第4話 光が変になってる
賑やかにおしゃべりしながら、車は十五分ほど走り続けた。途中、光の新居になる塀に囲まれた日本家屋を素通りして、私の家の近くまで送ってもらった。
車内の光は影になってる。横顔が暗くて、その表情まで沈んでいるように見える。ドア一枚隔てた場所は冷房の効いた快適な空間で、こっちは一秒だっていたくない蒸し暑さの真夏。なんか遠い、すぐそこにいるのに。
開いていた窓枠に手をかけた。首を突っ込んで、笑ってみた。
「また遊ぼうね、絶対だよ」
「う、うん、わかった」
たった三秒。それだけ見つめて、光は目を逸らした。車体が軽く揺れる。
「じゃあな、あ、危ないから離れてな」と誰かが言ってる。
光、三奈木光。あなた何者? あなたは誰? そんな暗いとこに座ってないでこっちに来なよ。私がいるんだからさ。ねえ光、ねえ、そんなふうにしてないでもっと。
「おーい、おーいこまりん、手、手、危ねえって。ほら光も挨拶しろ」
「あ、うん、じゃあね稜月ちゃん、ばいばい」
光が手を振った。車から身体を離して、私も胸の前で手を振った。
「またね、光」
車がのっそりと進み始めて、光は去っていった。
ぺんぺん草、ただの家、高い木の傘。熱で歪んだなにもない場所に、私は一人残される。肩が痛くなってかけていたリュックを地面に落とした。どすん、と短い音がした。
ぼーっと意識が定まらない。これからどうしよっか。家に帰るか、学校なんてばかみたいだし。でもなあ帰ってもどうせ、なにかあるわけじゃない。
「はぁ」
じぃっとアスファルトを眺めてると黒い染みが浮かんできた。いや、最初からそこにあった。濡れていて、もう乾きかけてる。それはほとんど等間隔に道路上にぽたぽた垂れていて、道をまっすぐに伸びていた。
車。エアコンのなんか水のやつか。これ、光の家まで続いてる……ていうか家の場所わかる。
曲がり角まで目を動かした。車の窓から上半身を出して、てまねいている光が見えた。笑顔で、稜月ちゃん、って私を呼んでいる。
歪んだ夏の道路。黒くさえ見える青だけの空。白くぼんやりした場所に消えていく光。
手を伸ばす。反対の腕でリュックを掴む。
「案内するって約束したもんね」
教科書なんかが詰まって重苦しいリュックを肩に乗せ、黒い染みを追いかけた。
吹き溜まりみたいな田舎道をただ歩いて十五分、ようやく光の家へとたどり着く。茂みが敷地の半分くらいを目隠ししてる古いお屋敷。ブロック塀の間を通って、庭へと入った。
斜めに伸びる砂利道を通って、玄関へと向かった。
引き戸の前に立って、インターホンを押した。
ピンポーン、という音が、鳴らない。試しにもう一度押してみたけど、やっぱり鳴らない。化石みたいなタイプだから、壊れてるのかな。なんで張り紙くらいしとかないかな。
軽く息を吐いて、取っ手に指をかけた。力を入れると、抵抗もなくキャスターが動いた。
「ごめんくださー……」
どすん、と重い音が響いた。人が転んだような大げさな音。なになに、なに、今度はなに、またなんかあるの。すっと息を潜めて、身体が入る分だけ引き戸を動かした。
カビと埃が混ざったような古い家の香りが漂ってくる。まずは首を突っ込んで、次に足を差し込む。そーっと入り込むと、足元の土間に白い靴が見えた。あ、光の履いてたスニーカー、じゃいるんだやっぱり。
くぐもった話し声らしき音が聞こえた。音が遠くてなにを言ってるのかよくわからない。ひ、とか、あ、とか、断片だけがやってくる。
どうしよ、あとすこし、もうちょっといいのかも。すごい音聞こえたし、なにかあったりしたら大変だもん。
靴を脱いで廊下に上がった。黒い板張りの床に足をすべらせて、ゆっくりと音の方に近づいていく。
息を飲み込む。できるだけ呼吸せずに廊下の端までやってきた。声が近づいてはっきりと聞き取れた。
「光っ」
みちるさんの、切羽詰まった声だ。意識がない人に声をかけてるみたいな感じ。
しゃがむ。柱の陰からそーっと頭を出す。あ、いた、光。
少し行ったところに、部屋があった。襖が開けっ放しになっていて、畳の上で光が尻もちをついている。半分だけ見える顔は白くて、まぶたが上下に開ききっていた。腰の真横に手を置いて、なすりつけるように畳をこすっている。だけど全然進まなくて、空回りする人形みたいになっていた。
なにあれ、またなんかあったの。やば、死にそうな顔してるじゃん。部屋に……よく見えない。みちる邪魔。もう、どけって。
ちぎれる寸前みたいな声を、光が出した。
「ぉ、おか……ぉ……あか……ぁ……」
中腰になったみちるが、手品師みたいに両手を振っていた。




