第33話 わたしは死のうとしたことなんて、ない
「どうして嫌なの? 光は私が大好きなんでしょ、一緒にいたいんでしょ、だったらそうしようよ」
握った拳に力が入った。好き、それはそう、それはそうだけど、それだけじゃいられない。灯里もお父さんもお母さんも稜月ちゃんと、同じくらい大事だから。
少し顎を上げて、その目を見つめ返した。
「ダメだよ、それはダメ、絶対ダメ。わたしは約束したの、お父さんにもお母さんにも、妹にも、ちゃんと、ちゃんと生きるって、だからね、そういうのはダメなんだ、どうしても」
「どうしても、へぇ、光がね。まさかそんなこと言うなんて、やっぱり変わったね」
「そう、だよ、ちゃんと稜月ちゃんが好きだって気付いたし、家族にもやっと向き合えた、みちるちゃんたちだってこんなわたしを受け入れてくれてるんだって……だから、ね、お願いだからそんなこと言わないで」
稜月ちゃんは頬から手を離して、片側の口元を吊り上げた。そして、吐き捨てるような、男の人みたいな低く短い笑い声が聞こえた。
「そっか、光はちゃんと生きたいんだ、へー立派だね、だから私なんてもうどうでもいいんだ」
「違う、違うよ、絶対違う、それだけは違う、違うの、ほんとに違うの、稜月ちゃんと、稜月ちゃんと一緒にいたいって、ほんとのホントの気持ちだよ」
ぐっと稜月ちゃんは、顔を近づけてきた。
「それがさ、都合がいいねって言ってるんだよ。私を殺そうとしたくせに、自分勝手に振り回すんだ、最低」
「殺……ってなに言ってるの、そんな、えぇ、なに、ほんとに、どうしたの」
稜月ちゃんは反対側の口元も上げた。まるで道化師のように、鋭利に笑っていた。
「本当に覚えてないんだね――自殺しようとしてたこと」
「じさっ、なんの、はなし」
視界がしろっぽく、薄れていく。稜月ちゃんの笑顔がぐにゃぐにゃ揺れて、遠くて。
「思いだしなよ、光。私を助けたって思ってるんでしょ、うふ、それが真っ赤な嘘だってことにさ」
「そ、そ、そんなわけないっ、そんな、わたしはそんなことしない!」
胸に手を置いて、前のめりになった。
「どうしたの、本当に変だよ。なんでそんなに意地悪言うの? ねぇ、なにかあったのならちゃんと話してほしい、わたしならいくらでも相談に乗るから、そういうことは、言わないでほしい」
「変じゃないよ、変なのは自分でしょ? あ、そうだ、じゃあさ、これから駅に行かない? そしたらなにか思い出すかもよ、大事なことを」
「え、駅に、大事な、こと」
なんにもない、大丈夫だ、わたしはなんともない。変なのは稜月ちゃんで、あっちで、じゃあ駅に行くくらい、いいはずで。
「ほら、いこっ」
立ち上がった稜月ちゃんが手を差し伸べてきても、それに触れられなかった。
顔から血の気が引いて「はやくー」と稜月ちゃんの笑い声が聞こえていた。
わたしの手を引く稜月ちゃんは、るんるんと鼻歌を歌いながらスキップしていた。駅までの三十分以上はずっとそんな感じで、ただ背中を追いかけているだけだった。
自殺、殺す、自殺、殺す。稜月ちゃんを殺す、わたしが死ぬ。そんなことない、そんなはずない。だって生きてるし、あのときだって、むしろ助けた、はずで。
突然、稜月ちゃんが足を止めた。ニコニコの笑顔で、振り返った。
「着いた、あ、光の切符買ってくるから、絶対に動かないでね」
「う、うん」
切符売り場に駆けていく稜月ちゃんの背中は小さくなっていって、小人のようになって消えてしまった。じーと鳴る夏の日差しが降り注いで、アスファルトがぐにゃぐにゃに溶けていた。
駅を見た。いつもの駅、なにも変わらない駅、なにも起きない、危険なことなんてない、わたしたちの村の小さな駅。こんなところに来たって、なんにもない。
稜月ちゃんが急に胸の下から現れた。子どものように飛び跳ねて、無邪気に笑っている。こんな顔ずっと見せてくれなかったのに、なんで。
「はい切符、お金はいいよ、私のおごり」
紙の切符を手渡してきて、稜月ちゃんは改札口へと向かった。
気動車は止まっておらず、人もいない。錆びた鉄骨がただポツポツ立っているだけで、それ以外にはなにもない。
「光、こっちこっち、ほらはやく、このあたりだよー」
「あ、う、うん」
口内に張り付いた唾液を、一度飲み込んだ。さっきからなんだかお腹が痛い。なにも食べていないときみたいに、静かな痛みが座っている。
先に行ってしまった稜月ちゃんは、両手を振って、執拗にある一点を指していた。
覚えてる。たしかにわたしはあのときあそこにいた。
他の誰でもない、稜月ちゃんと。
ゆっくり近づくと、カンカンとサンダルが音を立てた。
「ここ、だね。ほらちゃんと覚えてるよ、わたし。えと、ええと、あれなんだっけ、確か稜月ちゃんがホームの端で遊んでて」
「どんなふうに?」
「えと、えっと、なんか手を広げて一本橋みたいに」
稜月ちゃんの顔が、胸下から上がってきた。ほとんどくっつく距離で、わたしを見上げていた。
「本当に? 私がここでそんな馬鹿みたいなことをしてたって? 電車が近づいていたのに?」
カランカランと遮断器の音が鳴った。気動車はまだ遠いのに、線路を削る音がすぐ近くに聞こえる。足元が揺れて、おぼつかない。
「光、そこに立ってよ、白線の外側、大丈夫、まだ電車は来ないから」
「なんで、なんでそんなことするの」
「いいから、早く立ちなよ、そのために来たんでしょ」
コンクリートで隔たれた、空と、こっち側。足の指に力が入って、緩んで、上手く踏み出せない。稜月ちゃんは腰の後ろに手を回して、ひまわりみたいに頭を揺らしていた。
「あ、あの、踏切鳴ってたし、いまはよくない、かも」
「じゃあ手、握っててあげる、絶対落ちないように。あ、引っ張らないでね、私、死んじゃうから」
稜月ちゃんに手を取られて、顔がぱんぱんに膨れ上がった気がした。見えるものは全部白く、音は遠い。視界にはなんにもなく、稜月ちゃんもどこにもいない。
ぴんと、腕が張り詰めた。後ろから、声が聞こえた。
「ねえ、あなた、そんなところに立ってたら、死んじゃうよ?」




