第14話 いつでもどこでも稜月ちゃん
真っ暗闇にセーラー服を着た女の子が立っていた。ふわふわしたショートカット。軽く首をかしげて、笑ってる。両手を広げて、駆け寄ってくる。
「よかったぁ、光ちゃんといたあ。どっか行っちゃったかと思った」
「稜月ちゃん、なんで」
「なんでもないよ。光がいれば私はいるんだから」
広げられた両腕に、抱きしめられる。二の腕と背中をあたたかい鎖で縛られて、その子の胸の中で丸くなる。ふわふわ浮かんで、呼吸が静かになった。
「平気だよぉ、なんにも怖いことない。光だよ、光がいいの、光だから好きなの」
好きという言葉が中に入ってきて、バラバラになる。
声は出ない。
「だから、死にたいだなんて言っちゃだめだよ」
「稜月ちゃ――」
耳元で明るい声がした。
「光っ、起きて、私来たよー」
また目が開く。もやが浮かんでいて、あれ、なんだっけ。あれ。
口が粘ついていて、溜まった唾を飲み込んだ。
目の前が薄暗かった。周りは明るいのに、頭上だけが影になってる。丸っこいなにかがある。凹凸があって、枝垂れみたいに黒く細い髪を垂らしてる。目があって、口があって、小刻みに動いてる。顔だ、笑ってる。……顔?
「わーやっと起きたぁ、光、おはよう!」
「ふぇえ?」
びくっと身体が反応して、急加速したみたいに後頭部が枕に沈んだ。まばたき、早すぎてぺちぺちって音が自分で聞こえた。
目の前で、ふっくらしたほっぺが歯と一緒に笑っていた。
わたしの部屋に、稜月ちゃんがいる。
「なぜ」
稜月ちゃんの頬がさらに上がって、目が細くなった。
「会いたかったから、来ちゃった」
「な、ぜ」
くらくらと頭の奥が揺れていた。
稜月ちゃんはわたしが寝ていたあたりを触って、手のひらの匂いを嗅いだ。
「すごい寝汗、光の匂いが染み込んでる。嫌な夢でも……ま、なんでもいっか、元気そうだし」
ぞくっと全身に鳥肌が広がった。筋肉がこわばって、正座のあとのように痺れている。
呼吸を整えず、股の間に両手をついた。
「な、なんで、いるの? わたしの部屋、だったと思うんだけど、ここ」
「なんでって、光に会いたかったから?」
「そうなんだろうけど、そうじゃなくて、そんなことじゃ――」
開けっ放しの扉の向こうを、洗濯かごを抱えたおばあちゃんが通り過ぎた。よっこらよっこらとゆったり足音を鳴らして、数秒経ってから戻ってきた。
「おや光、ようやく起きたかい。朝ご飯できてるよ」
おばあちゃんは稜月ちゃんに目配せして、ぶっきらぼうに言った。
「小毬ちゃんもよかったら食べてきな。まだだって言ってたろ」
稜月ちゃんは振り向いて、膝に手をついておじぎをした。
「はい、ありがとうございますおばあさま。あはっ、嬉しい、家だとパンしかないんです」
稜月ちゃんは胸の前で手を組んで、身体をくねらせた。おばあちゃんは片手を上げて、その場を立ち去った。
へえ家だと朝ご飯ないんだ……って違う、そうじゃない、そんなことじゃない。えっと、えと、つまり、普通に玄関から入ってきた……のかな。
「なんとなく経緯はわかったけど……それで、なにしに来たの? こんな早くに」
まだ背中を向けたままだった稜月ちゃんの肩が、びくんっと反応した。つま先を上げてかかとだけで立ち、そのまま器用に半回転した。
やや内股になっていて、心なしか顔が赤い。キョロ、キョロっと目が動いて、こっちを見たり、逸らしたり。にたぁと口角が上がって、息を吐くように笑った。
「なんでって、そんなの……」
稜月ちゃんにしては珍しくいじらしい態度。なにがあっ……記憶が染み出してくる。整ってきた呼吸がまた速度を上げて、身体が熱くなった。
無意識に唇に触れると、稜月ちゃんは目を見開いた。
「あ……あの、私、配膳の手伝いしてくるねっ」
ドスッとその手からリュックが落ちる。素早く振り向くと、あっという間に稜月ちゃんは走り去ってしまった。
手を伸ばしかけて、途中でやめた。ひとり残されたわたしは、ただただ無人の廊下を眺めた。
そういえば、とんでもない爆弾を抱えてたんだった。
どうしよう。
朝食の席で、稜月ちゃんはずっとニコニコしていた。背筋を伸ばして正座して、煮物や卵焼き、お米まで、口にした食べ物すべてを絶賛していた。
「美味しい……うちのと全然違います」
じとっとした目のみちるちゃんが、稜月ちゃんを凝視した。
「こまりんさあ、それ本当に思ってる?」
稜月ちゃんの箸が止まった。お味噌汁のお椀を置いて、笑顔をみちるちゃんに向けた。
「どうして、そんなこと聞くんですか?」
会話が途切れて、わたしも含めた全員の視線がみちるちゃんを向いた。扇風機の回る音が、やたら大きく聞こえた。
みちるちゃんは口を結んで、袖なしの肩を軽くさすった。稜月ちゃんとテーブルを交互に見て、言った。
「いや、そのたけのこ、アタシが煮たやつだから、美味くねえって思ってたんだけど」
みちるちゃんは横を向いて、軽く口をとがらせていた。
みんなの視線を浴びた稜月ちゃんは、小鉢からたけのこをすくって、口に運んだ。じっくり咀嚼して、飲み込んだ。その動作がスローモーションに見えて、喉の動きまでわかった。
「美味しいです、とっても。切り口が荒くても、むしろ個性じゃないかなって、私は思いますよ」
耳たぶがぴくっと揺れて、みちるちゃんの頬が赤くなった。
「そ、そうか、ならいいんだけどよ。変なこと聞いて悪かったな」
みちるちゃん、嬉しそうにしてる。あんな顔、こっちに来てから初めてかも。でもそうか、わたし、ご飯を美味しいって言ったこと一度もないんだ。
手にしたお茶碗が、少し重くなった。美味しいって言葉が喉元まで出かかって、そこで止まってしまう。
味がよくわからない。美味しいも、不味いも、どっちも。
「あ、でもぉ、ためにならないから、あと一歩って評価に訂正しときます? あはは、冗談ですよー」
自分の声がほとんど聞こえない食卓に、稜月ちゃんの明るい声が響いた。




