第七十四章:策略と交渉
ルシアスとガルシウスが侯爵の城へと足を踏み入れると、豪奢な内装と静寂に包まれた空間が彼らを迎えた。だが、その静けさは決して穏やかなものではなかった。貴族街におけるヴィクトール侯爵の館はまるで要塞のような重厚な造りをしている。
「……妙に厳重な警備だな」
ガルシウスが低く呟く。
「王城よりも警戒が厳しいとはな」
ルシアスは鋭い視線で周囲を観察した。廊下の両脇には無駄のない配置で兵士が並び、ただの財務官僚の館とは思えない雰囲気を醸し出している。
しばらくすると奥の扉が開き、一人の壮年の男がゆったりとした動作で姿を現した。
ヴィクトール侯爵——王国の財政を掌握し交易を支配しようとする貴族。歳は四十半ばといったところだが、鋭い眼光と計算高い笑みが彼の狡猾さを物語っていた。
「いやはや、元魔王殿が直々に訪ねてくるとは光栄ですな」
侯爵は余裕たっぷりに微笑むとルシアスに向かって手を広げた。
「何用でいらしたのか、言わずとも分かりますが……まあ、座られたまえ」
侯爵が示したのは豪華なソファが並ぶ応接室だった。
ルシアスは警戒を解かぬままガルシウスとともに席に着く。侯爵はワインをグラスに注ぎながらゆっくりと口を開いた。
「さて、貴殿がここへ来た目的は当然ながらカフェの件でしょう?」
「分かっているなら話は早い」
ルシアスは表情を崩さぬまま侯爵を真っ直ぐに見据えた。
「この命令を撤回しろ」
「ふむ、強気ですな」
侯爵はワインを揺らしながら笑った。
「貴殿の店は……いや、貴殿自身が王国にとってはあまりに異質な存在なのです。元勇者と元魔王が共存する店……それが何を引き起こすか考えたことは?」
「俺たちが何かを企んでいるとでも?」
「企んでいなくとも周囲がそう見る可能性があるということです」
「言いがかりだな」
「そうでしょうか?」
侯爵は少しワインを口に含むと満足げに微笑んだ。
「このままではいずれ王都の秩序を乱す火種になりかねません。そして何より——私の計画の邪魔なのです」
ルシアスの目が冷たく光る。
「交易路の支配、か」
「察しがいい。商人たちの交流の場が王国の経済にどれほどの影響を与えるか……貴殿も理解しているでしょう?」
「つまり、お前は交易の流れを独占したいがために俺たちのカフェを潰そうとしているのか?」
「……そう単純な話ではありませんが、大筋では間違っておりません」
侯爵は優雅に肩をすくめた。
「とはいえ、貴殿のような人物がここまで直接交渉に来るとは思いませんでした。さて、どのような手を使って私を説得しようというのか?」
ルシアスは静かに目を細めしばらく考え込む素振りを見せた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「お前の目的が交易の支配にあるのなら交渉は可能だ」
侯爵の眉がわずかに動く。
「ほう?」
「商人たちは交流の場を求めている。それをお前が力ずくで奪おうとすれば反発が生まれる」
「……それは、貴殿のカフェを残す理由にはならないのでは?」
「だが、その流れをお前にとって“都合の良い形”に変えることはできる」
ルシアスはわずかに口元を歪めた。
「取引しよう、侯爵」
「取引?」
「お前が目指しているのは王国の交易を完全に掌握することだろう? ならば商人たちを敵に回すのではなく、利用すればいい」
「……具体的には?」
「お前の支配する交易路に俺たちのカフェを公認の商人の中継地点として組み込め」
侯爵はじっとルシアスを見つめた。
「……つまり、貴殿は私の交易網の一部になると?」
「お前が考えている“秩序”を維持することを条件に俺たちのカフェを存続させる。それが交易の中継点として機能すれば、お前も商人たちの信用を得ることができるはずだ」
「……面白い提案ですな」
侯爵はワイングラスを置き腕を組んだ。
「だが、それを私が受け入れるかどうかはまだ分かりませんぞ」
「お前にとっても悪い話ではないはずだ」
ルシアスは静かに言った。
「交易の流れを支配しようとするなら商人たちの信頼を得ることが何よりも重要だ。それを力でねじ伏せるのではなく、納得させる形で進めた方が結果的にうまくいく」
侯爵はしばらく沈黙した後、くすりと笑った。
「……ふむ、貴殿の言い分は理解しました。しかし、まだ貴殿のカフェが本当に私にとって価値のあるものかどうか確信が持てませんな」
ルシアスは目を細める。
「どういう意味だ?」
「取引を成立させるには証明が必要です」
侯爵はゆっくりと言葉を続けた。
「三日間で、貴殿のカフェが王都の交易にとって不可欠な存在であることを示せ」
「……なるほどな」
ルシアスは小さく笑った。
「つまり、俺に“証拠”を持ってこいと?」
「ええ、そういうことです」
侯爵は薄く笑う。
「もし納得できる結果を見せられなければ、正式に営業停止命令を執行します」
ルシアスは静かに立ち上がった。
「いいだろう」
「期待していますよ、元魔王殿」
侯爵の言葉を背に、ルシアスはガルシウスと共に城を後にした。
城を出た直後、ガルシウスが苦笑する。
「まったく……交渉のプロか、お前は」
「俺はただ、必要なことをしただけだ」
ルシアスは薄く笑う。
「三日だ。カフェの価値を証明し、すべてを覆す」
夜空を見上げ、彼は決意を固めた。




