第21話 無職と女子高生は釣り合わない
周りに空き地しかない坂は下っていて、くぼんだところからまた上がっている。逆への字の道は先っぽから湯気が立っていて、青空と一緒に歪んでいた。
ちらと横目で見た稜月ちゃんは、どこか丸っこい。笑顔ではないけど、無表情でもなくて、心地よくいてくれるように見える。横顔には幼さがあって、同い年とは思えない。
無邪気に笑ったかと思えば、突然鋭い目になったり、意地悪に微笑んでいたり、その目、その顔はわたしだけを向いている。なんでって聞いたら、好きだから、って。
無意識に目が見開いて、呼吸の音が聞こえるようになった。
稜月ちゃんの、唇に目がいった。
今でも、お願いすれば、キス、してくれるのかな。逆流した胃液で満たされていたこんな口でも、稜月ちゃんはいいのかな。聞いてみたら、なんて言うかな。
口内に溜まった液体を吸うように飲み込んだ。唇がぴったり閉じて、息が消えた。
稜月ちゃん、わたし、わたし……わたし。突然、お腹の真ん中にあった角のないものが割れて、全身を水浸しにした。汗になって、背中から首筋から股から染み出してくる。
顔を上げた。電柱の突き出した青空を見た。
わたしじゃない、稜月ちゃんにはわたしじゃない。明日も明後日もなんて考えられない。今日で精一杯。もうこんなことはやめないと、でないと、取り返しがつかない。
ちゃんと、言おう。
「稜月ちゃん、ちょっと大事な話があるんだけど、いいかな?」
顔を見ると、夢から覚めるように稜月ちゃんは目を開けた。
「んぅ……なぁに?」
「ここじゃ暑いから、あそこの日陰で」
腕を引っ張って、道端の空き地に入った。
ちょうど、坂を下りきったあたりだった。
小石の敷き詰められた空き地は、足元がごろごろしていた。隣の空き家が壁になっていて、影の黒いところと日向の白いところがくっきり分かれている。
暗がりの稜月ちゃんは色が薄い。口をぴったり閉じて、なにも言わずにわたしを見上げていた。
ほっぺを上げて、わたしは笑顔を作った。
「ごめんね急に。えっと、ちょっと真面目な話、いいかな?」
稜月ちゃんは、すぐには返事をしなかった。五秒も経って、表情は変わらず口だけが開いた。
「なに? 嬉しい話?」
「いや、あの、あんまり嬉しくないかもだけど……その、ええと……」
左下に視線がずれていく。両目を上げて、もう一度、もう一度稜月ちゃんを見た。
「学校、行ったほうがいいよ、って言いたくて、その話」
「光」
「はい……あ……はいじゃなくて、稜月ちゃん、なに?」
「ぎゅってしていい?」
「へ?」
「するね」
「ちょ――」
腕が伸びてきて、抱きつかれた。
「はぁ、光だぁ」
頬を擦り付けられて、胸が揺さぶられた。首の後ろがどくどくしていた。
「ぁ……稜月ちゃ、そういうのじゃなくて、ちゃんと、話がしたいん、だ」
目を閉じて、稜月ちゃんはささやく。
「わかってる。でもぉ、こっちの話も聞いてもらいたいな」
「こっちの……話……?」
「うん、私の話。学校でのこと、ちょっぴり胸の痛くなる話」
胸元の稜月ちゃんは、わたしを見上げて笑顔になった。
「自分から聞いたんだから、聞きたくないなんて、嫌だよ」
背中に回された腕にすこし力がこもった。右耳を胸にくっつけるようにして、稜月ちゃんはもたれかかってきた。
「前にも言ったと思うんだけど、私ね、学校に居場所がないんだ」
胸元には頭だけが見えて、稜月ちゃんの表情はわからなかった。すぐに沈んでいってしまう声が、ぽそぽそと聞こえてくる。
「みんなで私を無視するんだ、キモい、ウザい、あっちいけって」
「ぇ、うそ、そんなふうに……ぁ、ごめんなさい、でも、それ、本当なの?」
「見えない、よね。でも本当なの、毎日とっても辛い、光といるとき以外は」
ぞくりと薄い鳥肌のようなものが、腰から上っていった。
「だから光がよかったの、ずっと一緒にいたいって思ったの。やっぱり……迷惑だった?」
「それは、それは違うよ、言ったでしょ、わたし全然そんなこと迷惑に思わない。だけど、だけどね」言葉が胃もたれのように重い「それでも、わたしだけになるのはだめだよ、自分のこと、ちゃんと考えないと」
「何日か休んだり、遅刻していったりすると、先生は、お前なんか俺の生徒じゃないって言ってくるんだよ。それを見て、みんなはまた笑ってる。指さされたり……物投げられたり……」
鼻をすする音が聞こえた。
わたしの手も口も、宙に浮かんで漂っていた。稜月ちゃん辛かったね、いいよ、わたしがいるから、わたしが――そんなこと言えない。無責任なこと、なにも。辛かったねなんて言われても、きっとなにも、なにも変わらない。
口を開けると、震えるような声が出ていった。
「わ、わたしには稜月ちゃんの辛さは、わかってあげられない、でも、でもね、まけ……まけ……」
声が出にくい。鼻の奥が感覚をなくしている。
「ごめん……ごめんね……でも、だめ、なくなっちゃう……稜月ちゃんは、学校に行ってほしい」
稜月ちゃんはなにも言わない。胸の中で、静かに息をしてる。
「たま、たまになら、休んでもいいと思うから、ね、だから……頑張ってほしい」
すこし遅れて、返事が聞こえた。
「それって、光からのお願い?」
「うん……わたしから、稜月ちゃんへの、お願い」
「ならぎゅってして、光も。そしたら、頑張れるかもしれないから」




