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死にたがりのあなたがいちばんすき〜自殺を止めてあげたのに、あの女の子は知らんぷり。もういいって背を向けたら、「いかないで」と泣きついてきた〜  作者: 光
第三章 忘れていたって、覚えていたって【side光】

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第29話 卵焼きの作り方をね、教えてもらいたいんだ

 次の月曜日、稜月ちゃんはまた、我が家で朝ご飯を食べていた。

 目を輝かせ、口をパクパク開けて、美味しいって言葉だけが飛び出してくる。笑顔は伝染して、食卓が日向になっていた。


 稜月ちゃんを見てると、自分の顔が緩んでるのもよくわかった。ほっぺについたご飯粒も、ちょっと変わったお箸の持ち方も、全部本物で、すぐ側にいてくれて。ふとした時に見せる真顔までも、心地いい。


「おい光、箸止まってんぞ、具合でも悪いのか?」


 おぼろげだった意識が、急にはっきりした。声をかけてきたみちるちゃんは、右側で悩めるオランウータンみたいな顔をしていた。


 適当に目星をつけてだし巻き卵に箸を伸ばした。


「あ、あ、えと、なんでもなーい、あ、卵焼き、はむっ――ん」


 口内に上品なだしの風味と、舌に絡みつくようなとろとろの感触が広がった。思わず口に手をあてた。ジンと身体がしびれて、緊張のあとに、味がやってきた。


「お、お……お……」


 鼻の奥が緩んで、目元に力が入らなくなった。下を向いて、もう口の中にはなにもないのに、なにかを飲み込むふりをした。


 お母さんの味だ。


 胸の奥からどっとなにかが、わけのわからないものが込み上げてきて、固く目を瞑った。手の甲で涙を拭って、顔を上げた。


「美味しい……おいしいね、こんなに、こんなに、おばあちゃんの卵焼き」


 わたしは変だ、嬉しかったのに、今は泣いてる。みんなが見てる、稜月ちゃんが見てる、でも、でも。


 食卓に静けさがやってきて、おばあちゃんの声が聞こえた。


「そうかい、よかったね、光」

「うん……うん……こんな美味しいものもう食べられないと思ってた」


 おばあちゃんに、笑顔を見せた。涙が止まらないのに、なにも考えずにそんな顔をしていた。


「光、おまっ……おまえよぉ……」


 横からみちるちゃんに抱きつかれた。びくっと肩が固くなったけど、その人肌に溶かされてしまう。わたしの身体を支えにして、なぜか目元に光るものを浮かべていた。


「わりぃ……我慢できなかった」

「みちるちゃん、いいよ、いい、ありがとう」


 抱きつかれたまま、またおばあちゃんを見た。口にはまだ幸せで、しょっぱい味が残っている。舌はちゃんとわたしの舌で、空気の温度さえも感じられた。


「ねえ、おばあちゃん、わたしにね、わたしに」

「なんだい」

「卵焼きの作り方をね、教えてもらいたいんだ」


 おばあちゃんが、息を呑むのがわかった。軽く目を見開いて、ふっ、と、顔の力が抜けた。


「ああ、構わないよ」

「ありがとう、おばあちゃん」


 夏の湿気も、風鈴の音も、蝉の声さえも、胸に深く染み込んでいった。


 おばあちゃんの微笑みはどこまでも優しくて、みちるちゃんの抱擁はとっても力強い。黒檀の座卓はたくましく、麦茶の瓶は水滴を反射している。サラダは緑、卵焼きは黄色、お米は白で、煮物は明るい茶色。わたしがいるのってこんな場所だったんだ、知らなかったな。

 部屋にあるもの全部が新鮮に見えて、それを眺めていると、ふと、コトンとお茶碗を置く音が聞こえた。


 薄っすらと吹き続けていた風が止んで、もわっとした熱気が部屋にやってきた。


「ごちそうさま」


 対面に座る稜月ちゃんを見て、背中の筋肉が硬直した。歯をかっちりと合わせて、軽く顎を引き、睨むようにわたしを見ていた。目が据わっていて、眉根にしわができていた。


「稜月ちゃ、ん」


 言い終わる前に、一瞬にしてその顔は笑顔に変わった。


「よかったね光、私のおべんと以外も、ちゃんとわかるようになったんだ」


 固くなった背中から、なかなか力が抜けなかった。なんか今、すごい顔してた。見間違い、でも確かに、ううん、ううん、そんなわけないよね、わたしを睨むなんて。


 きっと、気のせい。


「あ、ありがとう。はは、なんでかはわかんないけど、たぶん稜月ちゃんのおかげかな」

「あはっ、そう言ってくれると、とっても嬉しい。私の愛がやっと届いたんだね。光の愛も早く欲しいなぁ」

「あ、家族の前で変なこと言わないでー」


 抱きついたまま、みちるちゃんが顔を上げた。


「え、お前ら付き合ってんの?」


 急に肌が熱くなって、口の周りがひくひくした。


「そ、そういうんじゃ――」

「これからです」

「こ、これ、ちが、ちがっ、ええ」


 みちるちゃんはニタニタと言う。


「ふうん、だと思った。いっつも愛し合ってるもんな」

「ご存知でしたか」


 顎がかくかくする。歯が浮いている。


「だ、だ、だかーらー」


 色んな感情が大洪水で、あたまのなかはぐっちゃぐちゃだった。


 愛、恋、好き、たぶん好き、でも付き合うって、なんだっけ。てか稜月ちゃんこんなとこで、大胆。ていうか、ていうかっ、愛って、どうやって伝えればいいんだろう。


 窓ガラスに顔を真っ赤にした自分が映っていて、おばあちゃんはお茶をすすっていて、みちるちゃんはにやけていて、稜月ちゃんはニコニコと笑っていた。

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