第五十七章:恥ずかしい
──ぽちゃん。
湯の表面が静かに揺れ、湯気がゆらゆらと立ち上る。
カフェの奥にある小さな風呂場。
私は湯船につかりながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
「……なんであんなこと言っちゃったんだろ……」
ぽつりと呟き、湯の中に顔まで沈める。
“私、勇者じゃなくて……名前で呼ばれたい気がする”
そう言った時は何か大事なことを言った気がした。
でも、今思い返すと──
めちゃくちゃ恥ずかしい!!
「うぅぅぅ……!」
私は顔を真っ赤にして湯の中でじたばたする。
名前で呼ばれることの違和感
私は今までずっと”勇者”だった。
誰もが私をそう呼んだし、私自身もそれを当たり前だと思っていた。
でも、あの時ふと気づいた。
ルシアスは”魔王”ではなくなり、店主も”管理者”ではなくなった。
二人とも新しい生き方を探し始めている。
なのに、私はまだ”勇者”のままでいた。
だから──名前で呼ばれることで少しでも”勇者でない私”を意識できるかもしれないと思った。
でも、いざそう言ってみるとやっぱり恥ずかしい!!
湯船の中で一人悶えている。
ここ数日、店主とルシアスの様子を見ていると彼らは明らかに変わってきている。
店主は”管理者”としての立場を完全に捨て、カフェの店主として生きることに馴染んできた。
ルシアスも”魔王”ではなくなり、カフェの仕事に興味を持ち始めている。
そして──私は?
「……私はどうしたいんだろう」
お湯の中でそっと膝を抱える。
店主やルシアスを見ていると不思議と安心する自分がいる。
彼らと過ごしている時間は戦場にいた時とは違う”心地よさ”があった。
特に、ルシアス。
最初はただの敵だった。
だけど、カフェで働く彼を見ていると少しずつ印象が変わってきた。
「ちょっとだけ……いいかも……」
自分で思った瞬間、また恥ずかしくなって湯に沈む。
「はぁ……もう、何考えてるのよ、私……!」
でも、これだけははっきりしている。
私は彼らと一緒にいたい。
そして、二人との距離は少しずつ変わってきている。
風呂から上がり、髪を乾かして部屋に戻った私は布団の中で小さく丸まった。
「……普通に接しよう……普通に……」
そう決めたはずだったのに、翌朝。
「おはよう、セレス」
店主が自然に名前を呼んだ瞬間、私は真っ赤になって顔をそむけた。
「あ……えっと……お、おはよう……」
そんな私を見て、ルシアスが不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「な、なんでもない!!」
私は逃げるように店の奥へと走った。
ルシアスは店主を見て少し考え込むように言う。
「……なるほどな。名前で呼ばれることに慣れてないのか」
店主はクスリと笑いながらコーヒーを淹れる手を止めずに答えた。
「まぁ、少しずつ慣れればいいさ」
こうして、私はますます彼らとの距離が気になるようになっていくのだった。




