを箸でつまんで、かじった。
ぽりぽり音がするだけで、味が付いてなかった。
早く言わないとなあ、自殺のこと。
目の前が明滅して、音も聞こえなくなった。
ブレザーを着て、車の後部座席に乗っていた。またあのふたりがいた。運転席にはみちるちゃんが、助手席にはおばあちゃんがいる。
「まだ緊張してるのかい? 平気だよ、光の気持ちを正直に話せばいいんだから」
前髪がくるりとパーマしたしわくちゃの顔が、わたしを見ていた。シートベルトを引っ張って、後ろにすこし身を乗り出すようになっている。
「ねえ、おばあちゃん、みちるちゃんも」
おばあちゃんの目がすこし上を向いた。運転席から「ん」と聞こえてきた。
「わたし、ね、わたし」
お腹の奥がごろごろ鳴いて、息が出しにくくなった。言葉を出そうとするたびに薄かった感覚が急に戻ってきて、全身が浮ついた。こめかみが痛い。お尻が痛い。
でも言う、言う、今言う、今しかない、今。
耳元で、囁かれた。
『ひ、か、る』
フロントガラスにセーラー服の稜月ちゃんがいた。口元に手を当てて、くすくすと笑っている。顔を伏せながら、目だけがこっちを向いていた。
「ぃ」
シートに背中がぶつかった。ぼすっと音がして、はずんだ。
おばあちゃんが眉間にシワを寄せていた。目を細めて、じろじろわたしを見ている。
「どうしたんだい、顔色が悪いね」
「ぁ、ぁあ、ううん、なんでもない、なんでも、ちょっとバランス崩しちゃった。あはは、緊張し過ぎかも」
「そうかい、ならいいんだけども。それで、なにか言いたいことがあったんじゃないのかい?」
「ぁ、いや、たいしたことじゃ――」
ぶぶっとポケットの中でスマホが鳴った。
「あ、ごめ、ごめん、返事返さないと、えとえっと、話はまた後で」
探すとブレザーのポケットにスマホは入っていた。
稜月ちゃんからのメッセージだった。
『しっかりね。今日は大事な日だから、がんばって』
語尾に動くハートマークが添えられていた。
ガラスの中で、稜月ちゃんが笑っていた。




