第六十三章:ルシアスの挑戦
「……料理、な」
パンケーキの最後の一口をゆっくりと口に運びながらルシアスはつぶやいた。
「ん? どうした?」
店主がカップを拭きながら興味深そうにルシアスを見やる。
「いや……」
ルシアスはちらりとセレスの方を見る。彼女は相変わらず幸せそうにパンケーキを食べている。
──まったく。よくもまあこんな単純なものでここまで満足できるものだ。
戦場で生きてきた自分にとって“美味しい”という感覚は単なる生存のための要素でしかなかった。
だが、こうしてカフェで日常を過ごすうちにそれが少しずつ変わってきた。
「……店主、俺も料理をやってみたい」
「……は?」
セレスの手がピタリと止まる。店主も目を丸くした。
「ル、ルシアスが料理……?」
セレスは信じられないような顔でルシアスを見つめた。
「俺がやってはいけない理由でもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……なんか、すごく意外」
「俺だってこのカフェにいる以上、できることを増やしてもいいだろう」
ルシアスは淡々とした口調で言ったが、自分でも驚くほど心の中は静かだった。
なぜこんなことを言い出したのか。
理由を考えるよりも先に口が動いていた。
「ほう、興味を持つとは思わなかったな」
店主は少し意外そうに頷いた。
「魔王が料理をするっていうのもなかなか面白い話じゃないか」
「……俺はもう魔王ではない」
ルシアスはぼそりと呟いた。
「そうだったな。でも、ルシアスが料理をするのは確かに興味深いな。よし、試しにやってみるか?」
「本当にいいのか?」
「もちろんだ。誰だって最初は初心者だしな」
店主はにやりと笑う。
「ただし、料理は魔法じゃない。手間も時間もかかるし慣れないと上手くいかないぞ」
「ふむ……」
ルシアスは少し考えた後、決意したように頷いた。
「なら、まずは基本から教えてくれ」
ルシアスの初挑戦
「まずは包丁の扱いからだな」
店主はカウンターの奥からまな板と包丁を取り出した。
「野菜を切ることくらいはできるか?」
「試したことはないな」
ルシアスは包丁を手に取り、刃をじっと見つめる。
「刃物は扱い慣れているんじゃないの?」
セレスが冗談めかして言う。
「剣と包丁では勝手が違う」
ルシアスは真面目に言い返し、慎重にまな板の上のトマトを切ろうとする。
しかし──
「ぐっ……」
包丁が思ったように進まない。
「もっと力を抜け。押し切るんじゃなくて滑らせるように」
店主がさっと手を添えて包丁の動きをガイドする。
「……なるほど」
ルシアスは再び挑戦し、今度はスムーズに刃が入った。
「おお!」
セレスが思わず声を上げる。
「やればできるじゃない」
「ふん、当然だ」
少し得意げに言いながらもルシアスはトマトをさらに細かく刻んでいった。
「……これが料理の基本か」
「そうだ。まずは食材の扱いを覚えることが大事だ」
店主は満足げに頷いた。
「よし、せっかくだからこれを使って何か作ってみるか?」
「何を作る?」
「そうだな……簡単にできてルシアスでも作りやすいものがいい」
店主は少し考え込むと、パッと顔を上げた。
「“ルシアス特製トマトスープ”でも作ってみるか?」
「俺の名がついている時点で責任重大だな」
「その分、美味しく作れたら自信になるぞ」
店主が軽く笑いながらスープの作り方を説明する。
ルシアスのスープ作り
「トマトを炒める。焦がすなよ」
「分かっている」
ルシアスは慎重に鍋にトマトを入れ、木べらでかき混ぜる。
ジュウゥゥ……
「いい香り!」
セレスが目を輝かせながら鍋を覗き込む。
「次にスープの素と水を入れて煮込む」
店主の指示通りルシアスはスープの素を加える。
グツグツと泡が立ち、トマトの酸味がスープに溶けていく。
「……なるほど、こうやって料理というのは組み立てられていくのか」
ルシアスは静かに呟いた。
「そうだ。料理はただ作るだけじゃなくて、食べる相手を思いながら作るものだ」
店主の言葉にルシアスは少しだけ考え込む。
“食べる相手”
無意識のうちにセレスの方を見ていた。
「……ルシアス?」
「なんでもない」
「さて、できたぞ」
スープを器に注ぎ、テーブルに並べる。
「ルシアスが作ったスープかぁ……どれどれ」
セレスはスプーンを手に取り、一口すする。
「……っ!! これ、美味しい!!」
目を輝かせながらセレスは次々にスープを口に運ぶ。
「お前が作ったとは思えないくらい美味しい」
「ほう?」
ルシアスは満足げに微笑む。
「まあ、初心者にしては悪くないな」
店主も頷いた。
「意外と料理のセンスがあるかもな」
「ふん、俺は何でもこなせる」
ルシアスは腕を組んで自信満々に言った。
だが、心のどこかでほんの少しだけ“楽しい”と感じている自分がいることに気づいていた。
「次はもっと難しい料理に挑戦してみるか?」
店主の提案にルシアスは静かに頷いた。
「悪くないな」
カフェに広がるスープの香りの中、ルシアスは新しい”自分の可能性”を見つけようとしていた。




