第23話 めまい
土曜日、日曜日と稜月ちゃんに引っ張り回された。なにもないよって言いながら、あの子は色んな場所を知っていた。
廃寺、廃病院、廃トンネル、廃中古車販売場、廃バッティングセンター……手を引かれて連れて行かれるのは、どこも頭に廃と付くような場所だった。
おしゃれなカフェでも、洋服屋さんでも、ファーストフード店でもない。わたしたちがいるのは、宙に浮いているようなところばかり。稜月ちゃんはそんな場所を「楽しい」と言うけれど。
日曜の午後、たまたま通りすがったみちるちゃんの店を指さして、稜月ちゃんはこんなことをいった
。
「これ次の候補」
「わたし親族なんだけど」
キツすぎる冗談。必死にお店を切り盛りしてる本人に聞かせたら、どんな顔するだろうか。
「あはは、限界集落ジョーク」などと言って、稜月ちゃんは笑顔で駆け出した。苦笑しながら、わたしも後を追う。走り出す。息が切れるまで追いかけて、目一杯新鮮な空気を吸った。
土手から見下ろす小川に、茜色の空が流れていた。いつの間にか風がひんやりしていて、リンリンとコオロギが鳴いていた。
「ひかるー、はやくはやくー」
手を振る稜月ちゃんの影が、よく知る名前を呼んでいた。
息を整えたわたしは、また、駆け出すのだった。
月曜日、稜月ちゃんは遂に学校に行った。午後四時半、帰りの時間に合わせて、わたしは駅に向かった。庭に放置されていた自転車を借りて、ひたすらペダルを漕いだ。まともに身体を動かしたのは久しぶりだった。
駅舎の三角屋根が見えてくると、無性に嬉しくなって、ひとりでちょっと笑った。
定期券を見せて改札口から出てくる稜月ちゃんは、少し気落ちした様子だった。肩を落としていたけれど、わたしを見つけるやいなや、笑顔になった。
自転車があるのに、なぜか帰りは歩きだった。ハンドルを押しながら、二人で並んで歩いた。
お疲れ様って伝えると、稜月ちゃんは目を輝かせた。
「心が壊れて死んじゃいそうな私に、光はなにをしてくれるの?」
「ま、またそういうの……なにって……」
稜月ちゃんは口に人差し指をあてた。
「ほしいなぁ」
ぴんくの唇。つやがあって、ぷるぷるしてる。
稜月ちゃんは足を止めて、目を瞑った。わたしの方を向いて、すこし顎を突き出してくる。
「む、無茶振りじゃなかったら、わたしに出来ることなら、言ってくれたら、考えてもいいけど。ぁ、変なのはなしだよ、変なのは」
稜月ちゃんは目を開けた。口を結んだまま、姿勢を直した。「いじわる」と聞こえた気がした。
目を斜め上に向けて、突然稜月ちゃんは「あ」と声を出した。自転車のハンドルを支えに、身を乗り出してきた。
「今度のお休みは、どこかに連れてってほしい」
「どこかって、お買い物とか?」
稜月ちゃんは左右に首を振った。
「沖縄!」
「ん?」
「南の島にね一度行ってみたかったんだ、彼女と」
「彼女じゃないからね……まあ、まあそれはいいとして、沖縄って、どこかに連れて行くってレベルじゃないよね。冗談にしても突飛すぎない?」
稜月ちゃんはお目々をぱっちり開いて、首を傾げた。わたしがおかしいみたいな……どこまで本気なのかわからない、この子の場合は。
「ダメなの?」
「沖縄は無理。遊びに行くなら他の場所にしようよ」
「じゃあ佐渡ヶ島」
「……島から離れてほしい」
たぶん片道で半日くらいかかる。いきなりはちょっと難しい。
うーん、むうぅぅ、と一分くらい唸って、稜月ちゃんは答えを見つけたようだった。
「仕方ないから電車で一時間ちょっとの海にする。海水浴場、それならいいよね?」
「海、海かあ、まあ、それくらいなら――」
「決定! さっそく水着を買いに行こう!」
稜月ちゃんはわたしの右手を掴んで、駅にとんぼ返りしようとした。体勢が崩れて、せっかく直した自転車が倒れそうになった。なんとか踏ん張って、手を引っ張り返した。
「どーしたの、町に出るのいや?」
「いつも急すぎるよ。別に町に行くのは、あ、ぅ」
突然腫れてしまったかのように、喉の奥に息が詰まった。おおぜいのひとが、たくさんのビルが、目の前に現れた。視界が揺れて、建物が崩れ去り、地面が粉々に砕け散った。
瓦礫から、赤黒い腕がいくつも伸びていた。悲鳴と叫び声が混ざり合って、聞いているだけで頭が痛くて痛くてどうしようもなくて、灯里がそこに――
「光?」
気づくと、目の前に稜月ちゃんの顔があった。わたしは村にいて、周りの景色は三十秒前と変わっていなかった。
「どうしたの、なんか変だよ」
「あ、う、へ、平気、なんでもないから」
汗がダラダラ流れて、握った拳にねっとりとした感触があった。背筋が突っ張って、うまく息ができなかった。胸が苦しい、けど、稜月ちゃんが見てる、普通にしないと。
頬に力を入れて、笑顔を作った。
「あ、あはは、あ、そ、そうだ、水着、水着ね、たぶん家にあるんだ、お買い物は、いいかな。無駄遣い、したくないから、は、はは」
稜月ちゃんは心配してくれているのでも、悲しんでいるのでも、笑顔でもない奇妙な表情をしていた。鼻をひくつかせ、目尻がピクピクと動いている。まるで笑い出すのを必死にこらえているかのような――また、変なものを見てしまってる。おかしい、おかしい、わたしはおかしい。
普通にしなきゃ。稜月ちゃんまで、稜月ちゃんだけは、変なふうになんて、見ないようにしなきゃ。よし、よしよしよし――よし。
「そういうことだから、さ、今日はこのまま帰ろっか」
「残念、でも、そういうことなら仕方ないか、光は倹約家だもんね」
稜月ちゃんは顔を伏せていて、表情が読み取れなかった。
「でも、海には連れて行ってくれるよね、ちゃーんと」
「うん、もちろん、それはちゃんと約束したもんね」
「あはっ」と声を出して、稜月ちゃんはわたしを追い越した。
「楽しみだなあ、海水浴。光と一緒なら、きっと沖縄なんかよりずっと楽しい」
稜月ちゃんは、振り向いた。
「でね、もうひとつお願いがあるんだけどぉ、聞いてくれるよね?」
肩を丸めて、稜月ちゃんは身体の前で手を合わせた。
「む、無理のないお願いなら」
「愛情たっぷり込めた手作りお弁当、食べたいな」
もじもじしながら、稜月ちゃんはそんなことを言った。




