第22話 稜月ちゃんといるから、毎日はそんなに悪くない
「ぇ……なんで、そんな」
腕の皮膚が浮き上がるような感覚がした。視界がくらくらと揺れだしたて、日向の砂利が二重に見えた。
「いいから、やって。じゃないと私、壊れちゃう」
自分の声が、開いた口よりも遅れて聞こえた。
「わかった、なら、ちょっとだけ」
舌の上を滑るよだれを、二度、飲み込んだ。やさしくしてあげないと、今くらい。恋人じゃなくたって、これくらい、誰でもする。これくらい。
「ぅ……ぅぅ……うう」
大丈夫、稜月ちゃんは、違う。急にいなくなったりなんて、しない。
だから。
肩を内側に丸めて、両手を、稜月ちゃんの背中にあてた。
「う……ぅぅ……」
肘から上が震えていた。頭が下を向いて、目が閉じた。鼻をすすった。
厚くない身体、腕の中の稜月ちゃん。温度は感じない、抵抗はない、力が入ると上半身から汗が消えた。
「ん……これすき」
腕のこわばりは、段々となくなっていった。
夢を見ずに寝ているような心地で「もういいよ」って言われるまで、ずっとそうしていた。
影の位置がズレて、胸から離れた稜月ちゃんの笑顔が、半分だけ明るくなっていた。
稜月ちゃんは、わたしの濡れた目元をハンカチでぬぐってくれた。
瞑っていた目を開ける。稜月ちゃんは腰の後ろに手を回して、前傾気味に立っていた。
「光が頑張ってくれたから、私も頑張ることにする。けど、毎日つらいから、いつまで耐えられるか、ちょっと不安なの。それでね」
稜月ちゃんはぽすっと手を叩いた。
「平日の間目一杯努力したぶんだけ、ご褒美ほしい」
「ご、ご褒美? それって、どんな」
「土日のお休みだけでも、私と一緒にいてほしいな。毎週遊んでくれるって約束してくれるなら、どんな辛いこともきっとへっちゃら。ね、お願い、それ以外にわがままなんて言わないから」
祈るように手を組んで、稜月ちゃんはわたしを見上げてくる。眉も目もななめ下を向いていて、口はぴったりと閉じている。
わたしは黙って、稜月ちゃんも黙って、ゆっくり時間が流れていく。心臓の動きに合わせて、首筋をどくどくと血が流れていた。
毎週土日。夏休みまでたぶんあと二週間くらい。それだけ付き合えば、稜月ちゃんは学校に行ってくれる。悪い話じゃない、ちっとも悪い話じゃない、こっちだって勉強に集中できる。
目を合わせてると、どんどん血が上ってくる。頭の後ろ側が熱を持って、すこし背中が痛い。おでこ、あ結構広い、すごい肌綺麗。お手入れされた眉毛が繊細で稜月ちゃんで、ちがうちがうちがうそんなんじゃなくて。唇を見た、だめ、鼻、鼻っ面に視線を合わせる。
「それくらいなら、いいよ、うん、わかった。全然わたし、付き合う」
すこし、前のめりになる。頭の高さが稜月ちゃんと同じになる。ちらっと目を見ると、笑っているのがわかった。喉に溜まった息を吐くと、わたしの顔も緩んでいった。
きゅきゅっと太ももが閉じて、間に挟んでいた手が、グーパーと動いた。
ああ、また稜月ちゃんに丸め込まれちゃったな。どうしよ。
お腹から上がってきたものを出すと、ぽつぽつ息を吐くような笑い声になった。
一旦家に帰って、着替えて、すぐに稜月ちゃんに引っ張り出されて、最終的に別れたのは薄暮の空が広がる時間帯だった。
家に入って、ご飯よりも前に服を脱いだ。昼はシャワーで済ませちゃったから、湯船に浸かりたかった。
古い窮屈な浴槽内で、わたしは膝を抱えていた。風呂桶がズレて、カタンと音を立てる。天井に広がる染みを見つめて、つぶやいた。
「灯里は、稜月ちゃんのことどう思う?」
水滴が落ちてきて、湯船に水の王冠を作った。
「そう……だよね。変っていうか、普通とは違うなって、わたしも思うんだ……うん、学校でイジメられてるって言ってたね。あんなに明るいのに、どうしてなんだろ。ちょっと重いところ? それはそう、それはそうだけど……」
確かにあの距離感を嫌がる子はいる、多いかもしれないけど、でもああいう稜月ちゃんだからこそ、イジメは似合わない。
「酷いことされて、ただ黙ってるなんて、らしくないかなって、なんていえばいいのかな、わたしの知ってる稜月ちゃんはもっと強い……あ、あ、疑ってるわけじゃないよ、嘘だなんて思ってない、けど、ただね、意外だなって」
膝が動いて、水面に波紋が広がった。
「どうするも、ないよ。約束したからには、ちゃんと守らないと。わたしと一緒にいるほうがいいって言われるのは、まあ……悪い気はしないし」
頭が沈んでいく。ぶくぶくと口が泡を吹く。長湯しすぎて、ちょっとのぼせ気味。
苦しくなって顔をあげると、ザバンっとお湯が弾けた。脱力してしまい動く気もせず、浴槽の縁にもたれかかった。
つぶやきが、口を出た。
「わたしといるから、毎日楽しいんだって。困っちゃうよね」
頬から水滴が垂れて、浴槽へと沈んでいった。




