第25話 やめない、絶対に
「え、えとお、や、なんて、り、理由は、はな……話したと、思って」
冷や汗で、身体が冷たい。親、家族、妹、そうか稜月ちゃんにはちゃんとまだ、嘘ついてた。言わないと、でないと、わたし、わたしは。
「んー、もちろん覚えてるけど、まだ詳しいことは……あれ、どうしたの? 具合でも悪い?」
「う、ううん、うん、なんでも、なんでもないよ、一人だったのも同じ、なんでもなくて、なくて、ただ事情が都合が」
「顔青いよ、唇白いよ? 本当に平気? お出かけやめる?」
列車が到着します、というアナウンスが聞こえた。目を細める稜月ちゃんの肩を、掴んだ。
「やめない、絶対にやめない。今日は、ちゃんとやるから、心配しないで」
「そう……ならいいんだけど」
稜月ちゃんは目を伏せた。
気動車が滑り込んでくるのと同時に、その顔が上がった。
「絶対に無理はしないでね、お出かけ楽しくないのは嫌だからね」
喉に突き刺さった針ごと、つばを飲み込んだ。
「もちろん、大丈夫、わたしは普通だよ」
「そっか」
稜月ちゃんは頬が一センチだけ上がるくらいの笑顔を浮かべて、わたしの右手を掴んだ。
列車のドアが開いて、わたしは、震える右足を踏み出した。
長椅子の端っこに、稜月ちゃんと並んで座った。ビーチバッグを抱きしめて、浅い呼吸を繰り返した。軽い貧血のような状態、だけど、なんとか、まだ、耐えられた。
車内は空いていて、正面の座席もからっぽだった。そのことを話すと「おっきな駅で乗り換えるから、着くまでにちょっとずつお客さんは増えてくると思うよ」と稜月ちゃんは言った。
その言葉通りに、次の駅で五人、そのまた次の駅で十人と、徐々に車内の密度は上がっていった。数に比例するように心臓の音が大きくなった。
「夏休みになったら、花火大会には絶対行こうね、もちろん夏祭りも、あんな村でも意外と人が――また顔色悪いよ? 電車苦手だっけ?」
否定しようとして、やっぱり、頷いた。隠し事ばかりじゃ、よくないから。
「う、うん、ちょっとだけ、人が多いと特に……」
「でも、光は遠くから一人で来たんだよね、あのときは平気だったんだ」
「あのとき……わたしは……」
稜月ちゃんと出会った日。長い時間をかけて、わたしはこっちにやってきた、はず。なのに、あれ、おかしいな、どうやって来たんだっけ、なんにも思い出せない。
ずっとわたしの身体は変なのに、なんであのときだけ、なんで。
「なに悩んでるの? まさか忘れちゃったとか言わないよね」
「あ、あはは……それ、そのとおり、ずっと寝てたのかな、なんかよく思い出せないや」
下を向くと、髪の毛が垂れ下がった。笑顔を浮かべているつもりなのに、胸の中はセメントで固められている。あの日、危なかった稜月ちゃんをわたしが助けた、そこからのことだけがはっきりと思い出せる。まるで、あの瞬間に生まれたみたいに。
がたん、がたんと線路を踏む音が響いていた。楽しそうな家族連れの声と、混ざり合いながら。
三番線、ドアが閉まりますと聞こえて、軽快なメロディが流れた。
稜月ちゃんの手を握りしめたわたしは、線路がいくつもある駅のホームに立っていた。スーツを着た大人、部活道具を背負ったジャージ姿の中高生、おしゃべりする女の子、スマホを見つめる若い男性。この場所に溢れた人が、気流のようにうねっていた。
乗り物酔いみたいに、目の奥がツンと痛む。足元が常に揺れていて、それがきもちわるい。身体の感覚が遠くて、稜月ちゃんと繋いだ汗ばむ右手しかわたしはいなかった。
「えーと、あ、あっち」
「あ、あ」
稜月ちゃんに手を引かれて、階段を上った。五十段もないのに、頂上につく頃には息は上がりきっていた。前に進んでいるのか、後ろに落ちているのか、わからない。目の前で動く繋ぎ目を、ただ追いかけた。
「んー、十分くらい待つみたい」
ふいに稜月ちゃんの声が頭に侵入してきて、わたしは別のホームにいることに気づいた。さっきと同じくらい人がいて、列車を待つ人で列ができていた。
「ね、光、光ってば」
「え、あ、え?」
「栄養失調みたいな顔してる。ほら、あそこベンチが空いてるから、ちょっと休もう」
手を引っ張られて、誘導されるままにベンチに座った。空いていた席はひとつだけで、左右に知らない人間が座っていた。
視界が狭くて、稜月ちゃんしか、ちゃんと見えなかった。眉を寄せて、わたしを見つめていた。
「い、稜月ちゃん、わたし座ってるより、立ってたほうがいいかも」
「ダメ、そんな具合悪そうにしてるんだから。そうだ、冷たい飲み物買ってくるね、ちょっと待ってて、絶対に動いちゃダメだよ」
「え、だ、だいじょぶ、水筒が――」
「絶対だよ!」
繋ぎっぱなしだった手が、離れた。
稜月ちゃんの背中は雑踏の中に消えていき、わたしだけが残された。
なんで行っちゃうの、行かないで、隣にいて、飲み物なんていらない。
「うっ……うぅ……」
目に涙が滲んでるのがわかった、それだけはわかった。




